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花弁と共に(前編)


桜を見ると、否応なく君を思い出す。

君は花弁はなびらと共に現れて、花屑はなくずが舞い散る頃にはしずかに姿を消した。
刹那的で情動的な記憶を僕に植え付け、深く根をはって離れない。
幾度いくど春を重ねようと、満開の桜を見て心動かされ魅入ってしまうように
君への想いは、薄らぐことなく揺蕩たゆたい続けている。


 高校2年の春休み。
 当時、柔道部に所属し学生生活の全てを注いでいた。全国的にも名の知れた強豪校で日々の練習は過酷を極めた。
 春休みと言っても部活生にとっては学校がない分、一日中練習という地獄のような毎日が続き、疲労が蓄積されていた。
 
 畳に肉がぶつかる大きな音と咆哮ほうこうが響く道場で、息を荒げながら乱取らんどりをしている時だった。
 激しい組合の末、不安定な姿勢で右手を着き、自重と余剰分の重みが一点に集中した。衝撃と共に大きな鈍音が響いた。
 襲いかかる激痛とどんどん腫れていく手首を見て直ぐに察した。
 親友の大博まさひろが「大丈夫か悠太ゆうた!」と、怒号にも似た声を上げ、工事現場のように騒がしかった道場が一瞬にして静かになった。
 その静寂が、只事ではないことを表していた。
 
 救急車で運ばれレントゲンを見た医師から、右橈骨遠位端骨折みぎとうこつえんいたんこっせつと聞き慣れない骨の名前を言われ困惑したが、要は腕が折れていた。
 その日のうちに緊急手術を済ませ、窮屈きゅうくつな入院生活が始まった。
 毎日、滝のような汗を流し、肺がはち切れんばかりに息を上げていた日々とは打って変わって、なんとも静かで穏やかな生活に退屈と焦りを感じていた。
 
 昨年のインターハイ予選では惜しくも優勝を逃した。今年こそはと息巻いていた時の怪我だっただけに落胆は大きかった。
 部活以外に取り柄なんてない。ただ強いということが誇りだった。それが自分を構成してた主成分だった。
 手術後の説明では夏の大会には間に合わないと直入に宣告された。
「君にはもう価値はない」そう言われているように聞こえた。
 大会で結果を残して、特待や推薦で大学に入学するという道は絶たれ、将来の見通しも立たない。
 勉強の成績はクラスで大博まさひろに次いで下から2番目だったし、汗臭い丸刈りに恋愛なんてものには縁がない。
 八方塞がり、雁字搦がんじがらめ。当時は子供なりに絶望を感じていた。

 リハビリ以外はすることもなく暇を持て余していた。病室にある備え付けのテレビは売店で1枚1,000円もするテレビカードを使わないと見れないときた。
 今まで無料で見ていたものにお金を払わなければいけないなんて、おかしいではないか。と心のうちで叫んだが、テレビはうんともすんとも言わない。
 親元を離れると、そのありがた味が分かるとよく言われるが、正に実感していた。テレビを見るのだってお金が掛かるのだ。そんな当たり前の事でさえ考えたことも無かった。
 味気ない病院食を食べて、初めて母親が料理上手だったということにも気付いた。
 自分が知らなかった既存の事実に、只々ただただ打ちのめされる日々だった。


 ナースステーションの向かいにはデイルームと称された休憩スペースがあり、自宅の1.5倍はあるだろう大きなテレビと、五人ほどは座れる横長のソファが平行に3列ほど並んでいる。
 ここでなら無料でテレビを見ることができるため、暇な時は大体そこで時間を潰していた。
 テレビ横の自販機で最近飲めるようになった微糖珈琲を買い、所々中身が垣間見える年記の入ったソファに座る。
 力を入れると痛みが走るため、プルタブを開けのも一苦労だ。
 特に興味のない相撲の中継が流れていたが、他にすることもなく惰性だせいでぼんやりと眺め退屈を誤魔化す。
 小柄な関取が自身の倍ほどある巨漢を下手投げで豪快に投げ飛ばし、周りで観戦していた人たちは届くことのない賞賛の言葉を投げかけていた。
「つまんな」
 誰にも聞こえないようにそっと呟く。
 自分との乖離かいりに嫌気がさした時だった。 
 小さな何かが視界を横切った。目で追うと、それはゆっくりと不規則に舞って包帯でグルグル巻きにされた不恰好な右腕に乗った。
 桜の花弁。
 窓の方を見ると、大きな硝子窓一面がピンク色で満たされていた。道路を挟んで向かい側にある公園には桜が咲き並び、多くの花見客たちで溢れていた。綺麗な景色に一時、目を止める。
 少しだけ開いた窓から外気とともに花弁が侵入してきていた。
 焦点が奥の景色から窓際に立っている一人の女性に移る。
 艶のある黒髪が陽に照らされきらめき揺れて、髪間から覗く素肌は桜を思わせるような淡い桃色で、その美しさに目が離せず瞠目どうもくしてしまう。
 全ての感覚が目に奪われ、身体が脱力する。右手に持っていた缶が甲高い音を立てて床に激突した。
 ソファの下に落ちた空き缶を拾おうとソファの下に手を伸ばすが片手では上手く拾えず苦闘くとうしていると、頭上から柔らかな声が降ってきた。
「君、腕折れてるじゃん。私に任せて」
 軽やかな体使いで難なく缶を拾い上げる。「はい」と言ってコチラに缶を差し出された。同時にいぶかしげな顔をした。
「あれ?これ空だね」
 そう言うと、自販機の方に歩き出し横にあるリサイクルボックスに空缶を押し入れた。
「ありがとう」
 彼女の背にそう言うので精一杯だった。
 声に反応し、こちらに向き直る。
 色を持った視線が交わる。
 片方の口角だけが上がった微笑を浮かべていた。
「いいよ」
 そう言った後、両目を上転させ考えるような顔をして続けた。
「それならさ、お礼に友達になってよ。私、退屈過ぎて死にそうなんだ」
 
 赤子のような無垢な笑顔を満開に咲かせていた。
 
 駄目だ。
 友達になんてなれる気がしない。

 つぼみがほどけて花開くように、僕の中の何かがきざす。
 
 

 春が始まる予感がした。


   https://note.com/grand_llama4395/n/n0b53596e316f?sub_rt=share_pw

 
 
 
 


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