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絵本『オークとなかまたち』を読んでは独り言

私の能力とは何なのか

以前読んだ
『私たちはどう学んでいるのか』を
読んでからというもの

私が『できている』と認識しているものは
環境に依存していると感じるようになった

そう思うようになってから
今いる環境に感謝の念が湧いている

日々支えてくれている家族
共に働く従業員
私の所属する会社
隣の病院の皆さん
地域の他職種の皆さん
当薬局を利用される患者さん
釜石という地域の方々

そうした人々がいるからこそ
何気ない日常を過ごせている

そう感じるのだ

人だけではなく
釜石で暮らす中
目に飛び込んでくる自然も
私の心の栄養になっている

こう考えるようになり
幸福感は増す一方で
同時に怖くもなるのだ

ここ以外の場所で
私は働けるのだろうかと

おそらく

別の場所に行けば
別の場所なりに
日々を過ごしていくのだろう

そうでないと
そもそも
生きていけないのだから

とはいえ

この場所への感謝と愛着が
積もれば積もるほど
ふと不安が訪れるのも
また事実である

考えすぎといえば
考えすぎなのかもしれないが

そう思うのだった

そんなことを思いながら

今日もまた

読んだんだか読んでいないんだか
積んだんだか積んでいないんだか
といった本達の中から一冊紹介し
心の琴線に触れた一節を取り上げ
ゆるりと書き記していきたい

今回はこちらの本を読んでは独り言

図書館で借りてきた絵本

いつも直感的に選ぶため
ほぼ中身は見ずに借りてくる

こちらの絵本の背表紙には

小学校上級から大人まで

と書いてあることもあり
文章の量が多い

漢字の全てに
振り仮名はあるものの
確かに漢字を知らない子供は
少々手こずりそうだ

文章の多さはさておき
植物や鳥をはじめとした動物の描写は
とても綺麗で心が穏やかになる

そんな絵本の中から

いつものように

引用する必要があるんだかないんだか
引用の意義を考えては
自己ツッコミを入れながら
noteの引用機能を用いて
引用させていただきたい

このものがたりの主人公、〈水辺のオーク〉が、どんぐりからようやく芽を出し、小さな双葉をひらいたのは、いまから300年以上もまえの、まだ肌寒い、4月のはじめのことだった。だが、川のほとりは、イバラのやぶに守られていてあたたかい。赤んぼオークは、春の光を思うぞんぶん吸いこんだ。
まえの年の秋のこと、小川のそばの大きな森で、親木のオークがどんぐりの実をいっぱいつけた。〈水辺のオーク〉のきょうだいたちだ。
が、ほとんどは、まだ青いうちにゾウムシの群れに穴をあけられ、卵を産みつけられてしまい、虫の子たちに中身をすっかり食べられた。ネズミやリスの餌にもなった。しめった地面に落ちたまま、かびて腐ったものもある。生き残って根をおろしたのは、100個足らずのどんぐりだ。そのどんぐりもまた、ほとんどは、親木の光にさえぎられ、芽吹いてもすぐ枯れていった。
〈水辺のオーク〉は運がよかった。

リチャード・メイビー クレア・ロバーツ 野の水生. オークとなかまたち. 講談社, 2007, 4p

この絵本を読むと
一本の木が大きくなるまで
どれだけ幸運に恵まれているのか

感じることができる

引用させていただいた文章の
最後の一文が心に染みる

私達はつい
今の自分があるのは
自分が努力してきたからだ

といった具合に
自分の能力の賜物である
と認識しがちである

それはそれで尊いことだが
運の要素を見逃しがちだ

たまたま今ここにいる

この場所
この環境の
恩恵を忘れがちだ

こう書いておきながら
私自身も今いる環境への感謝を
持ち得なかったことがあった

振り返ってみると
お恥ずかしい限りだが

様々な人々のおかげで
今の自分がいることを忘れずに
これからも過ごしていきたい

そんなことを考えさせられたのだった

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