記事一覧
自分なんかには同情の余地が無さすぎて、なんかもう寝てます。
書けなくて読めなくて、咳だけが止まらない。で、微熱。生きていけるレベルで不調。
あとはそう、足の裏の熱が逃げない。迫真の「逃げろ」にも、どうせ訓練でしょ、でまともに取り合わない。その、訓練を舐めてるからおまえ、多分、本番がもしあった際は、気のついた時にはおまえ、死んでるから、絶対!!
↑ この、明らかに学び直しが必要な日本語どもで構成された一文がやけにしっくり来ていて、しっくりなんだったら
映画、前もって行っていても必ず終盤トイレ行きたくなるのやめたい。
フードコートにて、はなまるうどんで昼食である。いつも小のところを、今日はやってやろう、ちう思いを胸に、中。
で、多い。小でよかったわやっぱり、とちくわ磯辺揚げを齧りつつ。
箸が、持ち上がらない。天かす過多。横から怒られたら素直に謝れるくらいには、過多。
ただでさえ少なめのつゆを、大量の天かすが吸いに吸い、うす茶色の沼。沼は麺を離さない。ほら切れた。いやな気持ち。
あとこれは、天かす
実はユーチューバーになりたかってんな、と言っている人もいます、ここに。
ユーチューブ投稿を定期的にする、ということを決めたら こんなにも生きづらい。すぐに出涸らしになる、わたしのような人間は。
の
事の発端は 9番街レトロさんのユーチューブ・チャンネル。
あれおもしろ過ぎてるし、しかも、おもしろ過ぎてるだけじゃない。あの お2人が魅力的 過ぎる。ずっとあの お2人のおしゃべり振る舞い佇まいを見ていたい知っていたい、て思っちゃう。はぁ
そして、そう。9番街
心からっぽ、カラカラ、音もしないけど?
白湯飲んで 黙ってたら普通に心からっぽじゃんか。気づいた。
おなかいっぱいなのに、出来たての肉じゃがで口の中をいっぱいにしたいくらい、からっぽ。
わたし、やっぱり彼んことが好きで、それでだ。
からっぽの心どうやって埋めていくか、という生産的な話、したくないけど、でもやっぱり からっぽ。だから、生産的な話、しとこうかな、とか思ってしまうけど、やっぱりしたくないや。
こうやって滞っていく。入学
高校卒業いたしますわたしは以下のようでした、書殴
一昨日いっしょに帰ってきたキャリーケースがなかなか片付かないな。それは片付けようと、二階へ持って運ぼうと、していないからだろう、と言われたらそれまでなのだけれど。それまで。
実家から電車に乗って、バスに乗って、港まで。その港から4時間ほどかけて、また別の港へ。
そうしてようやく、わたしの通っていた高校、塾、暮らしていた寮は徒歩圏内になる。
離島の高校通いでした。孤高のホスト狂い、みたい
カプリコいちご味も見せ方ひとつでいちごのショートである
メルティーストロベリーミルクティー、とやらを飲んでいる。ボトルはぐるりと、いちごのショートケーキ柄によって囲われている。昨夕、ディスカウントストア・ビッグにて97円で購入。
正直、カプリコいちご味である。
後にしつこく残る、いちごを目指した香料の味はどこまでもカプリコで、飲みながら、あの、ふわふわしたチョコ部分はどうやってつくってるんだろ、といったことを考えずにはいられない。
今日わ
人ころし事件、知らんでいい。パンダ、福井県。
母親が、不凍液の関わる人ころし事件のニュースを見て、うわ、と言うている。日曜は十時を過ぎている。
今の社会で起きていること知るべきです。それはおそらく。
しかし、こういった事件については本当に知るべきなのか。
知って、それを何に活かすというのだ。不凍液に気をつけよう、ということか?こんな親にはならないぞ、ということか?
