見出し画像

随筆(2021/9/11):ファッションを無から生成するとファッションゴミになりがちだということと、伝統的価値観が価値観ゴミの防波堤であること(後半)

4.「伝統的」の極み、「正統的」な価値観としての、学問

4.1.学問の通説は、ものすごい安牌だったりする



実は、拠って立つべき価値観の中で、インディーズで練り上げた価値観(カルト化による激烈な処世上の不適応のリスクがある)でも、伝統的価値観(しばしば処世上の不適応をもたらす課題を抱えている)でもない、ものすごい安牌が、あったりもします。

学問通説です。

***

マジかよ(ゲンナリ)

労力のコストがべらぼうにかかるやつじゃねえか。

どうしても必要であろうが何だろうが、疲れてくたばるんだから、やりたくねーんだよ。

出来ないのは困るが、やってくたばるのはもっと困るんだよ。

やっとれんわ。そんなん。

***

そこは本当にそう。

俺もその辺の気持ちはメチャクチャ分かる。

俺だって目的のために手段は選ばないからこそ勉強でも何でもやってやる訳だが、勉強そのものは好きから程遠い。

これが美味い飯より多幸感をもたらしてくれたことは、今までも、ない。

少なくとも俺に限って言えば、「エウレカ!」では美食と美酒に勝てねえんだ。

***

とはいえ。

呼吸のように頼る、普段遣いの道具として見た時に限って言えば。

学問の通説、侮れないところです。

***

学者の皆さんは、通説正当性について、ものすごく議論しています。

そりゃそうだ。彼らはより「正しい」話を知りたいからこそ学問をしているのだから。

***

正しい話の立て方と進め方から、間違った結果「まず出ない」。出てもふつうは無視して良い程のレアケースだ。これは圧倒的な安心の源だ。

一方、間違った話の立て方か進め方からは、間違った結果「出やすい」。

だから、「正しい」話は、学者のみならず、我々が何かやる時にも、絶大な意義がある。

だって勝率がべらぼうに上がるんだから。

失敗してドブに捨てるコスト分のリソース、大幅に温存できるようになるんだから。

疲れにくくなるんだから。

***

皆に使われていて、大きな課題はとっくの昔に叩き潰されており、自分も安心して使ってよい。

そういう、「伝統的」の極み、「正統的」という意義がある。

(こんな使われ方は、学者は眉をひそめるだろうが、皆が皆、学を業とする者じゃねえんだよな。そこは無理を言いなさんなよな。としか言えない)

***

だから、それを、成果だけチュルッと吸ってしまうのも、これは猛烈な安牌であるでしょう。(また学者が嫌がること言ってやがんなコイツ)

まあ、ストローの差し方とか、器の傾け方とかに、いろんな手続きに依存する、「ちゃんとした飲み方」があるのです。

それでも、圧倒的な安心や絶大な意義が欲しいなら、そりゃあちゃんとした飲み方で、飲みまくればいい。

そうでないなら、それは飲めなかったのだし、スパッと諦めて、不安と共に在ることにする。

コストと不安を天秤にかけたときに、どちらが重いかは、人による。無理強いは出来ない。

でも、いわゆる陰謀論を信じている人たち、どう見てもコストより不安の方で苦しんでるよな。

そういった不安を、安直で揺らぎやすい安心で補えているか? 補えていないからこその不安と攻撃性なのではないのか?

彫り出すのは大変でも絶大な安心で補った方が、どう見ても動機には適しているように見える。

***

なお、学者の中にも攻撃性が強い人はかなりいる。

が、彼らは学問の不安定性ではなく、世間が学問をナメていて、経済的に不安定にしようとしていることに対して攻撃性を持っているので、仕組みが違う。

まあ、それはそれでメチャクチャ鬱陶しいですね。

一般に、攻撃性、鬱陶しいんですよ。当たり前ですが。

***

また、そもそも、学者の大半が偏見を持っていて、彼らの議論が実は根本的に間違っている可能性は、これは実は、あります。

(生物学や心理学や社会学や経済学や、その他さまざまなジャンルで、よく問題になるところですね)

とはいえ、それは「学者の大半が偏見を持っていて、彼らの議論が実は根本的に間違っている」と、そう言い切れるくらいには、問題領域の在り方を、浅くとも俯瞰的には読み込めてないといけません。

当たり前ですね。問題領域の在り方を「見ていない」、あるいは見た上で「彼らが間違っている」と断言しきれないのであれば、その直感に正当性は伴わない。という話にしかなり得ない。

(もちろん、「あっこれ別のジャンルでも見た、例のパターンやんけ。だったらもうええわ。やっとれんわ」ということは多々あるし、実際にそうであることもかなり多いのだが。そこは本当に場合による)

4.2.違和感はずっとEvernoteとかに書き溜めておいて、とりあえず学問の通説を、一個でも数個でも食ってみよう。そんで後で違和感への答え合わせを随時やっていこう



