生きる指針~日蓮の言葉~

一仏の弟子と生まれ、諸経の王に事える信仰です。 日蓮大聖人の教えを、ひとりでも多くの方…

生きる指針~日蓮の言葉~

一仏の弟子と生まれ、諸経の王に事える信仰です。 日蓮大聖人の教えを、ひとりでも多くの方々に知っていただきたいと思い、御遺文(御書)を読み進めます。

記事一覧

日蓮大聖人の言葉『千日尼御前御返事』せんにちあまごぜんごへんじ 25

内典の仏法に入りて五千七千余巻の小乗大乗は、女人成仏かたければ悲母の恩報じがたし。小乗は女人成仏一向に許されず。大乗経は或は成仏、或は往生を許したるやうなれども…

日蓮大聖人の言葉『一谷入道御書』いちのさわにゅうどうごしょ 24

裟婆世界は五百塵点劫より已来、教主釈尊の御所領なり。大地・虚空・山海・草木一分も他仏の有ならず。又一切衆生は釈尊の御子なり。譬へば成劫の始め、一人の梵王下りて六…

日蓮大聖人の言葉『法華取要抄』ほっけしゅようしょう 23

此の土の我等衆生は五百塵点劫より已来、教主釈尊の愛子なり。不孝の失に依りて今に覚知せずといえども、他方の衆生には似るべからず。有縁の仏と結縁の衆生とは、譬えば天…

日蓮大聖人の言葉『南条殿御返事』 なんじょうどのごへんじ 22

在世の月は今も月、在世の花は今も花、むかしの功徳は今の功徳なり。その上、上一人より下万民までににくまれて、山中にうえし(飢死)にゆべき法華経の行者なり。これをふ…

日蓮大聖人の言葉『重須殿女房御返事』おもんすどのにょうぼうごへんじ 21

月は山よりいでて山をてらす。わざわいは口より出でて身をやぶる。さいわいは心よりいでて我をかざる。今正月の始めに法華経をくやうしまいらせんとをぼしめす御心は、木よ…

日蓮大聖人の言葉『四条金吾殿御返事』しじょうきんごどのごへんじ 20

在世の法華経は釈迦如来の御志を書き顕はして、此の音声を文字と成し給ふ。仏の御心はこの文字に備はれり。たとへば種子と苗と草と稲とはかはれども、心はたがはず。釈迦仏…

日蓮大聖人の言葉『瑞相御書』ずいそうごしょ 19

(訳) 人々の悦びが大きければ、天には吉瑞があらわれ、地にはめでたい帝釈の地動瑞(善きことの前兆として、世界が上下・左右など六種に震動する)が起こるのです。しかし…

日蓮大聖人の言葉『上野殿御返事』うえのどのごへんじ 18

(訳) そもそも現今においては、法華経を信じる人もありますが、ある人は“火のように”信じ、ある人は“水のように”信じているのです。 “火のように”信じる人とは、説…

日蓮大聖人の言葉『法華題目抄』ほっけだいもくしょう 17

さればさせる解なくとも、南無妙法蓮華経と唱ふるならば悪道をまぬかるべし。譬ば蓮華は日に随いて回る、蓮に心なし。芭蕉は雷によりて増長す、この草に耳なし。我等は蓮華…

日蓮大聖人の言葉 『盂蘭盆御書』うらぼんごしょ 16

盂蘭盆と申し候事は、仏の御弟子の中に目連尊者と申して、舎利弗にならびて知恵第一・神通第一と申して、須弥山に日月のならび、大王に左右の臣のごとくにをはせし人なり。…

日蓮大聖人の言葉『崇峻天皇御書』すしゅんてんのうごしょ 15

孔子と申せし賢人は九思一言とて、こゝのたび(九度)おもひて一度申す。周公旦と申せし人は、沐する時は三度握り、食する時は三度はき給ひき。たしかにきこしめせ。我ばし…

日蓮大聖人の言葉『諸経与法華経難易事』しょきょうとほけきょうとなんいのこと 14

仏法ようやく顛倒しければ、世間もまた濁乱せり。仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり。       弘安3年(1280)執筆      …

日蓮大聖人の言葉『窪尼御前御返事』くぼあまごぜんごへんじ 13

弘安2年(1279)5月4日執筆 『昭和定本日蓮聖人遺文』1646頁 (訳) すべての善き行いの中でも、父母に孝養を尽くすことが第一に大切なことであります。まし…

日蓮大聖人の言葉『妙一尼御前御消息』みょういちあまごぜんごしょうそく 12

(訳) 法華経を信じている人は、寒い冬のようなものです。冬は必ず、花の咲き誇る春となります。昔から、聞いたことも見たこともないでしょう、冬が、秋へと逆戻りしたと…

日蓮大聖人の言葉『神国王御書』しんこくおうごしょ 11

(訳) お釈迦さまが生涯において説かれたすべての教えである明鏡(曇りの無いよく映る鏡)のなかでも、法華経は特に明かな神鏡(神聖な鏡)であります。銅の鏡は人の顔や…

