見出し画像

絵本『ツバメのたび』を読んでは独り言

チュビチュビチュビ〜

燕の鳴く声が聞こえる

空を見上げると
燕が追いかけっこをしている

燕が飛ぶ姿を見ていると
その速さに驚くことがある

燕の形を見ると
風の抵抗を極力にまで排したような
滑らかな曲線を持つ体の美しさに
見惚れてしまう

生命の進化を思い描き
思考は悠久の時に思いを馳せる

頭の中の映像は
恐竜から鳥へ進化する過程を
早送りして見せてくれる

妄想の力は凄い

・・・・・・

そんな燕

人が住む場所で巣作りをする

岩手県内を車で移動すると
その姿を見られる場所の変化を感じる

山間の民家のない場所では
ほとんど見ることがない

逆に民家があり
人が住んでいる場所では
空に燕の姿を見ることができる

何気ない日常で
燕の生態を感じられる瞬間だ

・・・・・・

今日もまた

読んだんだか読んでいないんだか
積んだんだか積んでいないんだか
といった本達の中から一冊紹介し
心の琴線に触れた一節を取り上げ
ゆるりと書き記していきたい

今回はこちらの本を読んでは独り言

鳥好きな娘が借りてきた絵本である

燕が渡り鳥であることを
改めて感じさせてくれる

それと共に

燕に限った話ではないが
渡り鳥がなぜ
遠く離れた所から
どうやって何に導かれて
渡ってくるのか

これまた

改めて考えるきっかけをいただく

さてさて

いつものように
引用する必要があるんだかないんだか
引用の意味を考えては
自己ツッコミを入れつつ
noteの引用機能を用いて
引用させていただきたい

ここは にほんから 5000キロも はなれた
みなみのくに マレーシア
よあけの あしはらで 1わの ツバメが めをさます

よんでいる
だれかが ぼくを よんでいる
とおくで ぼくを よんでいる
いかなければ

しゅっぱつだ

鈴木まもる. ツバメのたび 5000キロのかなたから. 偕成社, 2009, 2p

燕は何に導かれているのだろうか

本能というのだろうか
はたまた
DNAに刻まれているというのだろうか

私達は永遠に燕にはなれないから
その行動へと突き動かす何かは
想像や推測することはできても

当たり前だが
当事者感覚の観点では
絶対に知り得ないのだ

だからこそ

妄想する楽しみが生まれる

燕を呼ぶのは誰なのだろう

・・・・・・

翻って

私達人間の行動も
誰かの何かに導かれるようにして
本能的な動きをすることもある

後から振り返ると

なぜあんな行動を取ってしまったのか

そう思うことも少なくない

私達を呼ぶのは誰なのだろうか

本能とは何なのだろうか

燕の絵本を読みながら
自分達の行動を振り返りつつ
本能や衝動について考える時間

素敵な絵本体験であった

この記事が参加している募集

読書感想文

こんなポンコツな私ですが、もしよろしければサポートいただけると至極感激でございます😊 今後、さまざまなコンテンツを発信していきたいと思っておりますので、何卒よろしくお願いいたします🥺