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『手の倫理』を読んでは独り言・其の四

先日

私が所属する
日本プライマリ・ケア連合学会の
研修会があり参加した

テーマは

患者協働

不勉強な私は
初めて知る概念に
心踊りながら
楽しいひと時を過ごすことができた

研修を受け

患者協働の具体的な内容は割愛するが

相手の主体性に着目し
医療について考えてもらうためには
どのような働きかけをすれば良いのか
ということを考えさせられたのだった

研修の中では

患者の立場から
医師の立場から
薬剤師の立場から
研究の立場から

あらゆる場面での
患者協働について
知る機会を得た

今まで自分が考えていたことに
合致した部分も
そうでない部分もあり
思考が深まる印象を受けた

そんなことを思い出しながら

今日もまた

読んだんだか読んでいないんだか
積んだんだか積んでいないんだか
といった本達の中から一冊紹介し
心の琴線に触れた一節を取り上げ
ゆるりと書き記していきたい

今回はこちらの本を読んでは独り言

本を読んでは独り言noteで
取り上げるのは四度目

途中で漬けながら
ゆるりゆるりと読み進めている

ちょうど今
読んでいるのは
第3章『信頼』だ

安心と信頼の違いについて
身近な事例を通して
考えさせられている

本書の中では
社会心理学を専門とする山岸俊男の
『安心社会から信頼社会へ』(中公新書)から
2つの違いについて書かれている

その違いが語られた後
認知症の介護の現場に話は移っていく

さてさて

いつものように
引用する必要があるんだかないんだか
本来の引用の意義を考えつつ
自己ツッコミを入れながら
noteの引用機能を用いて
引用させていただきたい

安心が前提にする、社会不確実性がゼロの状況とは、先にも指摘したとおり、確実にコントロールできているということを意味します。相手の行動が予測可能なものになっていて、こちらからするとリスクがない。「相手の行動によってこちらがひどい目にあう」ということがないわけですから、自分と相手の関係も固定されることになる。それは、制御し、支配する関係です。
けれども和田は、どこまでもお年寄りを制御したり支配したりしないようにする。なぜなら、生きることはそもそもリスクを伴うことだからです。もちろんさまざまな工夫によって、リスクを最小化することは重要ですし、和田もその点に関しては細心の注意を払っています。けれども、相手が意思を行動に移す時、必ず想定外のことは起こる。だからこそ和田は、お年寄りの力を信じ、「想定外」がゆるされるような生活の場を整えようとするのです。

伊藤亜紗. 手の倫理. 講談社, 2020, 97p

患者協働を阻む障壁は何か

冒頭に書いた研修会にて
グループワークをする際に
設定された問いの一つである

私の頭に思い浮かんだのは
立場や役割が患者協働を阻む要因に
なり得るのではないかということだ

医療従事者が自分の役割を強く認識するがあまり
説明に時間をかけ相手の理解を確認する時間を少なくし
結果として相手の主体性を奪っていく

患者側も相手が医療従事者だと
患者としての役割を無意識に演じてしまう
それは昔ながらの医師ー患者という
およそフラットで対等な立場とは言えないものだが
その結果として受け身の姿勢となってしまい
自らの主体性を失う結果となってしまう

もちろんこれは

そもそも患者協働に対して
理解の浅い私の妄想にしか過ぎないのだが
仮にそのまま進めるとすれば

ではどうしたら
立場や役割による障壁を超えて
患者協働がなされるのだろうか

それを考える際に
引用させていただいた
安心と信頼の違いが
鍵を握っているような気がする

まだまだ言語化できていないが
そのような気がするのだ

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