家族のために(嫌々)働いてくれてありがとう
2023年9月25日(月)朝の6:00になりました。
楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行せよ。
どうも、高倉大希です。
家族のために、働いてくれてありがとう。
この言葉に、ずっと疑問をもっています。
「働いてくれて」の前には、どうも「嫌々」という言葉が省略されているような気がしてならないのです。
家族のために、嫌々働いてくれてありがとう。
本当は働きたくなんてないけれど、気持ちを押し殺してくれてありがとう。
家族のことを考えて、我慢してくれてありがとう。
家族のために、働いてくれてありがとう。
この言葉のせいで、仕事は辛くて苦しいものだというイメージが、定着してしまっているような気がします。
もちろん、辛くて苦しいこともあります。
仕事に限らず、なんだっておなじです。
「家族のために」という要素も、間違いなくあるでしょう。
ただ、仕事を通して得られるものは、それだけではありません。
最近になってようやく、仕事によって社会と繋がっているという感覚をもつようになりました。
ひとりでは絶対にできないものごとを、動かしている感覚です。
もしかすると、その目標は自分が生きているうちに実現しないかもしれません。
ただ、それでよいのです。
ひとり分の人生なんて、たかが知れています。
あとにつづく人がいるのなら、バトンをわたせばよいだけです。
働いているときは、いつもたのしそう。
それが、家族のためにもなっています。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。