細谷博

日本近代文学と比較文学の研究と教育を経て、改めて世の現実を見極めたいと願う身。あらゆる…

細谷博

日本近代文学と比較文学の研究と教育を経て、改めて世の現実を見極めたいと願う身。あらゆる生は時間切れに。新著『漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』。他に、岩波新書『太宰治』 『小林秀雄 人と文学』 『所与と自由』 『凡常の発見 漱石・谷崎・太宰』 『小林秀雄論』等

記事一覧

【『細雪』を読む(2) ── 日常の感触】

 正月早々の大地震で大変なことになっているが、『細雪』にも昭和13年の阪神大水害が書かれている。激しい水流に飲み込まれそうになったり、水没する部屋からかろうじて脱…

細谷博
4か月前
1

【『細雪』を読む(1) ── The Makioka Sisters】

 さて次は、谷崎潤一郎の『細雪』を読んでみよう。  『細雪』は、『雪国』とほぼ同時期の昭和11年から16年頃の日本の中上流の家族を描いている。昭和18年からの雑誌掲載…

細谷博
4か月前
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何分の一

朝空にASA NISI MASAとおらばんか 魂ふりなりふり振り捨てて 生きるとは鉄鉤(かぎ)破るのみでなく ポモドロ植えよザンパノよ 茶半

細谷博
9か月前
1

『道草』を読む(4) ──「昔の男」

健三が出会った男は何者なのか。 答えることは決して困難ではない。それはむしろ容易に名指すことができる相手なのである。 だが、「一」では「その人」─「この男…

細谷博
9か月前
2

『道草』を読む(3) ──出会い

 そうして、最初の場面があらわれる。一人の男との邂逅である。それは、語ろうとされるものの重さを一挙に予感させる、全篇の白眉ともいうべき場面なのだ。 《ある日小雨…

細谷博
9か月前
1

道草』を読む(2) ──批判する〈語り手〉

『道草』冒頭は「遠い所」から帰った健三の思いをたどっている。 《彼の身体には新らしく後に見捨てた遠い国の臭がまだ付着していた。彼はそれを忌んだ。一日も早くその臭…

細谷博
9か月前
1

『道草』を読む(1) ──待たされる読み

漱石の一人称の誘引力はいうまでもない。『坊っちゃん』や『こころ』の心地よいまでの一人称の語りは、読み手の視線を語り手から書き手の方へと向かわせる強い力を持っ…

細谷博
9か月前
1

「君たちはどう生きるか」

「国民」という言葉に対するアレルギーは、戦後教育を受けた我々団塊の中に浸透しているものの一つです。耳ざわりのよい「市民」を決め込んで、煩わしい共同体の問題から逃…

細谷博
9か月前
3

『嘔吐』を読む(35)──一時間後(3) 対〈存在〉であるよりも、対〈人間〉ではなかったのか

 ロカンタンは、いわば〈祭りの後〉にいるのだ。 《この私は、本当の冒険を体験したのだった。細かいことはまったく思い出せないが、いろいろな状況の厳密な繋がりが目に…

細谷博
10か月前
3

『嘔吐』を読む(34)──一時間後(2)はたして「アウトサイダー」なのか

《市電の二階に若い女が吹きさらしのなかに坐っている。ドレスがまくれ、風をはらむ。雑踏した人と車の流れが、私と女とを遮る。市電は走り去って、悪夢のように消える。 …

細谷博
10か月前
1

「セルヴァンテスは、ドン・キホーテではなかった」

 三島由紀夫の言葉である。  最初の本のあとがきで、私がそれを磯田光一の三島論中の言葉として誤記したことは既に書いたが、考えてみると、それは単なる誤認というより…

細谷博
11か月前
2

明治3年の家族

浮世絵から狩野派を経て横浜絵を発想した洋画家 五姓田芳柳(ごせだ、五度姓を変じた)の次男五姓田義松の家族図。10歳でポンチ絵のワーグマンに師事したという筆使い。…

細谷博
11か月前
1

中也詩 遥奈の節付け

再聴、感心新たに。曲、歌唱、映像も。 中也詩への、諸井三郎他「スルヤ」、大岡昇平らの曲付けは勿論だが、我等の若き同時代人、遥奈の節付け、歌唱も中々のもの。 https:…

細谷博
11か月前
5

BBC「テック企業トップが警鐘 AIで人類滅亡リスク」

BBC、毎日「AIで人類滅亡リスク テック企業トップが警鐘」2023年5月31日 チャットGPTトップらが ……★チャットGPTを開発したオープンAIのCEOまでが署名という。先日の…