ひょっとしたら本当に、学者の大半が偏見を持っていて、間違っているかも知れない。

そういう違和感は、ずっとEvernoteとかに書き溜めておいておきましょう。

本当に彼らが間違っているのかも知れないし、おそらくは自分が間違っているのだが、とにかく最初の違和感には、答え合わせをしなければならない。忘れるのが一番良くない。

忘れたら、そもそも勉強を始めた理由である、最初の脳のかゆみを、放置しているのと同じことだからだ。

それは脳のかゆみを感じられなくなって、鈍麻して忘れているだけで、炎症そのものは残っている可能性が高い。

その炎症は、不安と、それに基づく攻撃性の、真の出処でもある。

だったら、処世のためにも、適応のためにも、解決しなければならない。

***

その上で、とりあえず、学問の通説を、一個でも数個でも食ってみましょう。

そんで後で違和感への答え合わせを随時やっていきましょう。

***

やがて、

「こんなところでつまづいていたのか。くだらーん」

と言いながら、反論をいっぱい書きたくなってくるかも知れない。

反論は書いていい。どんどん書くべきだ。

だが、違和感を「黒歴史」と言って消すのは良くない。

***

これをすると、後続、後輩が出て来て、かつての同じことを言い出した時に、

「未熟だった自分がこういうことを言っていた。

であるからして、お前も未熟者、二等人類である。

ということで、今から二等人類扱いの限りを尽くす。覚悟を決めろ」

という恥を知らぬムーブを、しかも一ミリの羞恥心もなく行うようになる。

高度な人間性もあったものだ。そういうのをやめろ。

***

しかも、満足な説明は出来なくなっている。

どこに引っかかってそういう違和感を抱いたのか、消した瞬間からどんどん分からなくなっていく。

こんなんで、通じる説明なんか出来る訳がない。

やめましょう。

***

後で自分の反論も見返してみましょう。

たぶん

「くっそくだらねえこと書いてやがんな。当時の小賢しい自分」

という日が来て、そういうのでない、ちゃんとした説得が出来るようになるでしょう。

そうなったら勝利ですし、その時には最早、当時の違和感も、それへの反論も、消す気は消え失せているでしょう。

書いてあることも、考えていたことも、言っていたことも、全部くそくだらない。

が、自分はここから来て、ここを通って、今ここにいるのだ。だから、だったらこれは大事な出発点と経路だ。

そう思えていることでしょう。

***

こうなると、不安はかなりなくなっていることに気づくでしょう。

非常に得難く、価値があるし、しばしばこれこそが、心の底からあれほど望んでいた、望ましい状態です。

(こうなったあかつきには

「あの時の自分は何でこんなに不安だったんだろう。バカジャネーノ」

となるかもしれませんが、そういうの良くないですよ。忘れちゃダメですよ。

という話は、既にしたところです)。

ぜひこれになっていきましょう。

5.(おまけ)ファッションお試しセット(うーん???)

画像1

いろいろあり、アドバイスしてくれた方やお店の薦めで、最終的にジャケットを買うことになりました。

これだと春秋に良いのだそうです。

***

ジャケット3万円、シャツ1着3千円(土日スペアで3着)、カジュアルパンツ1万円、スニーカー1万円。

しめて6万円。

ワーオ。iPadの価格帯かなんかか?

これを世のストリートの若者は、本当は何とか稼げて、スッと出せて、ちゃんとこれが手に入るのか?

嘘やろ!? 何で学生の身でこんなことして餓死してないの!? ローンでも組んでおられる!? 理解に苦しむんやけど!!!???

***

まーいーや。

これが、春秋メンズカジュアルスタイルファッション、というやつなのか。

***

分からん…(虚無の表情)

***

そして、たかがこの程度を整えるために、素晴らしさの分からないやりたくないことをさも素晴らしいが如く受け入れさせられやらされる屈辱と、生命の危機に及ぶ消耗をもって、数日に分かって蹂躪されてきたのだ。

したのは私だ。くたばれ。

***

さて。

これで、例えば練馬区のベッドタウンの往来で歩いていても、顔を覚えられた半グレに、居酒屋からノー会話で引きずり込まれて、なんか詰められて、結果的に何某かの金品を渡すことを余儀なくはされない、「着る二等人類人権」を手に入れた訳だ。

何が「着る二等人類人権」だ。バカにしてんのか?

居酒屋からノー会話で引きずり込んで詰めて何某かの金品を渡すことを余儀なくすることを素通ししてんじゃねえぞ。本当にくたばれ。

***

せめて堂々と胸を張って行こう。

半グレに絡まれて

「は? 金品? 何言ってんだ? バカにしてんのか? 嫌だね。当たり前だろ」

と突っ張っても、オタク服では何の説得力もない。というか、周囲の全員が全員、これを黙殺するだろう。

この服が「本当に」堅気の衆の町中の服装なら、堅気の衆が黙殺する可能性はかなり減る。

(オタク服の時と違い、ちゃんと警察が呼ばれて、保護してもらえる公算が、低くない確率まで上がってくる、の意味)

***

もちろん半グレと揉めること自体がもう嫌だし、揉めてる時に皆に見て見ぬ振りをされるのもかなり嫌なのだ。

自分からそういうのに突っ込むつもりはない。それはそう。もちろん。

が、半グレの方から勝手に「因縁つけて食いものにして良い」相手と看做されて因縁つけられる可能性は、これでだいぶ減るだろう。

半グレとしても、見かねた堅気の衆から警察を呼ばれたら、そりゃあ面倒だからだ。

面倒なシノギ、どちらかというと、やりたくない。

(これがオタク服だと、揉め事自体が周囲から黙殺されるし、警察が呼ばれる可能性は激減するし、当然金品を持っていかれることを防ぐものは何もない訳だ。ふざけんな。いいから全員くたばれ)

***

これで、町中は、危険に満ちたスラム街ではなく、ショッピングが出来る商店街としての顔を、初めて私に向けてくれるのだろうか。

では。

やっていきましょう。

(いじょうです)

応援下さいまして、誠に有難うございます! 皆様のご厚志・ご祝儀は、新しい記事や自作wikiや自作小説用のための、科学啓蒙書などの資料を購入する際に、大事に使わせて頂きます。