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「デスノート・ザ・ミュージカル」 世界へ向けて
「デスノート」をミュージカルにする、そうした動きが始まったのは確か
2011年から13年ころのことだと思う。
2012年、作曲家フランク・ワイルドホーンのミュージカル「ボニー&クライド」を上演したとき、出演者の濱田めぐみの歌声を大層気に入ったフランクが「メグミのCDを作るべきだ」と打ち上げの会場で言い出した。
僕は軽い気持ちで「あなたのプロデュースで、レコーディングの費用を極力抑えて、ニューヨ
13年前。2011年3月11日からの1週間のメモ
東日本大震災が発生して13年が経った。
この年月はあっという間で、あの日のことは今でも鮮明に記憶している。
当時、地震発生から1週間経って、忘れないように起こったことをメモしていた。
あの時、ホリプロで、私はどうしていたのか?
メモを紐解いてみると…、
2011年3月11日、朝10時から霞ヶ関で総務省の会議。
終了後青山に移動して映像コンテンツ権利処理機構の会議。14時半頃終了し、帰社する途中
僕を励ましてくれる言葉たち
大学生くらいから、気になった言葉を書き留めておく習慣がある。
有名、無名、国籍は問わず、本で読んだり、ニュースで見たりしたときに「おやっ」と思ったときに今日まで続けてきた。
そんな言葉たちの一部をご紹介しよう。
「独創性とは、思慮深い模倣に過ぎない。」
ヴォルテール(哲学者)
「人類は一つの、とても効果的な武器を持っている。それは笑いだ。」
「やったことは、たとえ失敗しても20年後には、笑い話
1987年 人生の舵が切られた二度目のニューヨーク
初めてニューヨークへ行ってから5年が経った21歳大学4年の時。就職前の夏休みに、兄がたまたま仕事でニューヨークにいるということもあって、一人で2度目のニューヨーク旅行に行った。
日中はほぼ一人でぶらぶらして、ミュージカルを見て、夜も何日かは一人で夕食をとることもあった。
この時もいくつかミュージカルを見たが、どれも素晴らしい僕の中で忘れられない作品たちとなった。
リンカーンセンターで見た「Any
「バンズ・ヴィジット」の後日談
ミュージカル「バンズ・ヴィジット」の公演が全て終了した。
ネタバレになると思っていたので、詳細は明かさなかったが、この作品は「何も起こらない一夜の話」と説明してきた。
でも本当にそうだろうか?
ツイートでは「あなたが何も起こらないと言うから、チケットが売れない」というご批判も頂戴したが、我が身に例えると人生で日々何も起こらない日などあるだろうか?
僕らは東日本大震災やこの3年のコロナ禍を経験してき
ビリーへの道(再掲)
2017年ミュージカル「ビリー・エリオット」上演中、「ビリーへの道」というテーマでツイートを繰り返していました。この初演が失敗すれば、二度と再演はないと思って必死だったのを思い出します。
あんなに苦労して頑張った子供の俳優達、スタッフの事を考えて、その過程を無駄にしたくなかったからです。140文字以内のツイートの時系列での羅列ですから、文章にはなっていませんが、改めて再掲します。
それでは、当時を
人生を変えたミュージカル「ビリーエリオット」
ミュージカル「ビリー・エリオット」については、2017年の初演、2020年の再演時に語りつくした感があるので、当時Facebookに掲載したもの、Twitterでつぶやいていた「ビリーへの道」を2回に分けてこちらで再度ご披露することにしました。
早い話、ゼロから書くよりコピペの方が楽なので...。
では前編。こちらは2017年日本初演の初日直後にFacebookに掲載したものです。
当初初日を迎え
ミュージカル「バンズ・ヴィジット」のはなし
演劇の制作会社の仕事は大きく三つに分かれるのかも知れない。
いかに素晴らしいオリジナル作品を作るか?いかに大ヒットした海外の作品の上演権を確保するか?著作権が消滅した原作をいかに現代的に舞台化して上演するか?
ホリプロを主語に例をあげれば、一つ目は「デスノート」であり、二つ目は「ハリーポッター」であり、三つ目はシェイクスピアシリーズなのだろう。
二つ目はブロードウェイやウェストエンドで評判になった
初めてのニューヨーク
一体いつ舞台を見始めたか、ミュージカルを見たのかはさっぱり覚えていない。
「ピーターパン」が日本で始まったのが1981年、15歳の頃なので多分これなのだろう。
ただ当時アイドルでも1ヶ月の座長公演では、一部芝居、二部歌謡ショーという構成だったので、お芝居やミュージカルらしきものは見ていた。
さらに「雨に唄えば」などのツアー公演も日本に来ていたので、それらのうちのどれかだろう。
映画も「サウンド・オ
独白 ホリプロ会長のエンタメ遍歴
この6月に株式会社ホリプロの社長を退任して、持株会社ホリプログループグループホールディングスの社長CEOに専念し、ホリプロをはじめ全てのグループを束ねる「ホリプログループ会長」という立場になった。
だから悠々自適というわけではないが、少し時間の余裕がある時に自分の来し方を残しておこうとnoteで散文をしたためようと思う。
かつてメディアのインタビューを受ける度に、私の紹介として「ミュージカル製作