見出し画像

パーソナリティ障害と言うか…

 こんにちは、晴和病院でパーソナリティ障害と診断されたとまよこ りゃんシーです。
 なんと言うか、パーソナリティ障害と言うかうーん…と思って調べたんですけど、「同一性障害」というのが一番しっくり来るのかなぁという気がします。
 もちろん僕は「性同一性障害」なんですけどそれを含めて、「同一性障害」があると言うかなんというか。
「解離性同一性障害」と言うほどに別人格があるわけじゃないんです(まあでも心理検査で解離あるって書いてあったな…)。でも、昨日の考えと今日の考え方がまるで違ったり、それを忘れてたり、そのせいで自分をまとめられないというのは結構困っているんですが、心療内科に相談しても「イマジナリーフレンド」と言われただけなんですよね…。ひとつひとつの価値観に固有名詞付けて呼んでるから…w

 結局僕のこの障害の原因は、色んな教育環境に身を置いていたからなんだろうなとは思います。

小学校と大学の教育方針

 まぁ、結局これが世間一般の教育方針ではあるのですが…。僕はこれを知らなかったからいけなかったんですが…。もし両親がこの価値観だったなら、僕はすぐに自閉症だと分かって特別支援学級に入ったりして、身の丈に合った生き方をしていじめにも遭わず摂食障害にもならんかったと思います。

母の教育方針

 母も自閉症があったのでね、母の場合は「とにかく手に職をつけろ」の一点張りで。絵を習わせたことや音楽の専門学校に通わせたのは母の教育方針なんですよ。とにかく他者を黙らせるほどの技術さえあれば人生は勝てるから!みたいな感じで。まぁ学歴低かったと言うか大学行かせてもらえなかったのも関係ありますかね。ADHDだし。

父と、中学と、高校の教育方針

 父と中高はいわゆるニューロダイバーシティですね。人から求められる需要のある専門家となることで地位を作って行こうみたいな。まあ要するに理系特化型教育ですよ。なぜかプログラマーはダメって言われたんだけど(多分技術革新が早すぎてすぐ追いつけなくなるからだと思う)そんな感じで「士業」みたいなものを重要視してた。典型的ASDね。だからまぁ資格至上主義みたいな感じですよね。だから専門学校に行きたいといった僕に絶対ダメだ、大学は絶対に行けと言ったというわけ。認められることをしなさい、というのが強かった。母のように、他者を「黙らせる」のではなく、「認めてもらう」という感覚なんですよ。漫画家と起業はなぜか応援してたけどw才能を伸ばせっていう考え方ね。

 結局この、学校と父親と母親の教育方針が分裂しているために、子供の頃から僕の価値観やアイデンティティが定まっていないなぁという感覚はありました。だから将来のこととか、自分が大人になったときのイメージなんていうのが全くついてなかった。父親は大学派で母親は専門学校派で、僕はとっくに社会に期待してなくてとにかく貯蓄と貯金と倹約って感じで、大学や専門学校も親に無理矢理進まされたわけで、じゃあそこから卒業してその職にというイメージもまったくないしって感じで。でも金はくれるんだからまぁ一応やるかみたいな感じでずっと生きてきたのが、良くなかった。ずっと受動的な人生だったと言うか…。自分を大切にするっていう感覚とか、そもそも「自分」という自己愛と言うか、そういうものがまるでないんですよ。そもそも性別が違うし、お人形与えられたけどこれ要らねーからおざなりにしてるみたいな感じで。それが摂食障害って言うか、自分を大切にしなかった原因なんだろうなと思う。高校の頃なんか嘘ばっかついてたしなクラスメートに。演技とか、うん。だってこのアバター要らないし…「自分が自分でない感覚」とか言っちゃって「離人感」と誤診されたことあるから精神科医に対する言葉遣いは気を付けないといかんよ。精神科医の教科書に載ってる言い方しないとどんどん誤診されるからね。あと鈴の音が聞こえる妄想をしている(←中二病)とか言ったら統合失調症と診断されたこともあるし。精神科の診断簡単に降りすぎ説。あと努力神話(やればできる)も躁からくる万能感と誤診される。ヤバイ。精神科は闇。なもんだからどんどん精神科医に何も言えなくなってくるwだからさ、喧嘩とかできる人は羨ましいなーと思う。僕は価値観がないから喧嘩もできないんだよね。そもそも人間社会に参画している意識がまるでないから。だから勉強くらいしかやることなかったんだよな。しかも勉強さえしとけば怒られることはなかったからね。

