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なんだ、すでに書かれてんじゃん


2023年9月21日(木)朝の6:00になりました。

ジャン・バルジャン、がんばるじゃん。

どうも、高倉大希です。




毎朝6:00に、文章を書いています。

2023年1月1日に書きはじめて、今日でちょうど264日目になりました。


読みたいことを、書けばいい。

日々、自分が読みたいと思うことを書いています。


ひとり目の読み手である自分は、間違いなくおもしろいと思って読んでいます。

おなじように思ってくれる他者がいるのなら、それほど嬉しいことはありません。


読み手でかまわないなら、読み手でいよう。どこかで読んだ内容を苦労して文章にしてもだれも読まないし、自分も楽しくない。

田中泰延「読みたいことを、書けばいい。」ダイヤモンド社


この世にすでに読みたい文章があるのなら、わざわざ自分で書く必要はありません。

読み手でかまわないのなら、読み手でいればよいのです。


だからこそ、この世にはまだない文章を書いているつもりです。

ただ、突然自分だけが大発見することなんてまずありません。


だれかが書いた本を開いて「なんだ、すでに書かれてんじゃん」と思うことが本当によくあります。

ときどき「自分が書いたことにしたい」と思うような本に出逢うこともあります。


たとえば『源氏物語』のなかに描かれている、人が人に対して抱くさまざまな感情。それはいまの人たちが抱える悩みや情熱とまったく同じものだと思います。好きだという気持ちを伝える手段は、手紙からメールやLINEに変わってるかもしれないけれど、どうしようもなく人を突き動かす感情みたいなものは、『源氏物語』に書いてあることとなにも変わらない。

糸井重里(2014)「インターネット的」PHP研究所


すでに書かれていることを、自分が発見したかのように書く。

これほど、恥ずかしいことはありません。


自分の無知を、さらけ出しているのとおなじです。

だからこそ、書くからには読まなければなりません。


書くために読みます。

そして、読むために書きます。


書き手とは、大隊を率いて一度に1人しか通れないような狭いすき間を縦列進行させる司令官のようなものだ。一方、読み手は出口で軍隊を受け取り、その隊列を再び整えていかねばならない。題材がどんなに大きかろうが、またどのように扱われていようが、そのコミュニケーションの方法はこれひとつである。

バーバラ・ミント(1999)「考える技術・書く技術」ダイヤモンド社


では、この世のすべての本を読み終えるまで書いてはいけないのか。

もちろん、そんなことはありません。


準備ができたら、実行しよう。

その「準備ができたら」は、おそらく一生やってきません。


完璧な文章なんて、だれも求めていやしません。

書きながら、そして読みながら、ブラッシュアップしていけばよいのです。






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