見出し画像

『インハンド』第8話 人を形作る、遺伝子と環境

あらすじ(ネタバレ有り)

奇怪な事件が起こる。キガシマグループという大企業の広告ポスターの女性に、赤い血のようなものがかけられ、その企業の会長の息子、園川直継が自殺する。それにより「呪いのポスター」とネットで話題になり、そのポスターの前に野次馬が殺到した。牧野から情報を得た紐倉も見に行くと、血のような赤い液体のサンプルを取ると、セラチナ菌だということがわかる。

直継の自殺の真相を調子に直継の自宅に行くと、経産省と、紐倉の同級生だった遠藤が現れ、調査を邪魔される。そんなことでは調査をやめない紐倉は、直接園川会長に会いに行くが、取り合ってもらえない。表がダメなら裏からと、会長に会い、紐倉は「あんたがバイオテロの標的になる可能性がある!」と指摘すると、「あの赤い髪なら、誰かのいたずらだ」と取り合わないが、「赤い髪」という言葉に違和感を感じる遠藤は紐倉たちに調査しないようしつこく釘を刺しにくるが、当然紐倉は従わない。

直継の自宅では、赤い髪をした直継見つけていた紐倉は、再び園川会長に、「経産省」と偽って会いに行き、直継の話を聞きに行く。そこで、赤い髪をした直継の写真を見せるが、会長は無言で立ち去る。紐倉は、キガシマグループが主催している絵画コンクールの絵を見ると、ある少年の絵を見つけ、保育園に向かう。

遠藤は何度も紐倉に釘を刺しにくるが、直継の家にあった「Founder Reseach」というワードを出す。ファウンダーとは、「創始者遺伝子」のことで、それを調べていたのではないかと聞くが、取り合わない遠藤。「これ以上調べるな」と言われるが、「まだまだ調べるぞ!」と紐倉は調査を進める。

園川の家計を調べていくと、会長の出身地が鹿児島の「上之宝島」と発覚する。架空のこの島は、「鬼伝説」発祥の島で、近親による子孫繁栄したことで、「鬼の子」と呼ばれる遺伝子が発生したと言われる。鬼研究家の話を聞きに行き、以前遠藤も話を聞きに来たことで、遠藤も同じことを調べていたことを確信し、遠藤に会いにいくと、「わかったよ、全て話そう」と諦める。

遠藤と直継は、意気投合して仕事に置いてパートナーとなり、遠藤に協力していた。そこで、自分に「鬼の血」が流れているかを調べて欲しいと頼む。直継の祖父にして会長の父、大次郎は気性も荒く、「鬼の血」が流れていた。赤い髪で生まれた直継も「鬼の血」を持っていて、その真実を知った時、絶望した直継はお酒を飲み、逆上して遠藤の首を絞める。鬼の血を抑えられなくなる為、お酒を飲まなかった直継だったが、親友の首を絞める自分の姿に絶望して、飛び降り自殺をする。止められた筈だった、遠藤も悔やんでいた。
そして、38人したいないはずの上之宝島出身の調査データには、「No.39」があった。

真相を知った紐倉達は、会長に会いに行き、ファウンダー調査を報告する。会長は、「やはりか」と納得し、鬼の血が流れる父、妻になったその娘の姿を見てきたことで、直継に「お前の爺さん、母さんを見ろ。お前には「鬼の血」が流れている。気をつける」と言い続けてきた。直継を守る為に。
紐倉は、そんな会長に、「あなたは素晴らしい経営者だが、考えは古典的だ。」と言う。

「人間は生まれなのか育ちなのか。遺伝子なのか環境なのか。

と問いかける。そして、紐倉は

「人間を決定するのは、「遺伝子か環境」ではなく、「遺伝子と環境」だ。鬼の血が遺伝するかどうかなんて考え方は、ナンセンスだ。それなのにあなたは、直継さんに、「鬼の血が流れている、気をつけろ」と言い続けてきたことで、鬼が棲み付いてしまったんじゃないですか?」

「私が、悪い環境だったのか!?」

「それを確かめに行きましょう。」

と、絵画コンクールに連れていく。そこには、赤い髪をした少年がいた。直継も知らなかった子供だった。少年の母は、直継が子供は欲しくないと言っていたので、子供ができたことを知れば苦しむだろうと思い、言わなかったのだ。遠藤も調査で少年の存在を知ったが、会長には言わなかったが、絵を描いて伝えようと、コンクールに出展したのだった。

紐倉は、

「どんな血が流れていたって、直継さんは直継さんです。解析データを知ったからと言って、本人の何が変わるわけでもない。」
「でもそのことを知れば、周りの目が変わる。」

と高家が付け加える。

コンクールを受賞した鬼の血を引いた少年のスピーチは、とても鬼とは思えない、少年らしい、とても可愛いものでした。そのスピーチを聞いた会長は「人を作るのは、遺伝子と環境か。」と、紐倉の言葉を実感する。そして、会長は少年のおじいちゃんとして、本当の家族になった。

