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社会には自分と他人しかいない

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人間関係の記事をピックアップしていきます。不定期。
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記事一覧

だんしゃる

人生二度目の引越しを経て現在に至る。あの頃は精神を病んでいたのだが、それにしては悪くない選択だった。自分の、自分による、自分のための住居選び。あるいは病んでいたからこそ出来た決断だったのかもしれない。 引越しは断捨離の機会でもある。荷物の量はそのまま輸送コストに影響するし、新居の収納スペースに合わせた持ち物の整理も必要だ。いらないものは捨てていくことになる。 一度目の引越しからなるべく物を増やさないようにしてきた。が、それでも不要品はたくさん出た。惰性とか愛着で手放せなか

マルハラとネグレクト。

句点が怖い若者がいるらしい。この話題は世代間ギャップ、書き言葉と話し言葉、ハラスメントの線引きなど、いろいろな切り口がある。どれも面白いが、とりあえず一番気になったのは句点を怖がる理由だ。 「ありがとう」は良くて、「ありがとう。」は怖いのだという。事務的で他人行儀に見えるのが距離を置かれたように思えて怒っているのではないかと不安になるのだとか。 デリケートすぎる。とはいえ、わからないでもない。たしかに距離は感じる。でも、べつに怖くはない。これは僕が他人に親密さを求めていな

ゆるさざるもの

観るは見るに含まれているし、聴くも聞くに含まれている。微妙なニュアンスの違いはあれど、こだわりがなければ後者一択で間違いない。 同じように赦すも許すに含まれているが、調べてみると実は大きな違いがあった。許すはこれからの行いを許し、赦すは過去の行いを赦すらしい。ただ常用漢字外なので新聞などでは許すに統一されている。 正義は弱い者いじめを許さない。 この視線は未来を向いていて10年後も100年後も変わらないだろう。近しい人が弱者の立場から脱却できた途端に弱い者いじめを容認す

返報性の原理

年賀状が楽しかったのは何歳ぐらいまでだったろう。 たしか小学校も高学年になったころには面倒臭いと思い始めていて、中学生の時には貰った分にだけ返信していた。最終的にそれも煩わしくなって、この文化とは完全に決別したのだった。 何かしてもらったらお返ししたくなる心理のことを返報性の原理というらしい。原理というくらいだから遺伝子レベルで人間に備わっている特性なのだろう。それがどうも僕の場合は違うような気がするのだ。 お返ししたくなる気持ちはたしかにある。ただ、心の奥から湧いてく

さようなら

最終回みたいなタイトルだが、そうではない。これほどありふれた言葉なのに久しく使っていないことに気づいたのだ。小学校の帰りの会でテンプレート的に「先生さようなら」と言っていたのが最後だった気がする。 語源を調べると「左様ならば」が変化したものらしい。それまでの会話を切り上げて、あとに続く「ごきげんよう」や「また明日」などの挨拶につなげる接続詞として使われていたようだ。 つまり、この言葉自体に意味はない。単純に接続しているだけ。重要なのはあとに続く言葉のほうなのだが、なぜかそ

エリアチャット

ほとんどのMMORPGがエリアチャット機能を実装していると思う。このチャットを使用して発信されたメッセージは現在自分がいるエリア内の全域、もしくはある程度近くにいる他のプレイヤーたちに届く。状況にもよるが、だいたい10〜20人くらいが対象になる。 エリアチャットで交わされる知らない人同士の会話を見るのが好きだった。街の喧騒を聞いているかのような趣がある。自分でも意識的にエリアチャットを使うようにしていたが、それを快く思わない人たちもいた。 いつも同じ時間帯に同じ場所で話し

自己責任でお願いします

後ろ向きに倒れて、それを相手に支えてもらうと信頼感が高まるみたいな謎の儀式をテレビか何かで見た。トラストフォールという名前らしい。あれは人によって向き不向きがあると思う。僕には向いていない。支える側も支えられる側もやりたくない。 信じることは考えないことだ。そして考えないということは成長しないということでもある。人の意見を鵜呑みにして失敗したとき、その経験から得られるものが何もない。 あの人の言葉はもう二度と信じない! という学びはあるかもしれないが、それは結局サイコロ

