読書備忘録_第2弾_2

【読書備忘録】狂人の船からネット狂詩曲まで

 この序文を書き始める前コミックマーケット95の当落発表がありまして、Twitter/Mastodonは大変な盛りあがりを見せていました。そのため公開を若干遅らせた次第です。それにしても11月ですよ。そろそろ冬の足音が聞こえてくる季節なので、風邪など召さないよう体調にはお気を付けてください。ときには読書でもして静かな時間をすごしましょう。というわけで今回もおすすめの本を10冊紹介します。


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狂人の船
*松籟社(2018)
*クリスティーナ・ペリ=ロッシ(著)
*南映子(訳)
 クリスティーナ・ペリ=ロッシは六歳のとき「将来作家になる」と宣言した逸話の持ち主であり、学生時代に内戦状態のウルグアイからスペインに亡命するなど波乱万丈の人生を送りながら執筆活動を継続、やがて世界で二〇以上の言語に翻訳されてラテンアメリカ文学を代表する大物たちに名を連ねる存在にまで登りつめた超人である。本邦で全然翻訳されていない現状は残念だが、本書の効果で活発化することを願う。それにしても奇妙な物語だ。亡命という実体験を反映させたエックスなる人物の遍歴を描いており、前後関係が不明瞭な、断片的な章を繋ぎながら圧政・差別を始めとする社会的抑圧にコミットメントする。複数の線が絡み合う構成は蜘蛛の巣のようだ。また序盤に突然語られる天地創造のタペストリーも重要な鍵であり、各章末にタペストリーの一部が暗示的に挿入され、補完の効果を現している。万人受けするタイプではないかも知れない。しかし、散逸した思想の欠片を集めるようなテクストには濃厚な中毒性があり、何度も気にかかる箇所を読み返してしまう。


傾城の恋/封鎖
*光文社古典新訳文庫(2018)
*張愛玲(著)
*藤井省三(訳)
 中国文学評論家夏志清は張愛玲を魯迅と並べて二〇世紀最高の中国文学者と評価した。張愛玲の人生は波乱に満ちており、日中戦争や国共内戦を始めとする戦争の数々、たびかさなる家庭内暴力に翻弄された壮絶なものであった。一般的には不和の一言で片付けられているが、博打と阿片にのめり込む父は六針縫うほどの大怪我を負わせたり赤痢にかかった張愛玲を医者にも見せず監禁するといった虐待を繰り返し、継母も同様に殴打を加えるありさまだった。最終的に彼女は自宅から脱走することで「家」を逃れた。この模様は本書収録のエッセイ『囁き』で述べられている。短編小説『傾城の恋』には自身の体験を踏まえ、没落貴族の娘とプレイボーイのイギリス華僑の穏やかならぬ恋愛物語を展開させている。日本占領下の上海にて封鎖中の市電で行きずりの恋に落ちる男女を描いた『封鎖』しかり、一口に恋愛と言ってもどこかしらに硝煙の匂いをただよわせている情景には甘さより舌が焼き切れそうな辛さが含まれている。


知の仕事術
*集英社インターナショナル新書(2017)
*池澤夏樹(著)
 小説、翻訳、編集と幅広くご活動されている池澤夏樹氏の功績は大きすぎて簡単には語り尽くせない。優れた小説の数々に加えて、河出書房新社『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集』に代表される世界文学の紹介者としても多大なる実績を残されており、自分自身池澤夏樹氏のおかげで出会えた世界的名著は数え切れないほどある。そうした池澤氏が自身の仕事術である「知のノウハウ」を綴ったのが本書だ。インターネットと新聞を両立する情報収集方法、使うと表現される書籍との付き合い方、電子と足をフル稼働させる取材の仕方、アイディアの整理と書く技術。ほかにも昨今論題にのぼりがちな紙の本と電子書籍の共存というテーマにも触れていて、その双方の長短所を中立的な視点で論述した文章は理に適っており考察の助けになる。堅苦しい書き方ではなく、それでいて具体的な手法が説かれているので、さまざまな職業で応用できる実用書と言えるだろう。


昔、火星のあった場所
*惑星と口笛ブックス(2018)
*北野勇作(著)
 第四回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞作である『昔、火星のあった場所』は一九九二年新潮社より刊行、二〇〇一年徳間デュアル文庫より文庫版刊行、その後長く絶版の憂き目に遭っていたが、このたび電子書籍レーベル惑星と口笛ブックスの〈ブックス・ファンタスティック〉シリーズ第一作として復刊された。舞台は地球と変わりなき社会が築かれた火星。入社したばかりの主人公が失踪した同期の排除を命じられるところから始まる物語は、タヌキや鬼、AIの小春といった奇妙なキャラクターたちと交わりながら古来より伝わる昔話に沿った事象を経て、いつしか不確定である世界の謎に迫るという広大無辺なるテーマに飲み込まれていく。不確定性のある世界を『かちかち山』の泥舟に喩えて宇宙規模に拡大する発想が素晴らしく、他人事を語るような、危機感の薄い主人公の語りと妙に調和している。量子論はちんぷんかんぷんな自分でも、戸惑うことなく楽しめるのだから予備知識にこだわる必要はない。安心して読もう。


