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『生きることとしてのダイアローグ』を読んでは独り言・其の四

41年間生きてきて
生きやすくなってきたと
感じることがある

自分の内に生まれる
あれやこれやといった
感情にも向き合いつつ

社会の中で生きる上で
うまく生きられるように
なっているなぁと感じるのだ

自分自身も周囲の他者も
大切に出来ている感覚とでも言おうか

学生時代を振り返ってみると

自分の気持ちや感情のみを優先した結果
周囲のことは考えずに行動し後悔したことがある

そのときと今とで
一体何が違うのだろうか

ひとつ思い浮かぶのは自分の内なる声と
向き合うことができるようになったからかもしれない

しかし

学生時代には出来ていなかったのだろうか?

そう問うてみると
そんなことはない気もする

自分の内なる声との対話を
ただそれだけで終えてしまっていた

そうも言えるのかもしれない

自分に内なる声があるのと同様に
他者にも内なる声があり
その結果として外に現れる物を
認識できるようになったからなのかもしれない

内と外

自己と他者

そんな2つの境界線を意識しながら
両者と向き合いつつ
折り合いがつくようになってきた

そう言えるのかもしれない

そんなことを考えつつ

今日もまた

読んだんだか読んでいないんだか
積んだんだか積んでいないんだか
といった本達の中から一冊紹介し
心の琴線に触れた一節を取り上げ
ゆるりと書き記していきたい

今回はこちらの本を読んでは独り言

本を読んでは独り言noteにて
取り上げるのは四度目

ゆるりゆるりと
読み進めているが
わかったようでわからない
そんな感覚を持っている

わかろうがわからまいが

何か大切なエッセンスを
本書からいただいている

そんな感覚が芽吹いている

さてさて

いつものように
引用する必要があるんだかないんだか
本来の引用の意義を考えつつ
自己ツッコミを入れながら
noteの引用機能を用いて
引用させていただきたい

外部の他者と対話するだけでなく、内なる自身とも対話できることが、豊かな〈共生〉に不可欠の条件であるというわけです。しかも、「他者との共生は自分自身の共生から始まる」というのですから、たとえば人見知りや対人不安なども、けっして否定的にのみかんがえる必要はなく、むしろすぐれた〈共生〉力を秘めているともいえます。
次章でみるように、バフチンであれば、「自分自身との共生は他者との共生から始まる」というところでしょうが、〈内的対話〉への注目という点に変わりはありません。
一般に、こうした〈対話〉は、声に出ていないことがおおいため、まわりの者たちはつい軽視しがちですが、身振りや息づかい、その他から、ある程度まで「聴く」ことができるばあいもあるでしょう。すくなくとも、〈内的対話〉がそこに潜在している可能性は、想像してみる必要があります。

桑野隆. 生きることとしてのダイアローグ バフチン対話思想のエッセンス. 岩波書店, 2021, 67p

私なりの理解を書くとすれば
自分と対話できると他者とも対話できる
他者と対話できると自分とも対話できる
ということだろうか

ここで言う対話は
平田オリザ『わかりあえないことから』
で書かれているような
異なる価値観同士の擦れ合わせ
という意味でも対話だと認識している

自分の中にも
異なる価値観の分人同士が存在している

その分人同士は
ときに対立することもある

それが迷いを生み
心の葛藤に繋がる

分人同士とうまく付き合うことができれば
それは他者の中の分人に気付く契機ともなる

そんな感じだろうか

本書を読み進めながら
自分なりの言葉に落とし込んでいきたい

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