遠藤がしつこく紐倉を止めていたのは、少年を世間から守る為だったのだ。紐倉は

「赤毛だから暴力的だなんて、乱暴な理論だ。遺伝子やデータなんかより先入観の方が、人間にとってよっぽど危険だ。」

遠藤は、ビジネスパートナーであり親友を守る為、ポスターにセラチナ菌を巻いた。そんな遠藤を紐倉は「あいつは回りくどくてめんどくさい」とバッサリ斬るんだった。


人は生まれか育ちか

今回は、人は「生まれか育ちか」「遺伝子か環境か」というテーマでした。その答えは「遺伝子と環境」と言うものでした。
「鬼の血」「上之宝島」と言う架空の設定で描かれましたが、「MAOA遺伝子」と言うものは実在しており、「戦いの遺伝子」と言われているそうです。わかりやすく「鬼」を使用したんだと思いますが、MAOA遺伝子に限らず、人間には様々な遺伝子があります。それが全てではありません。「朱に交われば赤くなる」と言いますが、「環境」も、人を作る上で重要なものです。人は環境によっても大きく変わります。遺伝子も環境も、どちらかではなく、どちらも重要だと言うことですね。

大きなテーマでいうと、「遺伝子」「環境」となりますが、わかりやすく言えば、親と子の関係と言えます。

人は、誰にでも「親」という存在がいます。生きていてもいなくても親はいて、血が繋がっていてもいなくても、親の存在はいます。そして、子供は放っておいても育つものですが、育て方によって、育ち方は変わります。

「お前には鬼の血が流れている。気をつけろ。」と言って育てたことで、直継は「自分には鬼の血が流れているから危険だ」と思い育ちましたが、これに似たようなことはたくさんあるのではないでしょうか?
例えば、「お前は勉強ができない」とか、「お前は運動が苦手だ」とか、言ったり言われたことはないですか?子供にとって、最も信頼する親から言われたことは、とても強いものがあり、それがずっと心の深いところに残るものです。親によってそう思い込まされてしまうのです。例え「鬼の血」が流れていなくても、「お前には鬼の血が流れている」と言われ続けたら、そう思ってしまうでしょう。

「親の言葉」こそ、子供にとっては最も影響のある環境だと言えるので、子供にかける言葉は、本当に気を付けないと、直継のように取り返しのつかないことになるかもしれません。良くも悪くも、このような親の影響力を利用して育てる親が「毒親」と言われるのでしょう。

気を付けるから気が付く

よく、ゴルフで目の前に木の枝があり、当たる可能性の方が低いのに、当てないように気を付けようとすればするほど、枝に当ててしまったりするものです。
面白いもので、気を付けようとするから気になってしまうものです。「失敗したくない」と思い続けるから、「失敗」してしまうことがあります。これは、「引き寄せの法則」等ではよく言われることですが、「潜在意識に善悪はなく、強く思ったことを引き寄せてしまう」というものです。不思議なもので、「無い」と思うことで「有る」ことになってしまうのです。

最近では事故が多く、「気を付けよう」という意識を持って運転する方が多いですが、依然として事故は減らず、むしろ増えたりしています。それは、気を付けることで、色んなことに気付いてしまい、「引き寄せの法則」を発動してしまっていたり、自分に処理しきれない情報をインプットしてしまうことで、事故を引き起こしているのかもしれません。そういう意味で、マスコミによる報道による功罪というコラムを配信しましたが、ニュースによって余計問題が起こるとも言えます。

しかし、これらの情報は言わば「環境」であり、それが全てではありません。情報を鵜呑みにするのも自分、本質を見抜くのも自分です。自分というのも「遺伝子」が全てではないですが、自分をよく知ることで、環境に振り回されないのではないかと思います。

恐ろしいのは「先入観」

人は、遺伝子によって決められるわけでも、親に決めつけられるものでも、環境によって決まるものでもありません。しかし、どれも大きな影響を持っているので、「どれか」ではないということですね。
そして、一番危険なのは「先入観」とのことですが、「先入観」「思いこみ」は、足元をすくうものと言えるかもしれません。これは「気付けるから気が付く」の逆で、「気付いているようで気付いていない」と言えるかもしれません。

刑事ドラマなどでもよくありますが、先入観によって、間違った捜査をすることがありますが、「先入観」は本質を見えにくくするものです。価値観や常識が移りゆく現代において、「これでいい」なんてことはありません。「これが正しい」と思っているものこそ、「先入観」かもしれません。自分の中にも、そういう「先入観」があるかもしれないと思ったり、子供に対しても先入観を埋め込むような子育てをしていないか、振り返っていきたいですね。

真実を知ろうとも、事実は変わらない

人は真実を追い求める生き物ですが、真実は、人それぞれによって見えかたは変わります。つまり、真実は一つではありません。しかし、事実は一つです。大津の事故にしても、川崎の殺傷事件にしても、その事実は変わりません。しかし、真実は、情報ごとに変わるし、立場によって受け取り方が変わります。

自分という価値は、「遺伝子」「環境」によって変わるものではありません。例え「犯罪者の子」だったとしても、自分に罪があるわけでも、背負う必要もありませn。しかし、それを周りの人が知った途端、見る目は変わるでしょう。山田孝之が主演した映画「手紙」は、犯罪者の弟の苦悩を描いた作品ですが、まさにそういった事実を描いていると思います。

遺伝子や環境が全てを決めるわけでもなく、そのどちらのせいにするのでもなく、どんなに辛くても、事実は事実として受け止めないと、その事件や過去に捉われて生きることになります。事実を受け入れて、向き合って生きていきたいものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?