ここにいる
*白水社(2018)
*王聡威(著)
*倉本知明(訳)
 本作品は二〇一三年の大阪市母子餓死事件に衝撃を受けた王聡威氏が舞台を台湾に移して、物語として再構築した実験的な長編小説だ。夫から暴力を受けた美君は娘の小娟を連れて近隣のアパートに移り住み、夫の連絡を待ちながら過去を回想する。そのあいだにも生活は日に日に困窮し、彼女は自分を見失っていく。注意すべきはここまでの主張は美君本人の独白に依拠している点で、彼女と関わりのある夫、娘、親、弟、元彼、同僚といった複数人物の独白が混ざることで物語における美君像は不明瞭になる。一人称ならではの謎かけといえるだろう。SNSの投稿文をモチーフとする誰にともなく投げかける言葉の応酬は、良妻賢母としての美君と自意識過剰で他者の評価に生きる承認欲求の塊としての美君が並立し、客観的な判断を困難にするのだ。善悪を決めるには複数の証言が必要であり、複数の証言は真相を曖昧にする。こうした「藪の中」に喩えられる現象をつぶやきの群で体現した『ここにいる』は現代社会に痛烈な疑問を突き付けるメッセージ性の強い作品である。よい意味で憂鬱な気持ちにさせてくれる。


共謀綺談
*松籟社(2018)
*フアン・ホセ・アレオラ(著)
*安藤哲行(訳)
 本書の原題『Confabulario』はフアン・ホセ・アレオラの造語であり、非常に翻訳が難しい言葉だという。英語、イタリア語、ポルトガル語は原題のまま。フランス、中国では頑張って自国語に訳したようだが、本来の意味を完全に示しているとはいいがたい模様。それは日本語訳『共謀綺談』も例外ではなく、翻訳を担当された安藤哲行氏が如何に頭を悩ませたかはあとがきに記述されている。その表題の時点で壁の厚さを見せる本作品、頁を開くとこれまた難解な掌編小説が二八編ずらりと並んでいる。予備知識が必要なのではないし、難しい単語が乱用されているのでもないが、眼前の事象から何を読みとればよいのかわからないのだ。例えば最後の『下手な修理をした靴職人への手紙』は題名通り靴職人にクレームを付ける話である。冒頭から始まり末尾で小説も終わる。この手紙に何を見出すのかは読者に委ねられているのか、とにかく想像力が試される。その記述が面白い。どれほど自分が靴を愛し、変形した靴に苦しめられているか熱弁する様子は哀れであり滑稽でもある。下手にテクストの裏側を覗こうとするより文章そのものを味わう方が純粋に楽しめるかも知れない。細部から凝縮されたテーマを発掘する方が楽しめるかも知れない。可能性はいくらでもある。読書の仕方に決まりはないので、各自好きな姿勢で読むことをおすすめする。ラテンアメリカ文学にはまだまだ自分の知らない表現が存在するのだと感嘆した。


ラテンアメリカ十大小説
*岩波新書(2010)
*木村榮一(著)
 平易な文章で、それでいてラテンアメリカ文学の全体像をある程度掴める内容にするという、非常に難しい注文にこたえた入門書。木村榮一氏はスペイン語の文学を広めるのに大変な功績を残されており、博学な氏の丁寧な解説はとても参考になる。本書ではボルヘス、カルペンティエル、アストゥリアス、コルタサル、ガルシア=マルケス、フエンテス、バルガス=リョサ、ドノソ、プイグ、アジェンデをとりあげて、各作家の生涯と代表作を紹介する。初めて拝読したのは数年前。そのときは本書に登場する小説を一冊も読んでいなかった。それだけに本書の影響を受けて大いに好奇心を刺激されたものである。全作品に触れた今、久しぶりに再読してみたら木村氏がどれだけ作品の概要を述べながら、読んでからの楽しみを残す工夫をされているかわかり改めて良書だと再認識した。ラテンアメリカ文学に接するよい手引きなので、興味のある人には是非おすすめしたい。それと恐縮ながら余談を書かせていただくと、小生はやはりバルガス=リョサ表記がしっくりくる。この表記を目にすると安心する。


