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vol.50 谷崎潤一郎「卍」を読んで

すべて大阪弁の語りだった。そのせいか、とても情景描写がリアルで、露骨な表現もなんだか上品で、心地いい色気も感じた。

この小説、育ちの良さを感じる魅力的な若奥様「園子」が、生々しい同性愛の情欲と独占欲を、「光子」のバイな欲望を、中性的な男「綿貫」の価値を、不倫をした夫の裏切りを、とにかくややこしい愛の形を、作者に打ち明けると云う告白形式で描かれており、期待通りの谷崎文学だった。

しかし、せっかくの文学的興奮を興ざめさせてしまったのが、新潮文庫のあとがき(昭和26年)だった。「変態性欲を扱った作品」と解説されていた。この「変態性欲」と云う言葉、時代のせいにするしかないのか。当時のセクシャル・マイノリティに対する社会的理解の低さに、当時の悶々とした当事者の苦しみを想像した。

同性愛とか異性愛とかそんなくくりに縛られない人間の性欲はおもしろいと思う。深みがあると思う。美しいかもしれない。そんなテーマをよく描いてくれる谷崎の耽美的な表現は、いつもわくわくさせてくれる。

この「卍」も、女性同士の同性愛と、なんだか妖麗な「光子」をめぐる男たちを絡み合わせた両性愛と、「光子」を取り合う情欲の描写は圧巻だった。そして、「春琴抄」でも感じたが、中性的な雰囲気もとても心地よかった。

この卍の心地いい雰囲気を書き留めておきたい。

<卍(まんじ) 名作ダイジェストより転用>

 先生、わたし今日はすっかり聞いてもらうつもりで伺いましたのんですけど、折角お仕事中のとこかまいませんですやろか?わたしが徳光光子さんを知りましたのは、天王寺の女子技芸学校云うところで、わたしが光子さんに同性愛捧げてる云うけったいな噂が立ちましてん。それがきっかけで、ほんまにそんな関係になりました。
 そもそもわたし、化石みたいに頭の堅い夫と生理的にも会わないで、それがいろいろの事件惹き起こしたのんです。夫がわたしらの交際に意見しましたので、わたし、夫と喧嘩して帰って情熱の奴隷になりましてん。そんな時、寝耳に水の事件が起こったのんです。
 ある晩、光子さんから電話があって、大阪南の旅館に呼び出されました。光子さんは綿貫栄次郎云う結婚の約束までした男と一緒にそこに居りましてん。もう口惜しうて、わたしは夫と今迄のことすっかり話して、心入れかえた気イになりました。
 そやけど半月もたった頃、光子さんの堕胎騒ぎが起こってーーー実はそれが狂言や云うこと、わたしも気イ付いてたのんですけど、すっかり元の関係に戻ってしまいましてん。すると綿貫は、光子さんが性的不能の自分を捨てるんじゃないかと焦って、強引にわたしに「きょうだいの約束」をさせました。しかもそのことを夫に密告して、わたしらの仲裂こうとしましてん。
 わたしは光子さんと狂言自殺をはかり、夫にわたしらの間柄を認めさせようとしました。その現場に駆けつけた夫と光子さんとの間に、間違いが起きましたのんです。わたしと夫は光子さんをめぐる異常な三角関係の中で、心身ともに追い詰められていきました。
 先生かてご承知のように、その経緯いが新聞に載りましてん。いっそ三人で「死の」云うて、光子さんを真ん中に枕を並べて薬飲みました。何でその時、わたしだけ一人残される云うこと思いましたやろ。けど、二人にだまされたのやないか思えば後追いもできず、今でもまだ光子さんが恋しいて恋しいて・・・・
 彼女の異常な経験について語った柿内園子未亡人は、突然はらはらと涙を流した。(引用おわり)

この作品が書かれたのが、1928年(昭和3年)。この時代、流行の最先端をいく洋装の男女「モボ・モガ」が登場し、二村定一の「君恋し」がヒットしている。急激な産業・経済の発展の一方で、享楽的で退廃的な匂いが強い時代なのかもしれない。

そして、僕は、織田作之助の「夫婦善哉」を思い出す。これも大正から昭和にかけての大阪を舞台に書かれている。「蝶子と柳吉」は、いかにもめちゃくちゃだけど人情味溢れる内縁夫婦の物語だった。それと比べてこの「卍」、「お姉ちゃんと光子さんと夫と綿貫」、4人のぐちゃぐちゃな関係は、同じ時代の大阪を背景に描かれている。とてもおもしろい。

ちょうどいま、その大阪でG20が行われている。それぞれの思惑の中、各国のまとまらない駆け引きの姿は、今から90年前、同じ地で、谷崎が描いた、もがき合う男女の駆け引きに似ていると思った。このサミットで、どこかの首脳が、園子が最後に選んだような極端な解決策を提案しないよう、なぜか願っている。

(おわり)


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