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「肺ガン末期」生命線が短くなった。死にたくないよと言った母

前回の続きと母が入院している間に起こった手相の話です。結論から言うと母の手相の生命線が短くなっていて途中で切れていたのです。怖かった。(この記事は約2900文字です)

手相とスピリチュアル

実は中学の時にタロットカード占いを始めて(遊びと趣味程度)社会人になってから?手相をかじり始めて(本で勉強した程度笑)たりして昔はスピリチュアル大好き人間でした。
パワーストーンもおまじないも占い全般大好きでした☆
そして、いわゆる霊感というものもありました(?)

【注:当時は霊感があると思っていたし金縛りにあってから霊視の真似事もしていました(引かないでくださいね汗)

ですが、時は経ち辛い時に神の助けなんてなく現実は非情で祈っても助からないし何も変わらない。

博学な人たちの本などで神も神話も人が作ったものと知ってからは、エビデンスがないものは信じないと決めました。(ただ不可思議な事を科学で無いと証明されてないのでグレーな事もあると思ってます)

この霊感というやつはエンパス(empath)というHSP気質の人に出やすい霊的要素の強い共感力が高かったことによるものだったのではと推測してます。第六感というやつですね。

当時は意識を感じることのみに集中させれば、写真からその人の事などを当てることができました(調子が良い時だけという怪しさ満載です)
これは学校内で広く知られてしまい結果的に気持ち悪い子に見られてしまい・・私を避ける子も出てきてしまったので、やらないようになりました】

というわけで(なんじゃそりゃって感じですね笑)

練習がてら昔から母の手相を見たりもしていたので、母が「これ、手相見て・・・ほら生命線のところ・・・前より短くなってない?・・・」と言ってきたのです。母の手を見てみたら本当に生命線が以前よりも短くなっていました。

これは本当に焦りました。心臓がバクバクと早く鼓動を打ちはじめ背中の血がサーっと冷えていくのが分かりました。

私はなんとか、普通に笑いながら「えー?気のせいじゃない?そうでもないけどなぁ~」と返しました。

本当にごまかせたかは分かりません。ただこの時、母は自分の身体について、もしかして・・と色々考え始めてたのかもしれません。

(この事があってから、ふとおもむろに自分の生命線をチェックしてます笑)


半身不随で介助が必要になった

母の病状はどんどん進んで行き、がん細胞は脳にも転移しました。
左脳に転移してしまったので母の身体は右側半分が不随になっていきました。
利き手は右手だったので自分でご飯を食べることも出来なくなり、(左手も鈍くなってた)口も右側半分がうまく動かせず食事自体が大変になりました。(歯科で麻酔が効いたままの状態に近い)食べた後はドッと疲れていました。

私は食事の介助をしました。普段は看護師さんが介助をしてくれるんですが、やはり母は気を使うらしく、娘に頼む方が気が楽そうでした。
歩けなくなり寝たきりになっていったので床ずれが出来ないように体の位置を変えてあげたり背中の座布団をずらしたり。
体も拭いてあげたりして、尿は管を入れてましたが(入れる時メチャクチャ痛いらしいです泣)便はオムツだったので取り替えたりお尻拭いたりしました(こんなに早く下のお世話をする事になるとは思わなかった)

これ、本当に大変です。身内の方を介護されてる方は毎日の事でもっと大変だろうと思います。いつまで続くか分からないからです。

私の場合は余命宣告されてたから今だけ!と割り切れたけど、それでも何ヶ月と続くと疲労も溜まるしイライラもしてきます。

本人も半身不随で言葉も上手く喋れなくなりオムツを変えて欲しいとか喉渇いたとか伝えたいのに、あうアウ。。と文章にならない。言葉がうまく出ない。とても自分に腹が立って悔しくて悲しくてもどかしいからイライラしてくる。
私も疲れてきてて母の気持ちに寄り添う余裕もなくなり逐一対応しなきゃいけない状態にイライラがつのり、冷たい?態度をぶつけてしまう時もありました。

これをかなり後悔してます。わたしも若かったから。。という言い訳をしてしまいます。
が、もっと優しくすれば良かった。本人が1番辛いんだから最期にもっと優しく介助できていたら。。と後から何度も思いました。



母の言葉(死にたくないよ)

まだ何とか喋れた時に母が涙目でポツリと「しにたうあいようー!」(死にたくないよう)と言いました。
母は自分がもうダメだと気づいていたのです。

このあと病室を出て病院の屋上へ行き私は「アーーーー!!」と叫び号泣しました。ずっと溜めていた感情が爆発しました。死ぬことが分かっている上で接する事の辛さ。そして母の気持ちと、あの姿と何も出来ない私。辛かった。



母の最期

最終的に母は意識が混濁する様になり人工呼吸器をつけてずっと眠ったままの様な状態に。
医師にはいつ亡くなってもおかしくない状態と告げられ、私は病室へ寝泊まりをするようになりました。

会社にはもう最期なのでと休みを貰ってました。
今日かも…明日かも、と思いながらもここから意外にもちました。

流石に上司からいつになったら出勤できるのか?これ以上は困ると連絡が入り…(そりゃそうよね。1人事務員で小さい事務所…正論です)

そんないつ死ぬかなんて分からないし。。。会社より母が大切なので「ご迷惑になるので辞めます」と、辞職。

オヤジも病院に毎日来ていて母の様子をみてました。ある日、「今日は大丈夫そうだね」とオヤジと話して一旦家に帰ることにしました。
自分の着替えやお風呂にも入りたかったし、久々に自分の布団で眠りたかった。
看護師さんも、「こちらでみてますし何かあれば連絡しますから休んでください」と言ってくれた。

私は久々に自分の布団で眠りにつけた。

が、朝方(寒い時期なので夜も明けてない)電話が鳴った。一度寝たら地震がおきても起きない私が目を覚まして電話をとった。
病院からで先ほどお母様が亡くなられましたと。
足が地についてないような感覚。
寝ぼけていたはずなのに裏側が冴えてる。
急いで荷物を整え着替えてタクシーを呼んで病院へ向かいました。
オヤジは早めに病院へ到着していて既に母の傍らにいました。(オヤジ達の家は私よりかは病院から近い)

私が到着したのは看護師さんが死化粧をしてくれた後でした。
私は呆然としながらも冷静でした。
実感が湧かないというのが本当のところか。


後日談

後から思えば、母は意識がないように見えたけど本当は私たちの会話が聞こえていたのでは(医師も可能性あると言ってた)・・私達が帰ったタイミングで上へ逝ったのではと。

私は母が息を引き取る所を見るのは耐えられなかったかもしれない。
でもきちんと看取る事が出来なかった、母に一人きりで死なせてしまった事、寂しかったのではないか。。と凄く複雑で心の中に雲がかかって晴れず心残りになりました。


重い話をここまで読んでくださり誠にありがとうございますm(._.)m

(本当、明るい話がないじゃん!笑  もう~もう~!もうー!・・牛! 分かる方いますか?笑)

後日談というか葬式の事などを、また投稿するつもりですが、重い話続いてるので(需要ないですよね汗)箸休めのお話しを次は投稿します笑☆

ありがとうございました!!

(チェンソーマンの姫野先輩です笑あれ可愛いくないですか?☆)


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