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自分史〜③〜

前回の続き


1回目の精神科入院

2021年8月中旬から10月いっぱいまで精神科に入院。この入院は閉鎖病棟でした。
この入院を機に入院先の病院に転院し初診から診てもらっていたメンクリとはお別れすることに。

この入院でお世話になった主治医と心理士に今でも診てもらっています。
主治医は割と若い男性で優しくて話しやすい先生。「仕事きち〜よな」「夜のネットショッピングってマジ怖いよね」とかラフに話しかけてくれる距離感。
心理士も男性。ズバズバ言ってくれる方で、「これはダメ」と厳しく言われるからこそ「よく頑張ったね」と言ってもらえた時がとっても嬉しい。女性心理士によくある「患者に寄り添い共感」ではなく、私の心理士は「私情を全く挟まず全て心理学的に意見を言う」ようなタイプ。

1回目の入院で、私は入院患者複数人とお友達になりました。これがのちに、私の病状の悪化となりました。相手も入院患者なのでもちろんメンタルが悪くて入院している。相手の気分の波に飲み込まれたりすることが多かったです。
そして20歳の私はこの入院で同じ病棟の患者と付き合いました。その彼氏は当時46歳。入院中に恋愛は禁止だったのに(病院のルール)私は付き合ってしまったし、しかも46歳の人を好きになってしまった。結局1ヶ月経って相手の男性が入院中にドラッグやってたかもという疑惑が発覚し別れました。(ちなみに同じ病院に通っているので今でも時々出くわす。声かけられる。)

入院中に、主治医から「やっぱり一人暮らしした方がいい」と言われました。なので外泊時に不動産屋行ったりして、退院してから実家の隣の街に一人暮らし。ちなみにフリーターなのもあって家賃2.5万のボロすぎアパートに住んでいました。

記憶のない2021年の大晦日

退院して一人暮らしを始め、それから2ヶ月経った2021年の12月。
同い年の友達は大体みんな大学3年生で就活が始まっていました。この時期にとある大学の男友達の影響で私はメンタルを大きく崩しました。
就活でメンタルがやられていたA君は、私が精神疾患であることを知った上で、「自傷って実際どうなの」「精神科の薬飲みたい」とLINEを私に送っていた。
まだ鬱が続いている私は、これでなおさら鬱になってしまいました。
大晦日にODと大量のアルコール摂取で、私は2021年の大晦日から2022年の1月3日くらいまで記憶がありません。

どんどん激しくなる感情の波

年が明け2022年の1月、この1ヶ月は本当に気分の波が激しかった。この1ヶ月で何回企図をしたか分からない。メンタルがボロボロすぎて、バイトはやめました。
そして主治医に「強制入院」と言われました。

2回目の精神科入院

2022年2月から3月まで再度入院(強制入院)。2月の1ヶ月は保護室、3月は閉鎖病棟。保護室の理由は『躁鬱かどうかを観察するため』でした。
結果、退院の時に躁鬱ではなく境界性パーソナリティ障害と言われました。(心理検査や今までのカウンセリング内容などの情報を総合的に考えた結果)

この入院でまた私は患者と付き合いました。当時28歳の男性でした。
この男性と3月に付き合い、7月に縁を切るまでの4ヶ月。この4ヶ月で私は人生を大きく棒に振りました。人生で1番出会いたくなかった人間、思い出したくない思い出です。周りの友達や家族や病院の方々、また行政にも、たくさんの人たちからの信頼を私はこの4ヶ月で失いました。


今回はここまで。
次回はまたいつか。

琴音


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