読書備忘録_第2弾_2

【読書備忘録】クロニカからトラウマ文学館まで

 果たして【読書備忘録】に序文は必要なのだろうかと疑問を抱いておりますが、列挙するだけでは味気ない気もするので悩みますね。今回は数年前に刊行された書籍、または復刊された書籍が目立っております。また当マガジンにおける紹介順はあくまでも読了順であり、順位を表すものではありませんので何卒ご了承ください。


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クロニカ 太陽と死者の記録
*惑星と口笛ブックス(2018)
*粕谷知世(著)
 電子書籍レーベル、惑星と口笛ブックスの日本ファンタジーノベル大賞受賞作品復刊企画〈ブックス・ファンタスティック〉第四作目。クスコ南東にあるムナスカ村で司祭館の雑役係を務めていた少年は、間もなく巡察使が村を訪れることを知る。その意味を計り兼ねる彼に対し、彼の口から伝えられた家族は恐怖のあまり取り乱す。純真無垢なキリスト教徒である彼には何故家族が動揺するのか見当も付かないが、祭司たる祖母の導きで一家は山脈に安置されている先祖たちに相談するべく出立する。ここから面白い。先祖たちは木乃伊であり、彼らは生死の境を超えて子孫たちと対話するのだ。インカ王治世下に村を作った太祖として代々崇められてきた木乃伊。彼は子孫たちの嘆きに応えて長い昔語りを始める。このクスコを核とする小説は叙事詩的・年代記的な形式で書かれているのが特徴で、太陽の神と文字の神の対立という史実を木乃伊の告白を通して語るというマジックリアリズムの手法が用いられている。解説の色の濃い地の文は読者を選ぶかも知れないが、物語を徹底して俯瞰する筆致には独自の味わいがある。


アサイラム・ピース
*国書刊行会(2013)
*アンナ・カヴァン(著)
*山田和子(訳)
 アンナ・カヴァンの小説は奇妙なまでに現代的だ。ときおり今も現役で創作活動している錯覚に陥ることがあるのだが、その原因は彼女が提示する心象風景に認められる圧倒的な「不安」にあるのではないかと解釈している。それは『アサイラム・ピース』でも鮮明に描かれていて、精神の病を扱うだけでは表現し切れない痛烈な訴えを読みとることができる。そもそも本書は短編小説集なのだろうか。表題作は複数の章にわかれ、登場人物を変えながらも「不安」の塊を引き継ぐかのように共通性が保たれており、表題作以外の作品とも呼応しているのだ。各物語は見えざる境界線で隔離される恐怖に満ち、人物のさりげない所作や服装を目にするだけで予期不安に駆られてしまうほどの、いわば神経質な語調で綴られている。精神的なすれ違いが生ずるときもあるし、物理的な別離を体験するときもある。そうした齟齬は現代にも根付いている病ともいえる。刊行後半世紀以上が経過してもアンナ・カヴァンの不安は色褪せず、現代社会の随所で息を潜めている。


犬と狼のはざまで
*河出書房新社(2012)
*サーシャ・ソコロフ(著)
*東海晃久(訳)
 かなり難解な小説だ。どこがどう難解なのか説明するのも難しい。それは訳者の序文で物語の登場人物・構造・粗筋があらかじめ解説されている異例の構成からも認められる。普段は最低限の情報にとどめて物語に飛び込む方だが、パズルのように入り組んでいる『犬と狼のはざまで』に関しては妥協し、序文を熟読の上で読み始めた。けれどもイリヤーの書簡文とヤーコフの散文および詩編による一八の章、それも中間の九章を軸にシンメトリーをなす幾何学的な構造を把握したとは、情けないことながら断言できない。むしろ理解しているのはイリヤーが狼と間違えてヤーコフの猟犬を射殺し、ヤーコフが報復としてイリヤーの松葉杖を盗みだしたことだけだ。ところが事件に関する言及は饒舌な彼らの重層化する記憶に塗り潰されていき、寓意に満ちた回想録の体をなすのでますます複雑化する。この寓意も特徴的だ。ロシア語という言語、ロシアという国の文化を前提とした表現だけにほぼ全頁に付記された注釈は重要なので、随時読むことをおすすめする。ただ、もしも本文でとっつきにくそうな印象を抱かせたとしたら、それは小生の不徳の致すところである。自分にとって『犬と狼のはざまで』を推奨するには逆接的にせざるを得なかったのだ。その理由は構造美が徹底的に追求されている傍ら文体自体は口語的で読みやすく、吸い込まれるように登場人物の語りに耳目をかたむけてしまう点にある。読み手は聞き手となり、言語の迷宮をさまよいながら事件の元凶を模索することになる。こうした読書における試行錯誤を遊戯に換える筆力たるや尋常ではない。


