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新生活、11月上旬の振り返り、最近の心情etc...

今日も一日お疲れ様です。そして、今週末はいかがお過ごしでしたか。日本は秋から冬へとゆるやかに変わる時季。寒さがはっきりと顔を出し始め、クリスマスや年末調整のイベントも間近といったところでしょうか。私が住んでいるオーストラリアは、南半球と、季節が真逆になるので、トロピカルな気候のなかで街中がクリスマス準備を始めています。ビールと海とサンタクロースという組み合わせも、2年目になると少し馴染みがでてきました。

今回のnoteは、少し内輪向けかもしれないですが、今の生活と11月の振り返りと、日々の生活の彩りで変化していった心のうちを綴っていきます。もしよければ、最後までお付き合いください。

メルボルンに1年住み、そこからクイーンズランド州のサンシャインコーストにあるヌーサという街に越してから2か月が経過しました。同じオーストラリアでも、緯度が違うと、気候やカルチャー、そこに住む人々の価値観や生活様式もガラッと変わるようで、その違いを顕著に感じています。

メルボルンは日本で例えるなら横浜のような都市で、グローバル支社、オーストラリア発祥の会社が集まるシドニーに次ぐビジネス街。しかし、中心地には緑が生い茂る庭園や、開放的なビーチ、ストリートアート、美術展やイベント、ハイクオリティでモダンなカフェが立ち並んでおり、都市と自然とアートが融合しているので、メルボルンにしかない味を感じます。世界のあらゆる人たちが生活しているので、規範やルールといったものはなく、”You can be whoever you want because here is nothing holding you back"。柵がないので、なりたい姿、ありたい現実を自分で作り出せる環境です。


私は寒い気候が得意ではないので、ヌーサに引っ越しましたが、こちらは石垣島や宮古島などの離島のような、まさしくスローライフが体感できる街。定年後にお家を購入して、ゆったりとした時間のなかで日常を堪能するには最高のロケーションです。海を訪れると、サーファーが波に乗る姿や、愛犬と砂浜で遊んでいるご家族、ランニングや瞑想をしている人たちを見かけます。朝のコーヒーショップは、6時くらいには店開きをし、お昼過ぎにはそそくさに店じまいをして、プライベートな時間へと戻ります。裸足での移動、ラフな格好が当たり前。人間の原点は、地球にある自然の恵みであると感じさせてくれるほどに、自然を通して自己と向き合う機会に囲まれています。仕事帰りに夜空の星を眺めていると、人間の一生の短さ、命の儚さ、時代の変遷や地球の歴史、宇宙の壮大なパワーを感じます。"Vast nature in Noosa let me feel that i am part of the earth, and the origin of human beings has begun from here the earth and also universe"

メルボルンとヌーサは気候的にも人々の暮らしとしても、まるで違う。そこが面白いのです。

普段、私がこの街でどんな生活をしているかというと、現地のカフェとレストラン、日本食屋さんで働きながら、夜は日本の会社でコーチングをしています。と言っても、コーチングに関しては、起業したてのスタートアップなので、ゼロから創り出していく最中です。場所を選ばないので、世界のどこでいてもネットと環境さえ整っていれば仕事ができるのは、なんとも有難いです。

引っ越して2か月。11月の振り返りを少しすると、日常があわただしくなり、乱れと整いを繰り返す日々を過ごしています。知り合いも友達もいないところからスタートし、ライフスタイルもだいぶ確立してきましたが、走りすぎたせいか今は息切れしやすいコンディションです。私に余裕がなかったり、睡眠不足で顔色が悪くなってしまうと、そのエネルギーを周りに波及させてしまうので、11月中旬にして「いかん、いかん」と、立ち止まっています。

乱れる。気づく。エネルギーを取り戻す。を繰り返していましたが、11月下旬以降は、乱れの割合を減らせるように、今の私に不要なものや関係を整理し、手放していきたいです。乱れに繋がっている習慣やライフスタイル等々…。こういったときに使われる「手放す、捨てる、解消する」といった単語は、自由にさせてくれるようで、私にとっては、傷を負うという矛盾を生みやすいものなので、「いる、いらない」を明確にして手放すというよりは、ありがとう、とまたねを込めて心が求める方向へ流れていきたいと思っています。白黒つけようとすると苦しくなるので、つけぬまま自分が求める方向へ流されるように流れていったら、いつの間にか岸部にたどり着けるのではないかと思いながら。

最近、久しぶりの人たちからメッセージを貰ったり、相談を受けたり、縁が深まる機会に恵まれ、心が満たされる想いです。全然会っていないのに、会話を交わしていないのに、言葉の節々から、ふとした瞬間に思ってくれていたんだなあと伝わって、芯から温かい気持ちにさせてもらいました。

実は、ちょうど時期を同じにして、「私が自分のために頑張ろうとも、誰かのために頑張ろうとも、消えてなくなるときには、持っている肉体はおろか、物質的な繋がりさえなくなる。そして、私の存在がなくなって以降も、時間は進み、時代が創られ、創造と破壊を繰り返しながら、宇宙はかたちを変えていく。そんな中で、どのように生きようか」と、生への執着をなくしていました。終わりがくるときは、それがタイミングなのだろうし、この時代に「私」として生きる使命を終えたにすぎないのだろう、と。この感覚はふっと湧いてきたもので、おかげで目の前の問題をちっぽけにさせてくれたのですが、同時に、残りの時間をどのように過ごすかの迷路に漂うことにもなりました。

しかし、人や自然と同じ空間で感動を共有したり、私のことを想ってくれる人の存在の大きさに気づく中で、どのように生きようかという一筋の疑問はやさしくフェードアウトし、代わりに「特別な誰かのために生きたい」という想いへ変わりました。彼らが「私に出合えてよかった」「この時代に産まれてよかった」と言ってくれることが本望だなあと。自分を愛する、大事にすることが中核にありながらも、行きつく先が外側になるのが、私にとってこの時代のこの世界に産まれてよかったと思える気がして。でも、そうなるには私が満たされていて、たくさんの美しいに感謝できる心を持っている必要があるから、まだまだ自分の内側と向き合っていきたいです。良いところというよりは、血流が悪くなっているドロドロとした感情。血の巡りが悪い箇所を突き止めて、良くする作業がまだまだ必要なので、継続的に。

ちょっと振り返りをするつもりが、いつの間にかすごい文章量を書いていまいした。(笑)noteを書いているときは、時間の経過をすっかり忘れるので、時計を見てハッとなります。最後まで読んでくださった方がいらっしゃれば、本当にありがとうございます。来週一週間も、たくさんの感動と小さな幸せに囲まれますように。

たくさんの愛をこめて
nanaka



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