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精神疾患が完治するってどんな感覚?

最近、またまたよく考えていたんですけど、
精神疾患ってどうやったら治るんだろう、完治するってどういう状態なんだろうって。

精神疾患にはうつやPTSDや離人症や色々な疾患があるし、今現状何かしらの精神疾患にかかっている人はいるんじゃないかなと思っています。

私も精神疾患にかかった経験はあって、家から全く出られない時間を過ごしていたこともあるんですけど、最近ようやく答えが出まして。

それはは、「自分で自分の感情を理解した時」に完治したって言って良いんじゃないかなって思っています。

具体的にどういうことかと言うと、

何をしている時が自分が嬉しいのか、何をしている時に辛いと感じるのか、とか。

何をしている時に自分がストレスを感じているのかっていうのを自らが1番理解することだという思います。

これに気付くのって意外と難しくて、
これに気付くためには誰かの考えや誰かの言葉を自分の脳みその中に介入させたらダメなんですよ。

それが例え身近な人や自分の友人や大切な人だったり権力者だったとしても。

「あの人はこう言ってるけど、私はこう思うな。」
「あの人はこれが大切って言ってるけど、私はこっちの方が大切だな」とか。

みんながみんなりんごが好きなわけじゃないですし、ぶどうが好きなわけではないんですよね。

バナナが好きな人もいるし、ぶどうが嫌いな人もいるし、ぶどうをそもそも知らない人もいるんですよ。

そんな風に日常にある小さなものから好き、嫌いっていうのを一個一個自分の意思を持って感じることが大事だと思っていて。

精神疾患の人って過去の家庭環境や学生時代の環境によって、自分と他人の考えを区別するってことが本当に苦手なんですよね。

人は環境や外部環境の影響を受けやすいんですけど、精神疾患の人は無意識のうちにこうしなければいけない、こうあるべきっていうMust論が脳に刷り込まれていたり、誰にでも好かれるように八方美人なコミュニケーションの取り方をしていたり。と。

だからこそ、私はこう思うとか、こういう考えなんだっていうことをなぜそう思うのか?っていうWhyのところまで自分の価値観や考えを理解しきるってことが治療の過程にあるんじゃないかなって思っています。

で、この価値観も変化して良いっていうことも理解することも大事だと思っていて。

りんごが好きな時期はあったけど、今はマスカットの方が好きだなとか。いちごって果物は知らなかったけど、いちごを知ったらいちごの方が好きだなとか。

精神疾患の人あるあるなんですけど、変化したらダメとか考え方を変えたらダメって思っている人が意外と多くて。

「あの時はこう思う、って言ってたけど、今は考え方変わったな」っていう思考の変化を自ら許さない、そうあってはならないって決めつけている人が多いです。

自分の言葉に囚われすぎている状態ですね。

かつての私もそうでした。

これは実は思い込みなので、自分の変化や自分が感じることに対して自分で自分に許可を出して許してみてください。

私はこれが出来るようになってかなり楽になったなって思っているんですよ。

かつてどれだけ自分の身近に居た人でも嫌だった人とは関わらないって決めたし、嫌な記憶を思い出すところにはもう行かないっていうことを決めて、自分の人生を歩めるようになりました。

でも、ここまで決断して自分の人生歩んでいる人って世の中には意外と少ないんで、ここまでできただけでも意外と変化して成長しているし、ここまでできない人の方が多いと思います。

ただ、誰にも共通していることは人生にはタイムリミットがあるということ。

永遠なんて無いし、誰にでも終わりは来る。

だから、病んでいる人には今の感情を噛み締めながら自分の人生を歩んでいってほしいなって思っているし、私もそうします。

終わり。

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