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◆以前投稿した記事について、加筆修正しました。
「彼のメスは何を切ったのか? /手塚治虫,ブラック・ジャック「医者はどこだ!」
https://note.com/hiroimasaharu/n/n37a948a8a46b
彼のメスは何を切ったのか? /手塚治虫,ブラック・ジャック「医者はどこだ!」
1 はじめに今回は、手塚治虫の『ブラック・ジャック①』所収「医者はどこだ!」(秋田文庫,1995)について、一視角から考えてみたいと思います。
*作画の魅力とストーリー展開の妙、平易ながらも人間心理を抉るセリフは、現物を読まなければおよそ感得不能ですので、ご興味のある方はぜひ下記文庫をお読みいただきたいと思います。
手塚治虫『BLACK JACK 第1巻』(秋田文庫,1995)
秋田書店のWe
◆R・エスポジト イタリア哲学の回帰
こうした外への径路が必要になるのは、いずれの著作家の場合でも、抽象的な思考、あるいは形而上学的な論理の思考から出発してしまうと、生を捉えきれないためなのです。なぜなら、生の具体的な姿は、そうした思考から必然的にこぼれ落ちてしまうからです。
◆以前投稿した記事について、加筆修正しました。
「彼のメスは何を切ったのか? /手塚治虫,ブラック・ジャック「医者はどこだ!」
https://note.com/hiroimasaharu/n/n37a948a8a46b
◆「人間」の自由や「人」の自由を言うひとも、決して「個人」の自由とは言わない。なぜなら自身が集団・団体に従属的に属し、自身の「個」を埋没させているからである。メンバーの個(つまり個別性に潜む無限の内包)を尊重できず面罵しておきながら、「人間の自由」を講義するなど滑稽である。
◆法律の実務家としては「方法論的分節(主義?)」といういき方が最もしっくりくるようだ。無限の内包を有する流動する現実のなかで、区別と連結を踏まえた分節を前提に、外部の諸項の接続秩序に内部のそれで対峙する。そのため、「かのように」「みなす」やレトリック論とも親和的となる。
◆クリプトメモリア(criptomemoria)無意識のうちに潜在している記憶.暗示攻撃・防御、分からなくても何度も読む理由、何かがあると直感しその方向へ行こうと思う理由等のベースにあるのだろう。*カルロ・ギンズブルグ「わたしはアルナルド・モミリアーノから何を学んできたか」参照
◆「謎掛け・謎解き」は、厳密方面に行けば学問や法廷等となり、気楽方面に行けば推理小説・クイズ等となる。しかしC・ギンズブルグは、シャーロック・ホームズの方法を19世紀末頃の推論的範例の一つとし、これを長大な歴史を持つ思考類型の系譜に位置付けた。こうした自在な横断的知性が好きだ。
◆発見的認識の造形という佐藤信夫レトリック論の視圏は、対象を捉える新しい眼を示唆する。贅沢品たる修飾のための修辞概念を優に超え出て、現実という無限の内包の豊饒性に対応するように、無数のロジック展開(これは諸項の接続秩序の様相の一部)の在り方の一部、特に新生的局面に位置付けられる。
◆訴訟等法実務に飛び込めば、狭小で単調な実証主義的姿勢はすぐに行き詰まり、懐疑から楽天的に至るナラティブ的姿勢はお呼びですらない(これらが結局は「力への信奉」を生むことは興味深い)。そこで徴候からの推論的範例・徴候解読型パラダイムを駆使するのであるが、方法論の蓄積は十分だろうか。