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第16夜 河井継之助の桜飯と越後長岡藩 司馬遼太郎さん『峠』を読む

 司馬遼太郎さんの長編小説『峠』を読むまで、桜飯(さくらめし)というのはタコの炊き込みご飯のことだと思っていた。『峠』に出て来る桜飯は、大根の味噌(みそ)漬けを細かく刻んで炊いたものだ。
 主人公である越後長岡藩(新潟県長岡市)の家老、河井継之助(かわい・つぎのすけ 1827~68)の好物だったと聞けば、興味が湧く。北越戊辰(ぼしん)戦争に際し、河井は長岡藩の武装中立策を推進したが、新政府軍はこれを認めず開戦となった。河井は長岡城の攻防で左足を負傷。落ちていった先の会津藩領内で、傷が悪化し亡くなっている。
 小説は映画化され昨年、小泉堯史(たかし)監督による『峠 最後のサムライ』が全国公開された。河井を演じたのは、役所広司さんである。
 小説『峠』によれば、河井は「味噌漬飯(桜飯)ほどうまいものはない」と言っていたという。恩義のある庄屋が、河井が屋敷を訪ねてきた日に合わせて毎年、肖像画を飾り、味噌漬飯を供えるエピソードも出て来る。だが、この料理がどのように生まれたかなどについては、いまひとつ定かではない。
 司馬さんが1978年4月、「あまカラ」という雑誌に発表したエッセー『粗食』には、興味深いことが書かれている。司馬さんは越後を訪れた際、会う人ごとに「味噌漬飯というものを、お家でなさいますか」と尋ねた。ところが、どの人も首を傾げるだけだったという。
 〈桜飯とか味噌漬飯とかそういう名称さえきいたことがない(略)「旧士族の家庭だけのものであったようですね」といってくれたひともあった〉(高田宏編『「あまカラ」抄1』収録)
 戊辰戦争で長岡のまちは焼かれ、人々は辛酸をなめた。歴史の嵐の中で、消えてしまった食文化なのだろうか。
 小説のお陰で、近年は河井の好物として知られるようになった。長岡の料理店が桜飯の入ったメニューを出したり、味噌漬けを刻んだ「桜飯の素」のような商品が発売されたりといった動きもある。
 『峠』には、新潟で商務を終えた河井が徒歩で長岡に向かう場面がある。街道は信濃川沿いにあり、桜や花杏(はなあんず)などが春を盛りに咲いていた。
 河井は自分が花であるとするなら、桜や桃や木瓜(ぼけ)ではなく、土手の脇に群生する小さな野芹(のぜり)の花だ、と言う。
 〈「みぞの流れに濡(ぬ)れながら小さく咲いて、すこしもめだたない。桜を見るひとがあっても足もとの芹の花には気づかぬ」〉
 小藩長岡藩の家老として生きた河井の人生は、司馬さんによって光が当てられた。同じ風景でも、その視座によって見えるものは大きく変わる。歴史の中に埋もれている物語は、無数にあるのだと思う。
 (写真は、新潟市中央区の新潟県立図書館前で見た桜と月。好き♥を押していただくと、猫おかみ安吾ちゃんがお礼を言います。下記では「葉桜で一杯 歌人恩田英明さん(新潟県妙高市出身)と信濃川べりで」を紹介しています)

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