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コアを攻撃しなければダメージとして判定されない


2024年4月22日(月)朝の6:00になりました。

物語の中に拳銃が出てきたら、それは発射されなくてはいけない。

どうも、高倉大希です。




ほとんどのできごとは、必然的に起こっているのではないか。

組織に身を置く期間が長くなるにつれて、次第にそう思うようになってきました。


もちろん、100%だと言い切ることなどできません。

人の活動である限り、絶対などありえません。


しかし、突発的に起こったかのように見えるできごとにも何かしらの原因はあるはずです。

紐解くと「そりゃそうだよな」と思えることが、案外たくさんあるわけです。


歴史はカオスではなく、ちゃんと因果関係でつながっています。しかし歴史は複雑でもあります。人間の脳で理解しきれるほど簡単ではないのです。今は良いように見えることが、あとで悪く作用するかもしれません。でもそれは逆に、今は悪く感じられる物事が、のちのちあなたを救うかもしれないということでもあります。

深井龍之介(2022)「歴史思考」ダイヤモンド社


「この料理は(まずいから)こんなにいらない」と、お客さんが言いました。

その言葉を聞いた店主は、お客さんのためにも量を減らそうと決めました。


目の前のできごとだけを見ていると、このような落とし穴に簡単にはまります。

必ずしも原因が、近くにあるとは限りません。


お客さんにはこれからも、必然的にまずい料理が提供され続けます。

店主が「解決したぞ」と思い込んでしまうことで、問題はむしろ長引きます。


諸子百家から歌比丘尼、坊さんから先生、新聞人からラジオのプロデューサーまでをつらねて、そのすべてに共通する点は、かれらがみんなシンボル操作の熟練者であるという点である。

梅棹忠夫(1999)「情報の文明学」中央公論新社


コアを攻撃しなければダメージとして判定されない敵キャラと、よく似ているなと思います。

どれだけ周辺を攻撃したところで、こちらの体力ゲージがただ減ってしまいます。


問題は、コアをみつけられるかどうかです。

人の行動なので、因果は単純ではありません。


それでもそこには、必然性があるはずだ。

そんな前提に立ってこそ、はじめてコアに近づくことができます。


人が自分の頭のなかだけにある限られた知識と、因果関係の推論能力のみに頼っていたら、それほど優れた思考を生み出せないはずだ。人類が成功を収めたカギは、知識に囲まれた世界に生きていることにある。知識が私たちに作るモノ、身体や労働環境、そして他の人々のなかにある。私たちは知識のコミュニティに生きている。

スティーブン・スローマン、フィリップ・ファーンバック(2021)「知ってるつもり 無知の科学」早川書房


複雑に絡み合っているからこそ、コアなんて明確になるわけがない。

あらゆるできごとは必然的に起こっているからこそ、コアをみつけなければならない。


そんな相反するように見えるふたつの前提を、同時に抱える必要があります。

できるだけ思い込みを排除して、フラットに考えなければなりません。


ゲームのように、ダメージは目に見えません。

体力ゲージも、決して目には見えません。






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