私はガス室の「特殊任務」をしていた 知られざるアウシュヴィッツの悪夢
*河出文庫(2018)
*シュロモ・ヴェネツィア(著)
*鳥取絹子(訳)
 本書には地獄が書かれている。ギリシャ生まれのイタリア系ユダヤ人であるシュロモ・ヴェネツィア氏は、二一歳でアウシュヴィッツに強制収容されて特殊任務部隊と呼ばれるグループに所属させられる。彼らに与えられた仕事は虐殺の支度と始末。おなじく強制収容されてきたユダヤ人たちをガス室に送り、決行後の清掃と遺体の焼却を任される。いうまでもなく犠牲者たちは彼らにとっては同胞である。同胞を死に向かわせなければ自分が殺されるという状況は、呼吸をするように撲殺・銃殺するナチスの管理下だけに着実に心身を蝕んでいく。知識はあったが、ヴェネツィア氏の口から語られる当時の情景はあまりにもおぞましく、人間とはこうも残虐になれるのかと戦慄を禁じえなかった。ヴェネツィア氏が語り始めたのは奇跡的な生還を果たした後、四七年の歳月を経てからだ。戦争の記憶は薄れ、ローマ市内の壁に逆卍の落書きが目立ちだしたのを見て活動を始めたという。二〇一二年に亡くなった氏の努力は今後も語り継がれるだろう。


ハイチ女へのハレルヤ
*水声社(2018)
*ルネ・ドゥペストル(著)
*立花英裕(訳)
 後藤美和子(訳)
 中野茂(訳)
 ハイチにて生を受け、フランス、チェコ、キューバ、チリ、ブラジルと各国を渡り歩いたルネ・ドゥペストルの文学を「ハイチ文学」と称するのは適切だろうかと読む前は疑問に思ったが、ハイチでの美しき叔母と少年の背徳的な性愛を描いた表題作『ハイチ女へのハレルヤ』に始まり、著者が遍歴した国々を舞台とする小説群を経て、最終的にハイチにおける優秀な医師にしてとんでもない色狂いのエルヴェ・ブラジェの顛末を描いた『ジャクメルへの帰郷』で幕をおろす構成はあくまでもハイチを軸に組まれており、まさにハイチ文学と呼ぶにふさわしい内容だった。それにしてもエロティックな短編小説集だ。はっきりいってエロい。この一〇編は登場人物も文体も多種多様だが『山のカップル』のようなとろける恋愛模様を綴る物語もあれば『地理的放蕩学の回想録』のような列挙された固有名詞に恋愛遍歴を含ませる実験的な物語もあり、読者によって刺激を受けるものは大分異なるだろう。読んで納得の「太陽のエロティスム」であった。


ネット狂詩曲
*彩流社(2018)
*劉震雲(著)
*水野衛子(訳)
 中国で実際起ったお騒がせ事件を題材にとり、各事件の原因を一人の人物に集約させるという大胆な群像劇に仕上げたのが本作品。邦題『ネット狂詩曲』は水野衛子氏独自の翻訳ではあるが、原題の意味を逸脱することなく、本作品にこめられた痛烈な諷刺の響きを残している。物語は翌月結婚を控えた牛小麗が一〇万元持ち逃げした栄彩霞を捕まえるため、単独で長旅に出るところから始まる。まさかこの騒動が中国を賑わす事件の発端になるとは彼女も読者も想像していなかった。複数人の視点で描かれる物語には怨恨・裏切り・処女といった共通テーマが仕組まれており、ときに既視感を覚える場面に出会うこともある。立場も性別も年齢も異なる人々が思わぬかたちで、思わぬ交わりを見せる意外性がどこか滑稽な情景を浮きあがらせる。また本作品の特色はそこにインターネットという見えざる監視・拡散システムを介入させることで、事件を物語化し、虚実ないまぜにして煽り立てる野次馬根性の恐ろしさを活写している点であり、登場人物に失笑や同情する反面あまりのリアリティに肌が粟立った。凄い小説だ。



〈読書備忘録〉とは?


 読書備忘録ではお気に入りの本をピックアップし、感想と紹介を兼ねて短評的な文章を記述しています。翻訳書籍・小説の割合が多いのは国内外を問わず良書を読みたいという小生の気持ち、物語が好きで自分自身も書いている小生の趣味嗜好が顔を覘かせているためです。読書家を自称できるほどの読書量ではありませんし、また、そうした肩書きにも興味はなく、とにかく「面白い本をたくさん読みたい」の一心で本探しの旅を続けています。その過程で出会った良書を少しでも広められたら、一人でも多くの人と共有できたら、という願いを込めて当マガジンを作成しました。

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