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この先経済的にある程度豊かになっても心の拠り所がないから改善はされないと思う。
ならいつ終わっても同じって考える。
恋人欲しいとか思うけど、このネガを伝染させてしまいそうで申し訳ない。
仮にそこをクリアしても将来この遺伝子を残すべきではないから相手の期待には添えないことになる。
つまり詰み。
人生を変えるのは自分だってわかってるけど、別に好転させたいと思わない。
死ぬなら死ぬでいい。
誰かに支えてもらいたいけど、
その人を引きずり込んでしまうと思うと申し訳ない。
寝てる時が一番幸せ。
なにも意識しなくていいから。
できるなら誰かに寿命あげても全然構わないんだよな。
実際に友達に会ってもしんどい。
内情をそのまま表に出しても相手が気まずいだろうし、本音をひた隠しにして振る舞っても発散できない。
そもそも向こうが多少なりとも身構えてしまっているということが申し訳ない。
っていう思いがまたしんどい。
じゃあポジティブにしてくれる人をそばに置けばいい
っていう方法があるけど、これだけのネガティブにはそういうポジティブは寄り付かない。
つまりゼロイチは自分でどうにかする必要がある。
ただそれは前述のように不可能に近い。
要するに八方塞がり。
ネガティブに振る舞ってるとポジティブにはなれない。
自分がポジティブになることで周りが自然と好転していく。
この原理はわかってるけど自分のネガティブを自分ではどうにもすることができない。
根っからのネガティブは外的要因でしか改善できない。
【書評】『考具(CCCメディアハウス)』 加藤昌治
抱いた自分の欲求を周りの人、すなわちデザインしようとしている道具やモノを使う人がどう思うのか、実際のユーザーにとって使いやすいのかどうか、を厳しくチェックする。
今現在ぼくは、YouTubeのサムネイル作成を行なっているのですが、
まさにこのことが当てはまります。
『サムネイル』というのは、いわば『動画』という商品の“パッケージ”。
中にどんな商品(動画)が入っているのか、
一目で見てわかるよ
【書評】『13歳からのアート思考(ダイヤモンド社)』 末永幸歩
話題の企画展で絵画を鑑賞した気分になり、
〜中略〜
仕事や日常でも何かを選択・決断した気分になっている。
しかし、そこに「自分なりの視点」は本当にあるでしょうか?
これは“一次情報かどうか”だということだと思います。
近年ではインターネットの普及で
その場に行かずとも疑似体験をできる機会が増えています。
つまり、
二次情報や三次情報にあふれているということです。
「何かを選択・決断した気分にな
【書評】『一億総ツッコミ時代(講談社)』 マキタスポーツ
自分では何もしていなくても、他人のことは評価したい。
そうすることで自分の価値を手軽に上げようとするわけです。
このことは、最近のSNSで顕著だと思います。
本文でも「インターネットの普及により〜」と述べられていました。
ぼくはYouTubeをやっているのですが、
実際に発信者側に立ってみて感じるものは大きいです。
たとえどんなにいい動画を流しても、
評価の欄には必ず「👎」があります。
そ