 で、結局僕はどうなの?って言うと、どうなんだろう。
 やっぱり僕は世間一般の常識ベースの人間だと思う。ニューロダイバーシティとか全然期待してないし、母のように生きたいとも全く思わないからねえ。
 だから僕にとって2人は「毒親」と言うことになるんだろうけどねえ。
 でも、両親はまだ生きているわけで、僕は潰瘍性大腸炎や特発性反応性低血糖症や化学物質過敏症や副腎疲労症候群のせいで家を出られないわけで、そうなるとやっぱり「親の価値観」に合わせねばならないわけです。居候している身としては。特に母は虐待しますからね。ハラスメントみたいなのがあるわけですよ。2人とも自分に絶対の自信があるから。僕にはそういうのがないんだよなあ。
 じゃあ母のように技術を身につけなきゃ…と思う日もあるし、父のように受け入れられる努力をしなきゃ…なんて思う日があったりするから、言動が支離滅裂になってしまい、父と母の思いを抱え込んでしまうというのが僕のこの心身症の大きな原因なんだろうなと思っているんです。だからとにかく親元を離れるために受験勉強した。なのに心身症になったら元凶である親元に戻らねばならなかったから辛かったんですよ。あの時世帯分離という手段を知ってればそうしたのになぁ……。そういうのって高校とかの授業でやらせるべきじゃない?

 まあだからつまり僕が、母のようにも父のようにもなれなかったというのが原因であって、そう考えれば小学校がよろしくなかったと言うことになるわけです。母は小学校が悪いと言い、父は母が悪いと言い、小学校は親がおかしいと言っていて、じゃあ僕はどうするべきかということを人より悩まなければならなかった、発達障害のある身で、性別違和のある身でそういうことまで考えねばならなかった、だからキャパオーバーになって、摂食障害になって、体調を崩したんだなあというのが僕の結論ですね。だから、両親の視点から見たら僕はパーソナリティ障害だし、医療の視点から見たら僕は発達障害なんじゃないですかね。親と世間の意見の解離…
 なんかこう…だからさ、絶対さ、こういう時のために毒親と福祉の板挟みになってる人の救済措置って絶対必要で、そのためにはやっぱり障害者にもケアマネを付けて欲しいのよ…親任せにしないでほしいのよ。だって医者と福祉は就労や社会復帰を掲げてくれるわけで、その医者や福祉との対応と親の対応も同時にするのは本当にきついから。親のお眼鏡に適う医者を見つけるまで彷徨えってことなの?治療を受けるのは僕だし、怒られるのも僕なんだよ?そのせいで何人の精神科医たちに僕が説教受けたと思ってんだよ…だからますます社会不安になるし…僕の親は発達障害であることは最終的に受けて入れてくれたけど、それは大学の医師たちが診断してくれて、実際僕が摂食障害とかでパニック障害だの副腎疲労だのと生活面をガタガタにしていたから納得してくれたのであって、例えば小学校で「お子さんは自閉症の可能性があります」と言ったとしても親は頑なに否定したでしょ。そういう家庭に生まれた発達障害の人達への救済制度って絶対整ってないよね。本人が世帯分離を知ってそれを望まない限り誰も救ってくれないじゃないですか。まぁそれはそれでさかなクンみたいに大成する可能性もあるんだから外野がとやかく言えないのは分かるんだけどさ。じゃあ僕の心身症を防ぐ手段はなかったのか?と考えてしまう。じゃあ結局僕は小学校でいじめられて叱られた記憶そのものが問題なのか?僕はそれ自体を悪だと思っていないのにもかかわらず。じゃあ今から技術を身につけて母や父のように生きろと?それは無理。僕は発達障害らしく生きたいんだ。天才肌になりたいわけじゃない。生活保護を受けるイメージは小学生くらいの頃からあったし、まぁ、遅かれ早かれこういう人生だったんだろうな。まぁジェンダー外来の医者に親を連れてこいって言われたときに福祉に相談すりゃよかったんかな…それかそもそも、発達障害の診断で親を呼んで幼少期エピソード聞くやり方に頼るのをやめてほしい。親も発達障害だったらそこで「普通でした」で終わるからな?それでいじめはしっかり受けてるんだから…。それか、ああそうか、もう最初から病院や福祉はアテにせずオペなしでホルモン治療を先に始めれば良かったんだ。それが最適解かなぁぁぁ…。そしたら月経困難症がなくなるわけだからここまで体調不良にはなってなかったし、漫画家になれたかもしれない。ま、小学校の時に行った精神科が発達障害と診断しなかったのが一番の僕の不運なのではないかな。