強がってなどいない

自分で言うのも何だが、僕は善良な一般市民だと思う。反骨精神とかないし、法やルールに対して概ね従順である。ただ、良い子になりたいと思ったことは一度もない。自由に生きた結果がこれだった。 なんなら社会が僕に合わせているとさえ思っている。世界に溺愛されているのを感じる。もっと愛してくれてもいいんだぜ。何だこいつムカつくな。 僕が望む自由と社会の目指す方向が一致している。この状況だと社会が課すルールは何の障害にもならない。そればかりか自由を守ってくれる頼もしい味方になる。この恵ま

魔王の気持ち

生きとし生けるもの、すべての願いが叶う世界であってほしいが、そうは問屋が卸さない。魚が飛べるようになるかはまだ本人の頑張り次第で一縷の望みがある。問題は誰かの願いが別の願いを妨げるケースだ。自由はときに競合し、争いを生む。 破壊と混沌を願う魔王がいて、それを望まない人々がいる。一方の願いが叶えば、もう一方の願いが叶わない。おとぎ話だと、力で支配しようとする魔王に対して、勇者がそれ以上の力でねじ伏せるというマッチョな展開で大団円を迎える。 まあ、力づくで我を通そうとした魔王

正しく思いやる

20代のときにアルバイトで水道メーターの検針をしていたことがある。 意外とタフな仕事で、メーターの上に車が停めてあって持ち主と交渉したり、使用水量が増えていれば漏水を、減っていればメーターの故障を疑って聞き取りを行う必要があったりした。 メーターの読み方は研修で覚えられるが、人とかかわる部分は臨機応変な対応が求められる。新人の頃は先輩と一緒に現場を回りながらそのあたりのノウハウを身につけていく。 僕が先輩側の立場で接してきたバイト仲間の一人にチャラそうな男の子がいた。長

本当の優しさ

先日、日経ダブルインバースを損切りした。-35%の含み損を耐え忍んで最終的に-21%で逃げられたのだから良い判断だったと思う。まあ、2割の損失は相当エグいが、マイルールを無視して雰囲気で買ったのがそもそもの間違いなので仕方あるまい。 含み損を抱え始めたあたりから匿名掲示板の5ちゃんねるで同銘柄のスレッドを見ている。損失の多寡はあれ、僕と同様にやられちゃってる人たちが毎日の株価変動で一喜一憂している姿が楽しい。 傷を舐め合う感じではない。悲壮感もないし、お金が絡んでいるにし

赤い糸

胸を焦がすとか、君のためなら死ねるとか、そういった先人たちのポエミーな恋愛表現に皮肉なリスペクトを感じていた。実際に体験してみると意外に大げさでもなく、素朴で飾らない表現にさえ思えた。そうなると運命の赤い糸も誇大妄想とは言い切れないのではないか。 変わり者の自分が50年も生きて初めて心を奪われた相手が、同じような価値観で生きているようにみえた。非常識な結婚観も彼女ならある程度は共感してくれそうな気がする。 ただの願望だといくら言い聞かせても、心のどこかで赤い糸の存在を信じ

結婚観

昔から結婚するために相手を探すのは手段と目的が逆な気がしていて、ついに相手がいないままこの歳になってしまったわけだが、今回の片想いでようやく結婚について考える機会が訪れた。 誰かのそばにいたいという感情を覚えた今でも、やはり他人とは隣人の関係が望ましいと考える。同棲しようが籍を入れようが気持ちはずっと隣人でいたい。そのくらい極端に僕は依存を嫌っている。 基本的に自分のことは自分でできる。パートナーもそうであってほしい。結婚相談所の人が聞いたら目を丸くしそうだが、最初から支

半身

他の好きには順位がつけられる。犬より猫が好き。秋より春が好き。ナポリタンよりミートソースが好き。 一方、この恋心と思しき感情は特定の一人にだけ向けられていて比較対象がない。別の女性と比べてどのくらい好きだと相対化することができない。ナポリタンしか知らない状態なのかもしれないが、だとしたら確率的にミートソースを知るのは今からさらに50年後になる。 テレビを観て笑っていても、コンビニで買ったパンが美味しくても、それでは足りないと感じるようになった。同じものを見たり食べたりした