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桜の伴奏者 最終話

桜の伴奏者 最終話

 会社に復帰してから、カズキはますます元気になっていった。

「いまどき備品管理を手書きでやってるんだぞ。びっくりした」

 復帰先の総務課は今までと業務がまったく違うが、やっぱり彼は彼だった。もともと所属していたIT部門でも手腕を奮っていたらしいが、それは持ち前の性格だったらしい。

「簡単にできるよう自動化してみたら、すごい褒められてさ、わざわざ部長も声をかけてくれたよ。この年でも頼りにされる

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桜の伴奏者 第2話

桜の伴奏者 第2話

「違法行為ではないんですか」

 カズキの病気が発覚した後、「京本・アブレイユ方式脳機能代替機器(通称・パートナー)」の説明を聞きに行った私は、京本先生にそう聞いた。記憶を外部化のデータベースに保存し、脳内に埋め込まれたチップのAIが記憶の保存と引き出しを行うというものだ。認知症のカズキが自分の記憶を保ち続けるために、試さないかと言われたのはつい先日のことだった。

 小さな白い部屋は、私と京本先

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桜の伴奏者 第1話

桜の伴奏者 第1話

 白い。

 最初に視界に入ったのは、どこまでも真っ白な世界だった。ぼんやりとしたそれらに徐々に焦点が定まる。なんだろう。——病院の天井、か。
「先生、目を覚ましたようです!」
 女性の声がする。頭を動かそうとするが、酷く重い。吐き気と全身の気だるさとともに、抗えない眠気に襲われる。
 ぼんやりとした意識の中で、遠くから何人もの足音が近づいてきた。

 私が病室に駆け込むと、カズキは上半身を起こし

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海の君へ | 小説(「浦島太郎」翻案)

海の君へ | 小説(「浦島太郎」翻案)

「捨てておいたわよ」

 本棚の前で呆然とする私に、母はいつものように明るく言った。

「ダメよ、あんな本読んでたら頭がおかしくなるでしょう。あなたにはもっと善いものを読んで欲しいの」

 視界が狭くなる。私は黙って椅子に座った。なにかを言おうとして口を開き、でも言葉はなにも出てこなかった。いのちなき砂のかなしさよ。いつものように、心で唱える。続きはなんだっけ。

「川柳ですっけ。俳句? まあなん

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母の手をはなれて | 小説『想いを結わう』収録

母の手をはなれて | 小説『想いを結わう』収録

 お手本のような秋晴れだった。

 私は手を借りてタクシーからゆっくりと降りる。雲ひとつない空のもとで、ひやりとした風が頬をかすめた。赤く染まり始めた葉が日の光にあたってきらきらと光っている。
 朝九時とはいえ、浅草はもう観光客で賑わっている。何人かが私たちに気づいて、遠くから写真を撮っているのが見えた。

「ゆっくりで大丈夫ですからね」

 付き添いの女性に声をかけられ、はい、と返事をしてそろそ

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第4回文芸実践会・小説「悔しいことがあった日の帰り道」 | 活動報告

第4回文芸実践会・小説「悔しいことがあった日の帰り道」 | 活動報告

第4回となる今回は、京都芸術大学通信・文芸コース主任の川崎昌平先生をゲストとしてお迎えしました。

事前に提出された10作品を皆で批評し、最後に本人が作品の意図について説明をします。今回のテーマは「悔しいことがあった日の帰り道」で、小説の起承転結の「起」部分のみ800~1000文字です。
企画と司会・進行は川辺せいさん。田村さんの作品は諸事情により非公開です。

まなつのぼうれい川辺:冒頭の「頼む

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恋文の呪い | 小説

恋文の呪い | 小説

 今日はありがとう。楽しかったです。
 書いているのは前日だけど、楽しかったに決まっているので。貴重な休日を私にくれてありがとう。
 いまね、大学のカフェでこの手紙を書いているの。あと少しで卒業かと思うと、時の流れの速さにびっくりしてしまいます。あなたと出会ってからもうすぐ4年。あっという間でしたね。
 あなたがこれを読んでいるということは、もう会わないと私から伝えることができたのでしょう。そのつ