ピース
*国書刊行会(2014)
*ジーン・ウルフ(著)
*西崎憲(訳)
 館野浩美(訳)
 判事の娘のエリナー・ボールドが植えた楡の木が倒れて、心臓をどきどきさせながら目覚める。この冒頭は四〇年以上経た今も多種多様な解釈を生んでいる。本作品はキャシオンズヴィルを舞台に老いたオールデン・デニス・ウィアの過去を振り返る形式なのだが、ウィアの視点で語られる過去は複数の逸話で構成されており、いずれも結論や真相を欠いた奇妙な終わり方をする。それはときおり作中に介入する語り手ウィア自身のぼかした語り口も相まって、どこまで素直に受けとってよいのかわからない、読み手に不信感を抱かせる展開を見せるのだ。もしかすると『ピース』に書かれている物語はすべて彼の創作なのではないかと怪訝に思ったりもする。実験小説という外観でないにもかかわらず「劇中劇」や「信頼できない語り手」などの技法がさりげなく、本当にさりげなく散りばめられていて、読者はウィアに翻弄されることになる。小生もそうして翻弄された一人である。惹句の「物語は終わらない」とは物語の随所で沈黙し、肝心要の真相を隠匿するウィアの告白を見事に表している。


鼻持ちならないガウチョ
*白水社(2014)
*ロベルト・ボラーニョ(著)
*久野量一(訳)
 本書の初版が刊行されたのは二〇〇三年一〇月。そのおよそ三ヶ月前にロベルト・ボラーニョは五〇歳の若さで逝去した。精力的に創作活動を続けていたチリの作家がこの短編集の出版を見届けられなかったのは皮肉な話だ。ボラーニョ作品を読んでいると旅をしている気分になる。実際、ブエノスアイレスに住む弁護士がたくましきガウチョ像を求めてパンパの農場に足を運ぶ表題作『鼻持ちならないガウチョ』も、現代社会に溶け込んでいる現実のガウチョに失望する過程で不思議な旅情をただよわせている。また、本書では既存の作品・作家をよりどころとするものが散見される点も大きな特色だろう。例えば上記のガウチョ像はボルヘス作品を原点としており、鼠の世界で発生した惨殺事件を表現した『鼠警察』はカフカ作品と連結しており、最後の『クトゥルフ神話』は過去と現在のラテンアメリカ文学を大胆に総括した講演録である。次々に飛び出る文学者の名前は有名なものばかり。その豪華絢爛な人物像を俎板に乗せて、独創的な文学論でスパスパ切り捨てていく展開は大変刺激的だ。


アジアの岸辺
*国書刊行会(2004)
*トマス・M・ディッシュ(著)
 半世紀近くに渡りアメリカSF小説界を牽引したトマス・M・ディッシュは、ニューウェーブ運動が興隆する中、欧米の前衛的な小説の発想・技法をSFに組み込れて広範な作風を開拓した。その成果は従来のSFのイメージを一新するかたちで現れており、諷刺を利かせた邪悪な笑いや不条理に対する恐怖をこめたシニカルな主張には圧倒される。本書『アジアの岸辺』は表題作を含む一九六四年から一九九七年までに発表された短編小説を収録した日本オリジナル編集で、先述したディッシュの意欲の結晶がバランスよくまとめられていて好感を抱いた。順位を付けるのは無粋なので控えるが、悪夢を表現したような『降りる』、ジェンダー的ディストピアとも喩えられる世界を表現した『犯ルの惑星』あたりは特に印象的だった。これはディッシュが同性愛者である点を踏まえて解釈すると、なおさら主題にこめられている挑発的な姿勢が圧力をかけてくるようで息を呑んでしまう。ディッシュが昨今の社会を料理すると如何なる刺激物が生まれるのだろうか。読めるものなら読みたいものである。けれども二〇〇八年に彼の活動は銃弾により終止符が打たれたため、新たな挑発の可能性は永遠に失われた。


使える! 「国語」の考え方
*ちくま新書(2019)
*橋本陽介(著)
 比較詩学の専門家橋本陽介氏は、言語学、文体論、物語論に関する理論を次々展開されている新進気鋭の研究者であり、簡明直截な文体で構築した鉄壁の指導には説得力があるので、文筆業に携わる人に限らず物語全般に関わる人から物語に興味がある人まで幅広く推奨している。同時にその厳格さ故に身に覚えのある問題点が洗いだされたりすると己の勉強不足や固定観念をずばりと指摘された心持ちになり、ぐうの音も出なくなるので読むときは相応の覚悟を要するが、それも論説が具体的である証左である。類書を紐解いても橋本氏のナラトロジー講義に匹敵するものにはなかなか出会えない。その痛烈な指摘は本邦の国語授業をとりあげても際立っていた。本書では国語授業における小説文の意義、文章の理解、情報の整理、レポートの書き方といった中学校高等学校での国語指導に言及し、ときに批判を加えながら解釈するという構成だが、ともすれば混乱しそうな問題を「何故混乱するのか/どうすると混乱しないか」筋道立てて説明することで読者に頭を掻き毟らせない手腕はさすが。理解できない・理解させられないことには理由があり、理解する・理解させる方法は存在するのだ。勉強と文体の関係に着目し、国語教育にあるべきシステムを考察する手がかりを残す良書。