日蓮大聖人の言葉『崇峻天皇御書』すしゅんてんのうごしょ 10

建治3年(1277)9月11日執筆 『昭和定本日蓮聖人遺文』1395頁 (訳) 蔵の中に山ほども財を積むことができても、身体が弱くてはどうにもなりません。だから蔵の…

日蓮大聖人の言葉『千日尼御前御返事』せんにちあまごぜんごへんじ 25

内典の仏法に入りて五千七千余巻の小乗大乗は、女人成仏かたければ悲母の恩報じがたし。小乗は女人成仏一向に許されず。大乗経は或は成仏、或は往生を許したるやうなれども仏の仮の言にて実事なし。ただ法華経計りこそ女人成仏、悲母の恩を報ずる実の報恩経にては候へと見候しかば、悲母の恩を報ぜんために此の経の題目を一切の女人に唱えさせんと願す。

弘安元年(1278)7月28日執筆
『昭和定本日蓮聖人遺文』154

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日蓮大聖人の言葉『一谷入道御書』いちのさわにゅうどうごしょ 24

裟婆世界は五百塵点劫より已来、教主釈尊の御所領なり。大地・虚空・山海・草木一分も他仏の有ならず。又一切衆生は釈尊の御子なり。譬へば成劫の始め、一人の梵王下りて六道の衆生をば生みて候ぞかし。梵王の一切衆生の親たるが如く、釈迦仏も又一切衆生の親なり。また此の国の一切衆生のためには、教主釈尊は明師にておはするぞかし。父母を知るも師の恩なり。黒白を弁ふも釈尊の恩なり。             

建治元年

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日蓮大聖人の言葉『法華取要抄』ほっけしゅようしょう 23

此の土の我等衆生は五百塵点劫より已来、教主釈尊の愛子なり。不孝の失に依りて今に覚知せずといえども、他方の衆生には似るべからず。有縁の仏と結縁の衆生とは、譬えば天月の清水に浮かぶが如し。文永11年(1274)5月24日執筆
『昭和定本日蓮聖人遺文』812頁
(訳)
この娑婆世界にいる私たち衆生は、五百億塵点劫というはるか昔から、教主釈尊の愛子であります。その教えにそむいた不孝のとがによって、今日まで

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日蓮大聖人の言葉『南条殿御返事』 なんじょうどのごへんじ 22

在世の月は今も月、在世の花は今も花、むかしの功徳は今の功徳なり。その上、上一人より下万民までににくまれて、山中にうえし(飢死)にゆべき法華経の行者なり。これをふびんとをぼして山河をこえわたり、をくりたびて候ふ御心ざしは、麦にはあらず金なり、金にはあらず法華経の文字なり。我等が眼にはむぎなり。十らせつ(羅刹)には、このむぎをば仏のたねとこそ御らん候ふらめ。

建治元年(1275)2月25日執筆(建治

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日蓮大聖人の言葉『重須殿女房御返事』おもんすどのにょうぼうごへんじ 21

月は山よりいでて山をてらす。わざわいは口より出でて身をやぶる。さいわいは心よりいでて我をかざる。今正月の始めに法華経をくやうしまいらせんとをぼしめす御心は、木より花のさき、池より蓮のつぼみ、雪山のせんだんのひらけ、月の始めて出づるなるべし。

弘安4年(1281)正月5日執筆
『昭和定本日蓮聖人遺文』1857頁

(訳)
月は山から出て、その山を照らします。悪しき言葉は口から出て、その身を破滅させ

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日蓮大聖人の言葉『四条金吾殿御返事』しじょうきんごどのごへんじ 20

在世の法華経は釈迦如来の御志を書き顕はして、此の音声を文字と成し給ふ。仏の御心はこの文字に備はれり。たとへば種子と苗と草と稲とはかはれども、心はたがはず。釈迦仏と法華経の文字とはかはれども、心は一つなり。然れば法華経の文字を拝見せさせ給ふは、生身の釈迦如来にあひ進らせたりとおぼしめすべし。

文永9年(1272)執筆
『昭和定本日蓮聖人遺文』666頁

(訳)
法華経は、お釈迦さまの御志が書き顕さ

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日蓮大聖人の言葉『瑞相御書』ずいそうごしょ 19

(訳)

人々の悦びが大きければ、天には吉瑞があらわれ、地にはめでたい帝釈の地動瑞(善きことの前兆として、世界が上下・左右など六種に震動する)が起こるのです。しかしながら、人々の悪しき心が盛んになれば、天には不吉な天変が現われ、地には不祥な地夭が起こるのです。また人々の懐く怒りの大小にしたがって、その現われる天変にも大小があるのです。また地夭にも同じように、大小の別があるのです。

(解説)

 

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日蓮大聖人の言葉『上野殿御返事』うえのどのごへんじ 18

