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私が「虐待」に気付くまで
私がいつ自分の虐待に気付いたのか、と改めて問われるといつだっただろうと自分でも疑問に思う。けれど以前から少しの違和感を感じていたことは確かだ。
その違和感を初めて口にしたのは、大学3年の頃だったと思う。何の話の流れだったかは忘れたが、私はパートナーに何とはなしに話を振った。
「うち、バイト代を親になんだかんだ理由をつけてとられちゃうんだよね。」
そんなことを言った覚えがある。当時私は塾講師の
「過干渉」はなぜ毒か
「うちの母親は過干渉なんですよ」
私がそう言うと結構な数の人に「それはお母さんもあなたのことが心配なんだよ」とか「大切にされているんだよ」と返される。
昔は素直に受け取って、「そうか、親も私のことを大切に思ってくれているんだな」と嫌な気持ちに蓋をしてきたものだが、最近は「やっぱり違うんじゃないか?」と思うようになってきた。
それは自分の親が「毒親」なのではないかという気づきを得たことに端を発
「虐待」と認識すること
自分の親が「毒親である」、そしてされた扱いが「虐待である」ということを認めるのは結構大変な作業だ。
自分をここまで「育てて」くれた相手を否定的に捉えることは、巡り巡って今の自分自身の根幹を否定することにも繋がる。できれば自分の根幹は傷つけたくないし、可能な限り守りたいと思う人は少なくないだろう。
けれど、「生きづらさ」を取り除くためには親を「毒親」と認め、彼らに背負わされた「虐待」というものを
笑う毒親、泣く子ども
毒親を持つ人で「親に笑われた」経験を持つ人は少なくないだろう。
その理由は子どもの失敗かもしれないし、毒親が子どもを見下す行為によってかもしれない。いずれにせよ、毒親は自身の子どもを「格下の存在」として認識している。
たぶん毒親は子どもを思うがままにしたいのだ。自分の好きなように遊べるおもちゃにしたいに違いない。事実毒親は私たちを支配しようとする。暴力や暴言、その他様々な手段を用いて子どもを自分