黄泥街
*白水Uブックス(2018)
*残雪(著)
*近藤直子(訳)
 思わず苦笑するほどの怪作に出会えて幸せである。白水Uブックス版『黄泥街』には残雪(ツァンシュエ)作品の研究者である近藤直子氏の試論が併録されているので、本項では大雑把な感想を記述するにとどめておこう。それでも並大抵のことではない。黒い灰が降り、人も物も腐敗し、狂気に駆られた動物たちが跋扈する狭い通り。黄泥街と呼ばれるその幻想の街で、ある男が発した「王子光」なる言葉が住人たちに広まるところより始まるこの物語は、奇怪に奇怪をかさねた不気味な発想で塗り固められている。結果的に混沌を深める起因となる「王子光」は然り、飲食物が糞尿に変わるように変転する黄泥街で続発する騒動は地獄絵図と称するにふさわしい。食事中の方に配慮せず汚物で喩えてしまったが、実際黄泥街では万物が腐るし、至るところ糞尿と灰にまみれて蛆が湧いている。千変万化の幻想郷である黄泥街では言語と現象が不可分の関係にあり、あらゆることが起こり得るのだ。池に猫の死骸が浮かぶこともある。人間の足に鶏の爪が生えることもある。そして「王子光」でない人物が「王子光」になることもある。言葉の数だけ現象のある世界を構築した残雪氏の類まれな創造力、そしておぞましいまでの表現力に畏怖と敬意を表す。


中学生にもわかる化学史
*ちくま新書(2019)
*左巻健男(著)
 勉強した記憶は残っているのに内容は忘却の彼方に葬られた、そうした経験は誰にでもあるだろう。不勉強な小生はくる日もくる日も忘却した知識を探してばかりだ。化学も例外ではないので、本書のような初心者向けの本は基礎を見なおす上で大変重宝する。化学史と銘打たれている通り化学と哲学が現代より連結していた古代ギリシアの思想に始まり、ノーベル賞設立後の発明に至る化学の変容を概観する形式。錬金術の流行、元素記号の誕生、周期表の作成。やがてX線とウラン化合物を経て放射能研究の母たるマリー・キュリーが登場する。放射能研究に人生を費やし、自身も放射能障害で世を去ったキュリー夫人。彼女のライフワークは生かされているのだろうか。詳細を語るまでもなく放射能は現代社会における重大な問題として認知されている。放射性物質・放射能・放射線の区別は難しいものではあるが、本文では蝋燭・火・光の関係でわかりやすく説明されているので大いに理解の助けになる。難解な主題を扱いながらも、敬語による平易な文体で自分のような劣等生も「なるほど」と頷かせるよき入門書。


トラウマ文学館 ひどすぎるけど無視できない12の物語
*ちくま文庫(2019)
*頭木弘樹(編)
 人にはそれぞれ忘れられない物語がある。忘れようにも忘れられない酷い話がある。本書は第九回で紹介した『絶望図書館』の続刊である。両者には大きな相違点があり、共感共鳴に依拠する『絶望図書館』が絶望の期間を埋めるアンソロジーなら、古今東西の悲惨な物語を集めた『トラウマ文学館』は古傷を抉る発掘のアンソロジーといえる。衝撃はいきなり訪れた。先陣を切るのは子供の頃のトラウマと題された棚に置かれた直野祥子『はじめての家族旅行』という漫画。これは月刊少女漫画雑誌の一九七一年一〇月号に掲載され、当時の少女漫画としては異質の絶望感に大変反響があったようだ。現代の感覚でも作中の「救われなさ」には胸を抉られてしまう。トラウマ文学館を進むと子供から思春期青年期と年代が移行し、原民喜、李清俊、フィリップ・K・ディック、筒井康隆、大江健三郎、フラナリー・オコナー、深沢七郎、フョードル・ドストエフスキー、白土三平、夏目漱石と著名な作家陣が登場する。そして一頁の掌編小説であるアレクサンドル・ソルジェニーツィン『たき火とアリ』が深い余韻を残し、読了後もぼんやりと頭の隅で燻り続けるのだ。この文学館にはさまざまな絶望が収納されている。それにしても絶望することは苦しいのに、絶望を得るため発掘を続けるのだから我ながらおかしな生きものである。心を抉る物語も想像力の結晶であり、その結晶にしかない輝きに人は惹かれるのかも知れない。



〈読書備忘録〉とは?


 読書備忘録ではお気に入りの本をピックアップし、感想と紹介を兼ねて短評的な文章を記述しています。翻訳書籍・小説の割合が多いのは国内外を問わず良書を読みたいという小生の気持ち、物語が好きで自分自身も書いている小生の趣味嗜好が顔を覘かせているためです。読書家を自称できるほどの読書量ではありませんし、また、そうした肩書きにも興味はなく、とにかく「面白い本をたくさん読みたい」の一心で本探しの旅を続けています。その過程で出会った良書を少しでも広められたら、一人でも多くの人と共有できたら、という願いを込めて当マガジンを作成しました。

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