パンダが新しく生まれて、それがピンク色であるだとか、ぼちぼち
寮生活を薄目でふりかえりつつ、今は主に未来の方向を凝視
わたしは明日なんと、高校の3年間 住んだとこを引き払うつもりである、午前中のうちに。
「つもりである」とか言ってみているが全然、「ねばならない」。なぜならそのように届け出ているからである。あくまでも自主的に、ということにしたかった、ようである。
てか、今、寮、ふつうに出ていきたい。だってしばしば酷だから。眠ろうというとき、耳栓とアイマスクをもってしても何かが足りない、ということが多々あって、それ
もんもんむすむすに決着をつける
「このあと滅茶苦茶もんもんむすむすした」
まとう衣服の少なめな女の子の広告に、このような文言があった。
「もんもん」というと「悶々」で、逡巡しているようすを これをもって表現しているのだろうか。あるいは、加湿器等からあがる蒸気を肌で感じているときの擬態語だろうか。や、もしかしたら「もんもん」は「紋々」で、これは入れ墨のことを言っているかも知れぬ。また、これはかなり捻くれた考えになってしまうが
半端侍、煌びやか長老、的な映画あったよね、無かったか
「感動した!」の速度に圧倒されている。
すばらしいことをしている人たちが居る。それを見て、心がうわぁとなる。そのうわぁというのに「感動」という名前をつける。そしてそれを「感動」と声に出して呼ぶ。
その一連の出来事が、これを口にした時、その人の中で過去になった。
「感動した!」
とても、速やかな反応。
の
本を読んでいる。こんなにおもしろいものだっけ本。うれしい。本を楽しめているわたしに、
サーモンさんに恩恵を受けているTHERMOSさんのお話
お寿司は「さん」をつけて呼びたいし、寿司、というふうにオジサンに呼び捨てられてほしくない。
ただ、お寿司に対する敬意と それを食したいという気持ちとは、釣り合わない。それはわたしの中で。わたしにはサーモン以外の生魚の美味しさが分からない。それでも尚、わたしはお寿司のことを「お寿司さん」というふうに思っているし、祝い事にはお寿司、というのが正義だとも思っている。
それはなぜか。
理由はない。
書籍って、言ってみるだけでちょっとかっこいい
本を読んでみたい。
ずっとこれ。
読みたい、よりも前にある、達成されることのない初心者感情。ここ数年のわたしは、ずっと本とよそよそしい。
たまに、今日はなにか こちらからはたらき掛けてみるかな、と思うときもあるが、満を持して ひと声かけて、それに対して「うん」なのか「すん」なのか、みたいな返事が向こうからあって、それっきり、みたいな。そういうのが多い。うんともすんとも、というわけでもないの
わたしの生きてるこれってこんなしょうもなかったっけ、というのは別に定期的に思う
あったよね、「なんとか おのがひかりのみ」みたいな言葉。
「『おの』だか なんだかが光しかないんですよ」みたいな言葉。
金の斧 銀の斧みたいな話なんかな、とかも思うけどそれは多分ちがうくって、あとそれから、どちらかというと『おの』単体ではなく『おのがひかりのみ』というものとして捉えているわたしのこれは合ってる?みたいな。
それは、だから何、でもあるけど、だからそうなんだ、みたいなのもある。『
三宮駅のバス乗り場ではちゃめちゃに迷う十八のわたしの前途、洋洋であれ
ミント。建物に「ミント」て命名するって、どういう神経なん。で、7番。7番、7番、7……なんかさ、7番乗り場、なんかいっぱいある気がするな。とりあえず地下!B1に降りてみよう!これがのちのち大きな混乱を己に招いてしまうことをわたしはまだ知らないのだよおろか、ああ、おろか。
地下階のBって、そういえば何の単語由来のBなんだろう。とか考えてんのがよくない。あれっ、なんか知らんが、地上では地下にあるよう
夜光バスがあったら乗るね。あなたは?
三宮まであと1時間もない。けっこう明るい。
夜行バスの空調の音がさわがしくて、あとひたすらに胃が膨れている。その膨らみは食べ物によって、ではなく、というよりかは空気によって、といった感じで、それはなぜかというと、およそ8時間前まで大都会トウキョウにおったからである。トウキョウという響きに惑わされて胃が、空気すらも食べ物なんじゃなかろか、と、消化したろか、と張り切るから、その張り切った分で膨らんじ