細谷博
11か月前
2

温顔の下に

三島由紀夫は「人間にとっての悲劇は、もう若くはないということではなくて、心ばかりがいつまでも若いというところにあるように、夏が去ったあとも我々の心に夏が燃え…

細谷博
11か月前
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微笑み

京都伏見で人と会った。 十数年振りで見るその人は野球帽にマスク。が、席に着き帽子をとると白髪広がり、マスクの下には白い歯が並ぶ。元気そうだ。 京都で町…

細谷博
11か月前
2
【『細雪』を読む(2) ── 日常の感触】

【『細雪』を読む(2) ── 日常の感触】

 正月早々の大地震で大変なことになっているが、『細雪』にも昭和13年の阪神大水害が書かれている。激しい水流に飲み込まれそうになったり、水没する部屋からかろうじて脱出する様などが如実に描かれているのだ。戦争や災害以外にも、病気や流産があり、若者の悶死まで出てくる。
 『細雪』は、病気で始まり病気で終わる、と言われる。それは冒頭の幸子の「B足らん」(脚気)と、末尾の雪子の下痢を指しているのだが、その間

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【『細雪』を読む(1) ── The Makioka Sisters】

【『細雪』を読む(1) ── The Makioka Sisters】

 さて次は、谷崎潤一郎の『細雪』を読んでみよう。

 『細雪』は、『雪国』とほぼ同時期の昭和11年から16年頃の日本の中上流の家族を描いている。昭和18年からの雑誌掲載は軍部の圧力で中止となるが、発表のあてなく書き継がれて戦後に刊行、評判となった小説である。

 恐慌や凶作に襲われクーデター未遂まで起きた時代に、『雪国』の島村も『細雪』の蒔岡姉妹も都会人として恵まれた生活を送っていると見える。中野

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何分の一

何分の一

朝空にASA NISI MASAとおらばんか
魂ふりなりふり振り捨てて

生きるとは鉄鉤(かぎ)破るのみでなく
ポモドロ植えよザンパノよ

茶半

『道草』を読む(4) ──「昔の男」

『道草』を読む(4) ──「昔の男」

健三が出会った男は何者なのか。
答えることは決して困難ではない。それはむしろ容易に名指すことができる相手なのである。
だが、「一」では「その人」─「この男」─「その男」─「この男」─「その人」と呼称が揺らぎ、「二」になっても「帽子を被らない男」と意味ありげに呼ばれるのだ。「島田」という実名が出てくるのは「七」になってからであり、健三と男との関係の開示まで読者はさらに待たされるのであ

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『道草』を読む(3) ──出会い

『道草』を読む(3) ──出会い

 そうして、最初の場面があらわれる。一人の男との邂逅である。それは、語ろうとされるものの重さを一挙に予感させる、全篇の白眉ともいうべき場面なのだ。

《ある日小雨が降った。その時彼は外套も雨具も着けずに、ただ傘を差しただけで、何時もの通りを本郷の方へ例刻に歩いて行った。すると車屋の少しさきで思い懸けない人にはたりと出会った。その人は根津権現の裏門の坂を上って、彼と反対に北へ向いて歩いて来たものと見

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道草』を読む(2) ──批判する〈語り手〉

道草』を読む(2) ──批判する〈語り手〉

『道草』冒頭は「遠い所」から帰った健三の思いをたどっている。

《彼の身体には新らしく後に見捨てた遠い国の臭がまだ付着していた。彼はそれを忌んだ。一日も早くその臭を振い落さなければならないと思った。》一

ここで、なるほどこの男は「遠い国」を経てさらに進もうとしているのか、と納得して先に行こうとした読み手は、その後に続く次の文に出会い、はっとさせられるだろう。

《そうしてその臭のうちに潜んでいる

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『道草』を読む(1) ──待たされる読み

『道草』を読む(1) ──待たされる読み

漱石の一人称の誘引力はいうまでもない。『坊っちゃん』や『こころ』の心地よいまでの一人称の語りは、読み手の視線を語り手から書き手の方へと向かわせる強い力を持っている。すなわち、我々はそこで、漱石その人の声をじかに聴きたくなるのだ。
だが、『道草』は一人称で書かれてはいない。なおかつ、『道草』は自伝的小説といわれるごとく、我々の意識を不断に書き手の方へと誘引してやまない作品なのである。

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「君たちはどう生きるか」

「君たちはどう生きるか」

「国民」という言葉に対するアレルギーは、戦後教育を受けた我々団塊の中に浸透しているものの一つです。耳ざわりのよい「市民」を決め込んで、煩わしい共同体の問題から逃げてきたのでしょう。宮崎駿も執着しているらしき、吉野源三郎「君たちはどう生きるか」の、色付けを排したニュートラルな人間平等の「世界」への憧れが、未だに身の内にある気がします。

