正月早々の大地震で大変なことになっているが、『細雪』にも昭和13年の阪神大水害が書かれている。激しい水流に飲み込まれそうになったり、水没する部屋からかろうじて脱…
さて次は、谷崎潤一郎の『細雪』を読んでみよう。 『細雪』は、『雪国』とほぼ同時期の昭和11年から16年頃の日本の中上流の家族を描いている。昭和18年からの雑誌掲載…
朝空にASA NISI MASAとおらばんか 魂ふりなりふり振り捨てて 生きるとは鉄鉤(かぎ)破るのみでなく ポモドロ植えよザンパノよ 茶半
健三が出会った男は何者なのか。 答えることは決して困難ではない。それはむしろ容易に名指すことができる相手なのである。 だが、「一」では「その人」─「この男…
そうして、最初の場面があらわれる。一人の男との邂逅である。それは、語ろうとされるものの重さを一挙に予感させる、全篇の白眉ともいうべき場面なのだ。 《ある日小雨…
『道草』冒頭は「遠い所」から帰った健三の思いをたどっている。 《彼の身体には新らしく後に見捨てた遠い国の臭がまだ付着していた。彼はそれを忌んだ。一日も早くその臭…
漱石の一人称の誘引力はいうまでもない。『坊っちゃん』や『こころ』の心地よいまでの一人称の語りは、読み手の視線を語り手から書き手の方へと向かわせる強い力を持っ…
「国民」という言葉に対するアレルギーは、戦後教育を受けた我々団塊の中に浸透しているものの一つです。耳ざわりのよい「市民」を決め込んで、煩わしい共同体の問題から逃…
ロカンタンは、いわば〈祭りの後〉にいるのだ。 《この私は、本当の冒険を体験したのだった。細かいことはまったく思い出せないが、いろいろな状況の厳密な繋がりが目に…
《市電の二階に若い女が吹きさらしのなかに坐っている。ドレスがまくれ、風をはらむ。雑踏した人と車の流れが、私と女とを遮る。市電は走り去って、悪夢のように消える。 …
三島由紀夫の言葉である。 最初の本のあとがきで、私がそれを磯田光一の三島論中の言葉として誤記したことは既に書いたが、考えてみると、それは単なる誤認というより…
浮世絵から狩野派を経て横浜絵を発想した洋画家 五姓田芳柳(ごせだ、五度姓を変じた)の次男五姓田義松の家族図。10歳でポンチ絵のワーグマンに師事したという筆使い。…
再聴、感心新たに。曲、歌唱、映像も。 中也詩への、諸井三郎他「スルヤ」、大岡昇平らの曲付けは勿論だが、我等の若き同時代人、遥奈の節付け、歌唱も中々のもの。 https:…
BBC、毎日「AIで人類滅亡リスク テック企業トップが警鐘」2023年5月31日 チャットGPTトップらが ……★チャットGPTを開発したオープンAIのCEOまでが署名という。先日の…
三島由紀夫は「人間にとっての悲劇は、もう若くはないということではなくて、心ばかりがいつまでも若いというところにあるように、夏が去ったあとも我々の心に夏が燃え…
京都伏見で人と会った。 十数年振りで見るその人は野球帽にマスク。が、席に着き帽子をとると白髪広がり、マスクの下には白い歯が並ぶ。元気そうだ。 京都で町…
細谷博
2024年1月2日 16:29
正月早々の大地震で大変なことになっているが、『細雪』にも昭和13年の阪神大水害が書かれている。激しい水流に飲み込まれそうになったり、水没する部屋からかろうじて脱出する様などが如実に描かれているのだ。戦争や災害以外にも、病気や流産があり、若者の悶死まで出てくる。 『細雪』は、病気で始まり病気で終わる、と言われる。それは冒頭の幸子の「B足らん」(脚気)と、末尾の雪子の下痢を指しているのだが、その間
2024年1月2日 16:21
さて次は、谷崎潤一郎の『細雪』を読んでみよう。 『細雪』は、『雪国』とほぼ同時期の昭和11年から16年頃の日本の中上流の家族を描いている。昭和18年からの雑誌掲載は軍部の圧力で中止となるが、発表のあてなく書き継がれて戦後に刊行、評判となった小説である。 恐慌や凶作に襲われクーデター未遂まで起きた時代に、『雪国』の島村も『細雪』の蒔岡姉妹も都会人として恵まれた生活を送っていると見える。中野
2023年7月26日 22:41
朝空にASA NISI MASAとおらばんか魂ふりなりふり振り捨てて生きるとは鉄鉤(かぎ)破るのみでなくポモドロ植えよザンパノよ茶半
2023年7月22日 20:02
健三が出会った男は何者なのか。 答えることは決して困難ではない。それはむしろ容易に名指すことができる相手なのである。だが、「一」では「その人」─「この男」─「その男」─「この男」─「その人」と呼称が揺らぎ、「二」になっても「帽子を被らない男」と意味ありげに呼ばれるのだ。「島田」という実名が出てくるのは「七」になってからであり、健三と男との関係の開示まで読者はさらに待たされるのであ
2023年7月21日 12:19
そうして、最初の場面があらわれる。一人の男との邂逅である。それは、語ろうとされるものの重さを一挙に予感させる、全篇の白眉ともいうべき場面なのだ。《ある日小雨が降った。その時彼は外套も雨具も着けずに、ただ傘を差しただけで、何時もの通りを本郷の方へ例刻に歩いて行った。すると車屋の少しさきで思い懸けない人にはたりと出会った。その人は根津権現の裏門の坂を上って、彼と反対に北へ向いて歩いて来たものと見
2023年7月21日 12:16