(訳)
そもそも現今においては、法華経を信じる人もありますが、ある人は“火のように”信じ、ある人は“水のように”信じているのです。 “火のように”信じる人とは、説法を聞いた時に燃え立つように熱心になり夢中になって信仰しますが、時間がたつにつれて熱心さが消えてしまい、やがて捨て去る心のことをいうのです。それに対して、 “水のように”というのは、いつも退くことなく常に信じ続けることであります。

(解

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日蓮大聖人の言葉『法華題目抄』ほっけだいもくしょう 17

さればさせる解なくとも、南無妙法蓮華経と唱ふるならば悪道をまぬかるべし。譬ば蓮華は日に随いて回る、蓮に心なし。芭蕉は雷によりて増長す、この草に耳なし。我等は蓮華と芭蕉との如く、法華経の題目は日輪と雷とのごとし。       

文永3年(1266)正月6日執筆
『昭和定本日蓮聖人遺文』393頁

(訳)
さほどの

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日蓮大聖人の言葉 『盂蘭盆御書』うらぼんごしょ 16

盂蘭盆と申し候事は、仏の御弟子の中に目連尊者と申して、舎利弗にならびて知恵第一・神通第一と申して、須弥山に日月のならび、大王に左右の臣のごとくにをはせし人なり。この人の父をば吉懺師子と申し、母をば青提女と申す。その母の慳貪の科によて餓鬼道に堕ちて候しを、目連尊者のすくい給ふより事をこりて候。       

弘安3年(1280)7月13日執筆

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日蓮大聖人の言葉『崇峻天皇御書』すしゅんてんのうごしょ 15

孔子と申せし賢人は九思一言とて、こゝのたび(九度)おもひて一度申す。周公旦と申せし人は、沐する時は三度握り、食する時は三度はき給ひき。たしかにきこしめせ。我ばし恨みさせ給ふな。仏法と申すは是にて候ぞ。  

建治3年(1277)9月11日執筆
『昭和定本日蓮聖人遺文』1397頁

(訳)
孔子という賢人は「九思一言」

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日蓮大聖人の言葉『諸経与法華経難易事』しょきょうとほけきょうとなんいのこと 14

仏法ようやく顛倒しければ、世間もまた濁乱せり。仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり。      

弘安3年(1280)執筆     
『昭和定本日蓮聖人遺文』1752頁

(訳)
 仏法の真実が次第に損なわれてしまえば、人の心も乱れ、世の中も濁って乱れてしまうのであります。仏法は、本体のよう

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日蓮大聖人の言葉『窪尼御前御返事』くぼあまごぜんごへんじ 13

日蓮大聖人の言葉『窪尼御前御返事』くぼあまごぜんごへんじ 13

弘安2年(1279)5月4日執筆

『昭和定本日蓮聖人遺文』1646頁

(訳)

すべての善き行いの中でも、父母に孝養を尽くすことが第一に大切なことであります。ましてや、法華経においてはなおさらのことです。金の容器に浄らかな水を入れて少しも漏れることないように、その功徳がいただけるでしょう。めでたいことです。めでたいことです。

(解説)

本書は、日蓮聖人の女性信者であった窪尼御前(持妙尼)へ

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日蓮大聖人の言葉『妙一尼御前御消息』みょういちあまごぜんごしょうそく 12

(訳)

法華経を信じている人は、寒い冬のようなものです。冬は必ず、花の咲き誇る春となります。昔から、聞いたことも見たこともないでしょう、冬が、秋へと逆戻りしたということを。そのようにまだ聞いたことがありません、法華経を信じる人が、成仏をしないで凡夫のままでいるということを。法華経の二番目の章「方便品」には「若し法を聞く者有れば、一(ひとり)として成仏せざるは無し」とあって、「もし、法華経を聞くこ

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日蓮大聖人の言葉『神国王御書』しんこくおうごしょ 11

(訳)

お釈迦さまが生涯において説かれたすべての教えである明鏡(曇りの無いよく映る鏡)のなかでも、法華経は特に明かな神鏡(神聖な鏡)であります。銅の鏡は人の顔や形を映しますが、心を映すことはできません。ですが、神聖なる鏡である法華経は、人の姿や形を映すばかりでなく、その心までも映すのであります。しかも、現在の心を映すだけでなく、前世の業から未来の果報までも、ありありと照らし見ることができるのです

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日蓮大聖人の言葉『崇峻天皇御書』すしゅんてんのうごしょ 10

建治3年(1277)9月11日執筆
『昭和定本日蓮聖人遺文』1395頁

(訳)

蔵の中に山ほども財を積むことができても、身体が弱くてはどうにもなりません。だから蔵の財よりも、自分の身体にそなわっている財のほうがすぐれているのです。また、身体がどのように健康な状態であっても、心が清浄であり豊かでしっかりとしていなくてはどうにもなりません。だからこそ、心にそなわった財が第一であるのです。この手紙を

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