自分のキャリアを捨てても欲しい生活があるということ そんなすごいことはないよね そんな風に思える人と出会えたことは すごく幸せなこと 私もそんな風に思ってたんかな 一緒に居たい人となるべく一緒に居たいよね そう思ってた木がする 今この時間があるということは 普通じゃない どんなことが起こるかは 誰もわからない やっぱり今しかない と思ってしまう この考えは間違ってないと 思うけど まだやらなきゃいけないことに 縛られてる感じもする やらなきゃいけないこと やっとけ
負のスパイラル って人に言ってる時点で 私がネガティブだったんだな どうしても気持ちの浮き沈みが 引っ張られるのが嫌になって 人のことをネガティブだと 批判するつもりが 自分のネガティブに引っ張ることになっていた 反省だな 自分の呪縛に人のことを 引っ張るなんて 良くしようと思っても そうは上手くいかない 嫌われないようにと思って なんか自分じゃなくなるのも 本末転倒だなとも思った 自分が自分であるのに 一生懸命になってる時点で 無理してるから自分から外れてる 自分
目標というか自分がどう生きたいか ということを最近考えて 日々を過ごしているわけなんだけど と言ってもおいさきすごく短いことが決まっているわけではなく すごく長く生きるわけでもない ということを感じた最近 辛いけど日々は過ごさなくては ならないし 過ごさなくてはと思ってなくても 時間は過ぎてしまうので せめて自分の意思で時間を過ごしたい と思っているだけ 子育てとか終活とかこれから 自分にどう生きて行くかを 常日頃、指針を探している 先日同じ日に 自分の使命 と
嘘を付くことを ずっとダメなことと思ってた 最近はそうでもなくて それこそ自分でさえも偽って 日々を過ごしてる 嘘を付くのにも いろんな嘘があって 悪いもの、よいとまではいかなくても 優しいものとかも あるんだよね すべてに全うである必要は ない 私もずいぶん寛容になったなー 上出来だ
初めて見るアーティストだったけどクワイフ#Qaijff ナビゲーターの言葉が詰まった時に思い出した。 xでガンであることを 公表していた人だ と 去年の記憶があんまりない 私 ずっと辛かったからだとは 思っていたけど こんな感じでいろんな記憶が 蘇る 命の輝きみたいなものを 昨日は感じていた 我慢しようにも止まらない涙 もう我慢しないように しなきゃな 溢れ出る感情を押し殺すことは できないんだな ずっと流してた涙 プロはすごいな 歌が伝わる 泣きそうでなかない
アウトプットをする 考えてないで行動する 悩まない なにか作り出すためには悩む まずはやりたいことを やってみる やってみてどう続けるか 考えて続ける あるいはやめる ほんとにドラム始めてみて 良かった やらない選択ばかりしていた自分を 見つけることができた 今はやってる自分がいる 悩むって行動しない理由 って今は感じる この歳になって失敗するのが あんまり怖くなくなった 失敗したら そこで修正すればいい と開き直ることができる自分になった こればいいことだと思
このところの私はけっこう幸せだ 好きなことをやってるからだろう。 今までずっと我慢してた気がする なんのための我慢だったのかなー 今は生活も安定して 好きなことをできるようになった ということなんだろうか 今まで好きなことがしたいと 思ってたのかな? あんまり思ってなかったのかもしれない やりたいこととやらなきゃいけないことの天秤というか そんなものの存在を自分で作っていたのかもしれない 今はその天秤はなしにして どっちもやればいいと 思えたことが今の私を作ってい
「丈夫な体に生んでくれて親に感謝ですね」 という普通の言葉にすごく反応してしまう自分がいる。 私は子供を丈夫な体で生んであげられなかったという呪縛にきっと囚われているからなんだろうな 親に感謝する理由は何であれ 感謝することはいいことだ そう素直に取れない自分なだけだ 本当に環境とかに恵まれたら もっと違う自分だったのでは? と思ってしまうことが多々あるが ある程度衣食住は確保されてたから あとは自分の努力次第という考え方もあるけど気力と体力って実は 比例してる気が
今年は日々がゆっくり過ぎている 気がする 丁寧に時間を過ごしていけてるのかな 丁寧に過ごすほど 充実している ような気がする
原作は映画を見たあとに読みたい派 なので読んでみた 映画は時間の制限もあるし エピソードも限られるから 同じ話と考えて読むと 各人物の背景が分かって、なるほど と思ったことも多かった でも 自分が映画を見た時に感じた印象とは 主人公の印象がずいぶん違っていた 人は自分が思うように 人を見ている気がする 私は基本的にこの人は悪い人だ と意識的に思わないように人を見ているんだな 映画を見ている時は各人物を悪い印象で見ていなかった でもその状況に置かれなければ 人はその行
見て、今思っていることを書いておこうと思って書きます 原作は読んだと思っているのだけれど 全く思い出せず 映画を見るに至ったわけだが 見終わったあと うーん疲れた、胸糞悪い映画だ と思ったわけで 一緒に見に行った友人には映画は良く出来ていた、だとか言ってはみたものの 自分が思っている母性と世間が思っている母性に違和感があることしか思われなくて疲労感が半端ない 私が思っている母性とは なんだかのフィルターがかかっていて 子供のことがかわいいとしか思えないこと だというこ
今の自分に響くことは 確実に刺さるんだな 涙出た 今の私はもっともがいていいんだ まだまだやれるってこと なのかもしれない やれることはやればいい やれないことは やれないんだから 諦める、それでいい。
今思っていることを 書いておこうと思って書いている 友達と見に行って 結構語れたので満足度は高い まだ原作を読んでいないので 詳しく原作にエピソードが載っているのかもとは思っているが 映画を見て満足した映画だった わからないなぁーと思った ことはなく映画を見て満足できる映画 だと思います そこからの妄想は個人の自由なので 私的にはそこそこの妄想ができて 語れて良かった ネタバレあり 本当に涙したのは離婚した元旦那との 離婚理由 子供の療法方針が食い違って そこから
笑いと悪意の話をしていて 結構納得だった 真に笑いとはという訳ではないけど ここ最近の笑いについては 納得 さらに新しい感覚というか 笑いを早く察するみたいなことも 要求されているようだ なんかお笑い見ても空気読めなきゃ だめみたいで ついていけなくなる HSP基質みたいなとこがあるから 人の悪意を察するのは辛いんだよな 気をつけようとは思っているのだけど ついつい人の機嫌をとって あるいは伺って生活してるのは 良くないなと やめようと思ってはいるのだけど なかなかや
生きたくないという人に かける言葉は難しい 愚痴を聞くだけって どうするのが正確なんだろう
好きを極めるって 楽しいんだろうなぁ 羨ましい って言ってないで何かすればいいん だろうな