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結婚している人の方が幸せ?子どもがいる方が幸せ?無意味な幸福論はもうやめにしよう

しゅんしゅしゅんです。

〇〇な人のほうが幸せだ。

この〇〇な中に良く入るのは、「年収が高い」「学歴がある」「結婚している」「子どもがいる」などであろうか。しかーし。どんな〇〇が入ろうが、その意見は無意味である。全くもっての無意味。

「その状態の中で、どんなことをしている時が幸せなのか」この問いにしか意味は存在しないのである。

「状態」ではなく「行動」からしか、幸せは生まれないのである。無意味な論争はやめて、日々の感謝と貢献感に目を向けよう。説法じみた感じになってきたが、突き詰めて考えると、やっぱりこれが本質。他人を助けることは最も利己的な行為。

人は思っている以上に打たれ強い。どんな世界でも人は幸せを見つけるのが驚くほどに得意なのだ。

どうやら科学的にそうらしい。そして実感もある。この言われてみれば当たり前のことに気づくことが始まり。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」これは信じますか?これを信じれたらもう大丈夫。どんなつらいことがあっても数時間したら、数週間したら、数か月したら忘れません?「時間が解決してくれるよ」これまた最高に本質的な言葉。友達と大喧嘩しても、恋人と別れても、離婚しても、志望校に落ちても、不本意な仕事についても、愛する人が死んだとしても、新たな世界の中で一つも幸せな瞬間がない、なんてことありますか?

どんな世界でも人は幸せを見つけるのが驚くほどに得意なのだ。

どこで幸せなんて感じられるんだ?と。例えばだけど、コンビニでも感じられるんだと思う。忙しい朝のコンビニで何かを買った時に、満面の笑みで大きな声で「ありがとうございます」と店員に言ってみたら、コンビニの店員さんもつられて笑顔になるだろう。たとえぶっきらぼうな店員さんでもきっと心の中で悪い気はしていないはずだ。朝の戦場でささくれだった心が少しは癒されているはず。だってもし自分がコンビニ店員だったらそう感じるでしょ?例えばだけど、こんなことなんだと思うわけで。

感謝を伝える。感謝を伝えることで相手は癒される。そんなことが貢献。そんなことでも貢献。貢献感を感じよう。

子どもができた幸せは一瞬。結婚した幸せは一瞬。その後に連綿と続く日々の中で、感謝と貢献をしやすい相手がいるかいないかの差なんです。相手がいること自体の差ではないと思うのです。

1回の大きな幸せより些細な日々の幸せが重要。幸福は無数の小さな出来事の総和。

つまり子どもがいても、結婚をしても、日々感謝と貢献をしていなければ幸せではない。子どもがいなくても、結婚をしていなくても、日々感謝を伝えし、貢献感を感じていれば幸せなのです。

固定的な状態より瞬間的な経験に目をむけよう。固定的な状態を追い求めた方がいいのか否かという無意味な論争から解き放たれよう。

やっぱり説法じみているかなと思いつつ。でもこれが本質だと、論理でも感情でも納得している。

では。

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