記事一覧
勝手に造語「暗い森で迷子」現象
【暗い森で迷子】現象
経験した事がないはずなのに不思議な懐かしさ、心地よい不安を擬似的に感じる現象。
自然物、風景や創作物(アニメーション、絵本、小説、演劇)などを観て感じる。
創作物の場合にはカタルシスや原始的な感動を伴う事もある。切り絵、抽象的な舞台美術、ミニチュアな実物を真似て作ったがために簡素化されたものを見、感じる事も多い。
自然物、風景の場合には旅行先、キャンプなどホームシック経験と結
『偶然と想像』観た。
タイトル的にあまり自分が好む感じではないと思ったが良い意味で裏切られた。
どれも演劇に近い演技とシーンが多かった。移動は少ない。言葉の積み重ねで繋がる芝居、という意味。
第一話目
これ男女逆だったら、胸糞悪い映画として捉えられそうだなと思った。これは現在の観客の想像力の乏しさが悪い。
好き、気持ち悪い、好きだけど傷つけるのは嫌だ、傷つけたって構わない、好かれたい、(一方的に)愛されたい、あらゆる
ひたむきな星屑(と閉塞感のお話)
戯曲に関する断片的なメモ。
ポストドラマ演劇というジャンルを身をもって知りたくて読んでみた。
赤いテールランプの描写がすごく良かった。不安、ざわめき、懐かしさとかが叫びをあげそうな感覚があった。これ以外にも実際に舞台ではどう表現するのか気になるところが多くあり、生で観てみたい気持ちになった。
ひょんな矛盾から大火事に発展する展開が面白かった。よくある構成ではあるかもしれないが、湘南ラーメンへのク
イ・チャンドン『バーニング』
まだ書き途中。
最高の映画だった。
一見無駄そうに見えるが、何一つ無駄なダイアログやショットが存在しない。しかしそれは現代大衆カルチャー特有の浅い「伏線」という詰まらない効果の事ではない。これは村上春樹自体に言える事ではあるが、その「伏線」カルチャーの不毛さを批判しているとも取れる。それかそもそもそんなものは眼中にない。
インモラルの連続だった。ただそれがよくある登場人物の行動のインモラルだ
論題となりうる「東京」性って海外の都市にも見えたりするのだろうか。空虚なようで大食いな口。
野田秀樹『フェイクスピア』
お芝居に関する断片的なメモ。(もっとしっかり書くためにもう一度見たいが、大阪までは行かれない。)
ここまで泣かせにくる展開とは思わず、かなり驚かされた。というのも物語途中まではそういった様相は感じさせず、難解でスピード感のある展開が続いていた為、ラストが良い意味で裏切りのように感じられた。観客たちの鼻を啜る音が劇場の一体感を際立てていた。
しかし「泣ける」が大事なところではない、という所から出発
山種美術館『百花繚乱ー華麗なる花の世界ー』
日本画、それも植物のみ展示だったが、改めてそれを鑑賞する事は中々出来た事ではないためにすごく充実した時間となった。
自分は花の絵を立ち止まって観るという事はしなくなってしまっている。それを四角で囲み、目の前で立ち止まるよう示してくれている。そもそものギャラリーの大きな役割。
和歌と結びつきが強い。日本らしい固定化した種の花。
花を通して、季節を描く、叙情とする。それの最も簡素化されて提示してい
演劇、割と自分にとっては汚いものに触れたり、目を向けたりする唯一のものかも
倉橋由美子『聖少女』
に関する断片的な感想。(まだ書き途中。)
文体がとにかく絢爛。かつそれに本人が強い自負があり、才覚を持ってして、現代小説やその他テキストを厳しく睨んでいるといった印象を受けた。(一方で著者と語り主体を同一視すべきかという問題は存在する。)
源氏物語の原始的な主題と仏教説話に見られる紫式部の末路を想起した。美の追求。とそれが"現実"には不可能だという逃げられない答案。
著者の美意識(著者に見ら
トランスレーションズ展
「ズ」なのがなんかほっこりする。でこぼこフレンズみたいな笑 それが先ず良かった。
当初表明文のようなものを読んだ時に最早それは「トランスレーション」ではなく、「アダプテーション」で良いのでは?アダプテーションの中の一つとしてトランスレーションがあるのではないかと思ったが、中へ進んでみると「トランスレーション」が最良の表現なのだと思わされた。
手話を使って表現を試みる映像がすごかった。何とも形容
人形を作る仕事がしたい。幅広い意味で。命を吹き込む仕事がしたい。
何度も何度も忘れそうになるけどテクノロジーは本質ではない。