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狐の好物 『あの日の思い出』収録  |  小説

狐の好物 『あの日の思い出』収録 | 小説

『瓜生山の本屋さん』のみんなで作るアンソロジーより「あの日の思い出」「いつか見た夢」が発売されました!
こちらは、文芸表現学科と情報デザイン学科の2人の学生さんに企画・制作いただいたもの。私含め、有志の京都芸術大学の通学生・通信生24名が参加しました。

今年の文化祭、大瓜生山祭のアイデアバザールにて販売され、無事に完売したとのことです(一般販売は未定だそう)。

素敵な表紙のイラストはさとざき幸

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あの人の追憶 | 創作

あの人の追憶 | 創作

夜行バスを降りると、目の前には灰色の雪景色が広がっていた。

スマホを見る。恋人からの連絡はない。
彼はいま始業前で、東京から13時間かけて会いに来た学生彼女を気遣う余裕はない。わかっている。事前に伝えていた到着時刻に、少しだけならば連絡なんてできる。でも彼は、絶対にそんなことはしない。私のために、仕事前の貴重な時間を割くなんて無駄なことは死んでもしない。合理的な人なのだ。

雲に覆われた空からぼ

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海を亡失する | 創作

海を亡失する | 創作

「危ないよ」
欄干から身を乗り出して海を眺める私に、夫が不安そうに言った。5~6メートルほど下に広がる水面は、穏やかに波打っている。
「大丈夫だよ」
私は笑って返事をする。
夫は心配性なのだ。欄干は簡単に壊れたりしないし、私は急に飛び込んだりしない。面白がって私がわざと大きく身を乗り出してみせると、夫は困り果てた顔で私の腕を掴んだ。
「ねえ、危ないって」
はあい、と言ってしぶしぶ私は欄干から離れる

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指を噛む  |  創作

指を噛む | 創作

「いたた、ねえ、痛いって」
彼の声にはっとして身体を起こすと、二の腕に丸い歯型がくっきりと残っていた。まずい、やってしまった。

むっとした顔で腕をさする彼に、「ごめんなさい…」と頭を垂れる。しおらしくなった私に満足したのか、「大丈夫だよ、でも痛いからやめてね」と彼は優しい声色になった。もうしない、と何度目かわからない口約束を唱えて、彼の腕に刻まれた円を撫でる。

幼いころから、なんでも噛んでしま

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煙を思い出す  |  創作

煙を思い出す | 創作

嫌な夢を見た。
楽しげな声であふれているのに私はちっとも楽しくなくて、むしろその声が恐ろしかった。姿の見えないそれらの嬌声にぞっとして、逃げようとするが体は動かない。

はっと目が覚める。しばらく身動きが取れなかった。大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。
夫の腕から抜け出し、水を1杯飲んだ。じっとりと汗ばむ寝苦しい夜がつづく。長野で育った私には、東京の夏は暑すぎる。

真っ暗なリビングのソファに身を沈

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北枕と葉桜③  |  創作

北枕と葉桜③ | 創作

『結婚式を挙げました』

写真数枚を添えてそう送ったメールに、おめでとうございますと父から返信があったのは、今から10日ほど前のことだった。

私と父は、会わないながらも誰にも内緒でずっとメールでやりとりを続けていた。
大学入学や就職など、ライフイベントの報告がメインだったけれど、話ができることがただ嬉しかった。会えなくても、短い返事に愛情を感じて幸せだった。

親族と友人数人を招く結婚式に、父を

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北枕と葉桜②  |  創作

北枕と葉桜② | 創作

畳に目を落とす。
しばらくして納棺師が訪れたが、私はずっとそのままやり過ごした。

若草色だったそれはところどころ茶色に色あせており、シミが顔のようなかたちになっている。納棺が終わり、視線を上げると棺の白が視界に飛び込んできた。棺の窓が閉まっていることにほっとする。そんな自分にため息が出た。

少しして、ちらほらと弔問客が来た。叔母の顔もろくに覚えていなかった私には、客の名前を聞こうが顔を見ようが

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