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『世界への信頼と希望、そして愛』を読んでは独り言・其の十二

私は『嫌い』という言葉を好まない

全く使わない訳ではないが
使いたくないのだ

それは『嫌い』という言葉を使ってしまうと
その『嫌い』を表現するために
思い描いている対象の一部分が
無意識の内に全体に侵食し
いつしか対象全体が『嫌い』に
なってしまうことを恐れているからである

別に対象全体を『嫌い』になっても
いいのだと思う自分がいたりもする

しかし

私の中の何人かの内の
別の自分が拒否するのだ

そんなこんなで
なるべく『嫌い』という言葉は
使わない代わりに『苦手』という言葉に
置き換えるようにしている

私の中のニュアンスでは
『嫌い』よりも『苦手』の方が
柔らかい表現だと認識しており

『苦手』という言葉は
一部分から全体に侵食することは少ない

仮に侵食したとしても
対象全体を拒絶するほどにはならない

そんな感覚があるのだ

・・・・・・

そんな私は
他者からたまに
次のように言われることがある

「町田さんて、嫌いな人がいなそうですよね」

嫌いな人はいないというより
嫌いな人を作らないようにしている

そう言えるのかもしれない
嫌いになりそうな人はいるが
そうならないようにしているのかもしれない

言葉に気を付けることで
自分の中で沸き起こる負の感情を
抑えようとしているのかもしれない

そんな感覚である

そうは言いつつも
やはり嫌いになりそうな人はいる

そうした相手に対して一部分を見ることで
相手を全体的に嫌いになって拒絶せず
苦手な一部分のみを認識できるようにしたい

そう願っているだけなのかもしれない

他者から見たら
そこにある違いや
そこにこだわることに対して
何の意味があるのかと疑問に思うかもしれない

そう

単なるこだわりなのだと思う

それは私が私でいられるための
瑣末なこだわりなのだと思う

・・・・・・

そんな私の苦手を想起する出来事に
つい最近でくわした

ある近しい人の主張を目にした際
私の頭の中に
その人物との良き思い出や
その人物との哀しき思い出が想起され
胸の辺りがモヤモヤとしたのであった

あの人がああいった表現をする背景にあるのは何か

思い巡らす内に
何となく腑に落ちた

自分の存在を認めてもらいたがっているのではないかと

自分が考えていることを
ただただ吐き出したいのだと

そして

自分が考えていることを
ただただ認めて欲しいのだと

そう思い至って
自分がこうして書いている世迷言も
そう変わりはないのだと気付きつつ

吐き出す先の問題なんだろうなとか
吐き出す際の表現の問題何だろうなとか

頭の中に浮かんでは

結局それは
私みたいにnoteに吐き出せばいいのにと
自分の優越性を主張したいだけなのかもしれない
と自戒の念に陥ったりもする

・・・・・・

今日もまた

読んだんだか読んでいないんだか
積んだんだか積んでいないんだか
といった本達の中から一冊紹介し
心の琴線に触れた一節を取り上げ
ゆるりと書き記していきたい

今回はこちらの本を読んでは独り言

ゆるりゆるりと読み進めている本書

これを書いている現在
100頁にも渡る註まで
あと20頁といった所まできた

ちびちびと
読み進め
読み進め
244頁

進んではいるものの
全くもって掴めていない

ただ何となく
本に書かれていることに
共感しているだけで

何が書かれているのか?と問われても
説明すらできない状態でもある

そんな感じではあるが
何かしらの手応えを
得ている気もする

それは

この本を理解したからではなく
本に書かれているエッセンスに
私の中の何かが奮い立たされた感じとでも言おうか

おそらくまた
読み返しては迷いながら
この本と向き合っていきたいなぁ

そう思わせてくれる本である

さてさて

いつものように
引用する必要があるんだかないんだか
本来の引用の意味を考えては
自己ツッコミを入れながら
noteの引用機能を用いて
引用させていただきたい

人びとは自分というひとりの人間がこの世界に生きた証しを、「物」に刻み込むこともできるし、「人」に語り継いでもらうこともできる。そして、たとえ自分が死んだとしても、自分というひとりの人間がこの世界に存在した痕跡はこの世界のどこかに残り続けるのだと確信できることで、人びとはこの世界に安らうことができるようになる。不死性の積極的な意義はここに存する。不死性とはすなわち、死すべき存在である人間にとっての慰めなのである。世界の永続性はこうして、人間に不死性をもたらすことになる。
(中略)
死すべき存在である人間は、不死性を求めずにはいられないーアーレントの人間観の根底には、こうした考えが存しているように思われる。この世界にあって可死的なのはただひとりの人間のみであり、それゆえ人間はその埋め合わせとして、この世界において不死の存在になることを欲する。

林大地. 世界への信頼と希望、そして愛 アーレント『活動的生』から考える. みすず書房, 2023, 226p

きっと誰もが不死性を求めずにはいられないのだ

そう腹落ちした

自分の存在

それは

考えや思想
価値観や主張
だったりする

それが認められたいのだ

認められてこそ
自分という存在が他者から認められ
その結果自分自身からも認められる

そんな感じなのではないか

他ならぬ私も
こうしてnoteに書くことで
自分という人間は
こんなことを考えていますよ

と世界の端っこで声を上げているだけなのかもしれない

そんなことを考えさせられた

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