『道草』冒頭は「遠い所」から帰った健三の思いをたどっている。《彼の身体には新らしく後に見捨てた遠い国の臭がまだ付着していた。彼はそれを忌んだ。一日も早くその臭を振い落さなければならないと思った。》一ここで、なるほどこの男は「遠い国」を経てさらに進もうとしているのか、と納得して先に行こうとした読み手は、その後に続く次の文に出会い、はっとさせられるだろう。《そうしてその臭のうちに潜んでいる
2023年7月21日 12:13
漱石の一人称の誘引力はいうまでもない。『坊っちゃん』や『こころ』の心地よいまでの一人称の語りは、読み手の視線を語り手から書き手の方へと向かわせる強い力を持っている。すなわち、我々はそこで、漱石その人の声をじかに聴きたくなるのだ。 だが、『道草』は一人称で書かれてはいない。なおかつ、『道草』は自伝的小説といわれるごとく、我々の意識を不断に書き手の方へと誘引してやまない作品なのである。
2023年7月17日 17:29
「国民」という言葉に対するアレルギーは、戦後教育を受けた我々団塊の中に浸透しているものの一つです。耳ざわりのよい「市民」を決め込んで、煩わしい共同体の問題から逃げてきたのでしょう。宮崎駿も執着しているらしき、吉野源三郎「君たちはどう生きるか」の、色付けを排したニュートラルな人間平等の「世界」への憧れが、未だに身の内にある気がします。それは、人間は皆平等であり、まっとうに嘘をつかず、人を差別せず
2023年6月24日 11:08
ロカンタンは、いわば〈祭りの後〉にいるのだ。《この私は、本当の冒険を体験したのだった。細かいことはまったく思い出せないが、いろいろな状況の厳密な繋がりが目に浮かぶ。私はいくつもの海を渡り、いくつもの町を後にした。さまざまな川を遡り、さまざまな森に分け入った。そして常に別な町へと進んで行った。何人もの女たちをものにし、何人もの男たちと殴り合った。そして一度も後戻りすることができなかったが、それ
2023年6月17日 16:57
《市電の二階に若い女が吹きさらしのなかに坐っている。ドレスがまくれ、風をはらむ。雑踏した人と車の流れが、私と女とを遮る。市電は走り去って、悪夢のように消える。 往来する人でいっぱいの街路、まかせきったように軽やかに揺れうごくドレス、スカートがまくれる。まくれながら、しかもまくれないドレスまたドレス。 店先の細長い鏡に、私は近づく自分の顔を見る。蒼ざめて、瞳が重たるい。私がほしいのは一人の女では
2023年6月8日 17:56
三島由紀夫の言葉である。 最初の本のあとがきで、私がそれを磯田光一の三島論中の言葉として誤記したことは既に書いたが、考えてみると、それは単なる誤認というより、どうやら私の裡にあった三島由紀夫に対する厭悪によるものだったようである。 評論集『小説家の休暇』で三島は、《ドン・キホーテは作中人物にすぎぬ。セルヴァンテスは、ドン・キホーテではなかった。どうして日本の或る種の小説家は、作中人物たら
2023年6月4日 10:37
浮世絵から狩野派を経て横浜絵を発想した洋画家 五姓田芳柳(ごせだ、五度姓を変じた)の次男五姓田義松の家族図。10歳でポンチ絵のワーグマンに師事したという筆使い。父芳柳に寄り添う面々、前妻、後妻、子ら。 姿勢、表情、視線がそれぞれの胸中をあらわす。150年前の思いが目に見えるかの様。赤児の顔までが何かを…。愛知県美術館企画展「近代日本の視覚開化 明治」
2023年6月4日 10:29
再聴、感心新たに。曲、歌唱、映像も。中也詩への、諸井三郎他「スルヤ」、大岡昇平らの曲付けは勿論だが、我等の若き同時代人、遥奈の節付け、歌唱も中々のもの。https://www.youtube.com/watch?v=99UnEyexXkY中原中也「汚れつちまつた悲しみに」 #中原中也 #遥奈 #諸井三郎 #スルヤ #大岡昇平
2023年6月4日 10:17
BBC、毎日「AIで人類滅亡リスク テック企業トップが警鐘」2023年5月31日 チャットGPTトップらが……★チャットGPTを開発したオープンAIのCEOまでが署名という。先日のヒントン博士の警告(NHK)についで、さらに。むしろ、一般素人の危惧をなだめるはずの連中が……、開いた口が……。 人工知能(AI)が人類滅亡を招く恐れがあると、専門家らが警告を発している。 ウェブサイト「センタ
2023年5月30日 23:14
三島由紀夫は「人間にとっての悲劇は、もう若くはないということではなくて、心ばかりがいつまでも若いというところにあるように、夏が去ったあとも我々の心に夏が燃えつきないのが悲劇なのだ」という。名言である。だが── もう若くはない身で、なお心ばかりが若いということは、本人にとっては悲劇であるが 、アロンソ・キハーノの愚行のごとく、見る者にとっては喜劇である。かつ、それをみずから悲
2023年5月30日 00:01
京都伏見で人と会った。 十数年振りで見るその人は野球帽にマスク。が、席に着き帽子をとると白髪広がり、マスクの下には白い歯が並ぶ。元気そうだ。 京都で町家やビルの設計をしてきた建築士、花見小路一力の向かいにも手がけた店があるという。 五十年前、遠縁に当たる彼の妻の実家を訪ねた。若く溌剌とした彼女は、ふらっと現れた若造を、特別な人に会わせると引っ張って行き、伏見の町の片