それは、人間は皆平等であり、まっとうに嘘をつかず、人を差別せず

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『嘔吐』を読む(35)──一時間後(3) 対〈存在〉であるよりも、対〈人間〉ではなかったのか

『嘔吐』を読む(35)──一時間後(3) 対〈存在〉であるよりも、対〈人間〉ではなかったのか

 ロカンタンは、いわば〈祭りの後〉にいるのだ。

《この私は、本当の冒険を体験したのだった。細かいことはまったく思い出せないが、いろいろな状況の厳密な繋がりが目に浮かぶ。私はいくつもの海を渡り、いくつもの町を後にした。さまざまな川を遡り、さまざまな森に分け入った。そして常に別な町へと進んで行った。何人もの女たちをものにし、何人もの男たちと殴り合った。そして一度も後戻りすることができなかったが、それ

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『嘔吐』を読む(34)──一時間後(2)はたして「アウトサイダー」なのか

『嘔吐』を読む(34)──一時間後(2)はたして「アウトサイダー」なのか

《市電の二階に若い女が吹きさらしのなかに坐っている。ドレスがまくれ、風をはらむ。雑踏した人と車の流れが、私と女とを遮る。市電は走り去って、悪夢のように消える。
 往来する人でいっぱいの街路、まかせきったように軽やかに揺れうごくドレス、スカートがまくれる。まくれながら、しかもまくれないドレスまたドレス。
 店先の細長い鏡に、私は近づく自分の顔を見る。蒼ざめて、瞳が重たるい。私がほしいのは一人の女では

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「セルヴァンテスは、ドン・キホーテではなかった」

「セルヴァンテスは、ドン・キホーテではなかった」

 三島由紀夫の言葉である。
 最初の本のあとがきで、私がそれを磯田光一の三島論中の言葉として誤記したことは既に書いたが、考えてみると、それは単なる誤認というより、どうやら私の裡にあった三島由紀夫に対する厭悪によるものだったようである。

 評論集『小説家の休暇』で三島は、
《ドン・キホーテは作中人物にすぎぬ。セルヴァンテスは、ドン・キホーテではなかった。どうして日本の或る種の小説家は、作中人物たら

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明治3年の家族

明治3年の家族

浮世絵から狩野派を経て横浜絵を発想した洋画家 五姓田芳柳(ごせだ、五度姓を変じた)の次男五姓田義松の家族図。10歳でポンチ絵のワーグマンに師事したという筆使い。父芳柳に寄り添う面々、前妻、後妻、子ら。
姿勢、表情、視線がそれぞれの胸中をあらわす。150年前の思いが目に見えるかの様。赤児の顔までが何かを…。

愛知県美術館企画展「近代日本の視覚開化 明治」

中也詩 遥奈の節付け

中也詩 遥奈の節付け

再聴、感心新たに。曲、歌唱、映像も。
中也詩への、諸井三郎他「スルヤ」、大岡昇平らの曲付けは勿論だが、我等の若き同時代人、遥奈の節付け、歌唱も中々のもの。
https://www.youtube.com/watch?v=99UnEyexXkY
中原中也「汚れつちまつた悲しみに」
#中原中也 #遥奈 #諸井三郎 #スルヤ #大岡昇平

BBC「テック企業トップが警鐘 AIで人類滅亡リスク」

BBC「テック企業トップが警鐘 AIで人類滅亡リスク」

BBC、毎日「AIで人類滅亡リスク テック企業トップが警鐘」2023年5月31日 チャットGPTトップらが

……★チャットGPTを開発したオープンAIのCEOまでが署名という。先日のヒントン博士の警告(NHK)についで、さらに。むしろ、一般素人の危惧をなだめるはずの連中が……、開いた口が……。

 人工知能(AI)が人類滅亡を招く恐れがあると、専門家らが警告を発している。
 ウェブサイト「センタ

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温顔の下に

温顔の下に

三島由紀夫は「人間にとっての悲劇は、もう若くはないということではなくて、心ばかりがいつまでも若いというところにあるように、夏が去ったあとも我々の心に夏が燃えつきないのが悲劇なのだ」という。名言である。だが──

もう若くはない身で、なお心ばかりが若いということは、本人にとっては悲劇であるが 、アロンソ・キハーノの愚行のごとく、見る者にとっては喜劇である。かつ、それをみずから悲

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微笑み

微笑み

京都伏見で人と会った。
十数年振りで見るその人は野球帽にマスク。が、席に着き帽子をとると白髪広がり、マスクの下には白い歯が並ぶ。元気そうだ。
京都で町家やビルの設計をしてきた建築士、花見小路一力の向かいにも手がけた店があるという。
五十年前、遠縁に当たる彼の妻の実家を訪ねた。若く溌剌とした彼女は、ふらっと現れた若造を、特別な人に会わせると引っ張って行き、伏見の町の片

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