 と言うかふたりの親の教育方針が違ったから疲れたよね?ダブル子供カサンドラみたいな。僕はASDもADHDもあるのだから、母の教育方針のほうを
優先するべきか…。でも今更なんの技術も持っていませんのでね。簿記の勉強はするけど。
 何が一番悪いのかと言えば、両親ともに自分の考えが「絶対」だと思ってるってことかな。今風に言うとこだわり。発達障害のせいだね。両親二人とも発達障害って疲れるよ…。まぁ、我が家の人間は一般とは違う、だから親の言う事を聞かないとだめみたいな不安もあったかもわからんし、三人とも自分達が社会不適合者だとは気付いていなかったかもしれないし、僕だけが自覚もなく親に守られていたからこそ逆に「普通」に憧れたのかもしれない。まぁ、多分あの人たち自覚ないよなぁ…。ひろゆき氏みたいになれてたら良かったんだけどね。あんなふうに自己愛高くないからねぇ(ひろゆき氏と父の考え方は似てると思う)。
 大きくなってから知ったことのひとつに、うちは両親が二人とも平気で相手を罵るっていうのがあって。これだから男はとか、これだから理系はとか、そういうふうに嫌いだけど補い合うみたいな夫婦関係が当たり前だから、好きな相手とか関係を続けたい相手に対しても平気で罵ったり否定したりするのが当たり前で、否定したら関係が壊れるということを大人になるまで知らなかったっていうのはあるなあ。いや、確かになんで離婚しないの?とは思ってたけど「子はかすがい」なんだろうと思ってたし、離婚したら母が路頭に迷うから。裁判とかできる知能ないし、父は自閉で他人に興味ないでしょ。
 両親が離婚してくれていれば、小学校のときの精神科が発達障害と診断していれば(てかなんか母さんによると診断してたけど電話がよく聞こえなくて切ったとか言ってる)、ジェンダー外来の医者がもっとパーソナリティ障害に詳しければ、小学校でいじめに遭わなければ、全寮制の中学に行ってれば、いっそ問題を起こして診断されてれば、ホルモン投与してれば、イマジナリーフレンドとか一笑に付さずに検査してくれたら、全般性不安障害ではなく機能性低血糖だと診断してくれたら…と、まぁ心身症ルートを回避する方法は今考えれば色々あったかな。そうそう、子供の頃孤児が羨ましいと思ってて、そういう気持ちって中二病なんだろうって思ってたわ。まあそう考えれば健康と引き換えにお金をもらっていたと言うか、タダより高いものはないってこのことだなって感じですね。まぁジェンダー外来の医師がパーソナリティ障害や同一性障害に詳しくないわけがないので、その医師が発達障害と言うんだからやっぱり僕は発達障害なんでしょうね。
 あ、そうか…一番ベストなのは、父が精神科に行くのはやめなさいと言ってホルモン療法のお金を出してくれる…それならお金の心配しなくて良いから必死に働かなくてよかったし、それなら大学卒業する余裕もあったのかもしれない…。そしたら今頃建築士の資格持った男性漫画家として設計しながら漫画書いたり森博嗣みたいな生活しながらリオサンにプロポーズしたのになぁ~(*'ω'*)
 父はよく「18までは親の言うことをききなさい。それ以降は一切口出さない」と言っていて実際そうだったので、18年間積み上げた父の教えを全部捨てて新しい人生手にいれるまででストレスがやばくて10年発狂してたよね。18年は長いんじゃよ。

 昨日母と、僕が小学3年生の時に咽頭異常感症で精神科に行った話をしてたんですが、母によると僕はその時「母親が自分の靴ひもを結べない」と不平を言って、医者が「じゃああなたが結んであげたらいいじゃない」って言ったことだけ覚えてると言ってました。うん、そうやって母親の靴ひも延々と結んであげていたら自分の体壊しちゃった感じだよね。やぶ医者~"(-""-)"そもそも母親が発達障害という可能性とか全然知らないだろうしなぁ……。やっぱりあの頃の僕のストレス、母の知的障害だったのかもしれないね。丁度父が大学院に通っていた頃だったらしく、きっと母と2人っきりでメンタルがやられてしまっていたのかもしれない。よく覚えてないんだけどさ…。

 はたらく細胞マッスルに書いてあることを全部理解したら機能性低血糖症治る気がする。やっぱり成長ホルモン不足が根本原因なのかなあ。今筋トレすると本当に体調崩す…。スポーツセンターとか行ってトレーナーについてもらうのもありかなぁでも家でダンベル持ち上げとけばいいのでは? などともやもや考えているやっぱり筋肉を付けたいとまよこ りゃんシーでした。

発達障害なりに色々考えて生きてます。応援していただけると嬉しいです。