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版元が民事再生手続きで、メディアとか自分の未来について考えざるを得なくなった
ちょっとまとまらないままに書き始めてみる。
先日、“作品”として残る紙媒体のような仕事がしたい、みたいなことを書いた矢先、私が長く紙媒体の仕事をしてきた会社が民事再生手続きに入り、紙媒体の仕事がガッツリ飛んでしまった。このタイミングかよ、という。
出版業界は慣例的に原稿料の支払いが遅く、その会社は発売月の翌々月の10日払い。民事再生手続きに入ったのがその前日で、入るはずの原稿料(つまりは
第4回 「アフターコロナに忘れたくないこと」(2020.6.28)
2020年6月3日(水)、14時ごろ。
私は12mの高さの、100°とわずかに手前に傾斜した壁に取り付き、握りこぶしほどのホールドに手足をかけていた。目の前には、この課題のゴールとなる、青いガバホールドが見えている。ここまで登ってくる間の負荷で、腕はすでにパンプし、ホールドを保持する力はほとんど残っていない。ホールドを持つ手が外れて落ちたらと思うと、足が恐怖で震え、呼吸が浅くなる。それでも、
第3回 「コロナウィルスはわたしに何を伝えに来たと思うか?」(2020.5.23)
新型コロナウィルスの感染拡大は、私の生活の核の一つである仕事、そして今の生活を成り立たせている収入に少なからぬ影響を及ぼしてきた。そこから生まれた不安は、「仕事とは?」「人生に大切なものとは?」「生きるとは?」など、普段はぼんやりとしか考えていないような哲学的な問いへと、私を向かわせた。今回は、主に自分の頭の中でぐるぐると考えたことを書いてみる。
3月25日にハワイ取材が終わって帰国するとき
第2回 「わたしはコロナウィルスからどんな影響を受けているか?」(2020.5.9)
3月25日にハワイ取材から帰国して、日本政府の新型コロナウィルス対策のいい加減さに疑いを持った私は、専門家の発信や海外の情報を中心に、コロナについて自分で調べ始めた。コロナ感染の特徴や、海外の感染拡大の状況など、知れば知るほど、このままでは日本はかなりまずい状況なのではないかと危機感を募らせた。
これだけ世界でコロナの危機が叫ばれているのに、いまだに電車に乗って通勤する大勢の人たち。飲食店で
第1回「コロナウィルスを知って以来、わたしは何を体験してきたか」(2020.4.25)
今まで「感染症は過去のものか、発展途上国など衛生状態が悪い場所のもの」という差別意識を含んだイメージを持っていた。新型コロナウィルスが世界中で広まりつつあった1〜3月も、現代日本の都市部に暮らす自分の日常が脅かされるなんて思いもしなかった。なぜか自分の日常だけは、今立っている場所や価値観は揺るがないと思い込んでいたのだ。
3月15〜25日、私はガイドブックの取材でハワイ出張に行っていた。11