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正しいとか、正しくないとか。

今日、ストンって腑に落ちたことがある。

私の母は、ある意味で私とは正反対の生き方をしていて、考え方もまるで違う。

でも、もちろん母だから、同じところもある。

“正反対”という表現をしたのは、
私が知る中で「私と全く違う」と感じたのは、
母だけだからだ。

その理由は明白で、私が自分と馬が合わない人とは、あまり親しくしないためだ。
(ちょっとその考えを改めようと思っている)


そんな母はいつも、私にこう言う。

この世には、正しいことも間違ってることもないんだよ。

あまりに小さな頃から聞いているからか、
「なるほど」とは思わなかったけれど、
「そーなんだなぁ」とは思っていた。

今日、そんな母と話していて、
どう考えても、「それは母が間違っている」
と思うことがあった。

その内容が何なのかは、どうでもよくて、
その時の私は、「絶対に母が間違ってる。」
って思ったけれど、同時に、

でも、母の思考では正しいわけだから、
私の物差しで測って、母親を否定することは、
自己満足でしかなく、何も生まれないな。

と考えた。

だから、私は母親に、ただ一言、
「ママはそう考えるんだね」
と言った。

きっとすごくムカついただろうけど、
どうしても、母を肯定はできなかった。

そうは言ったものの、
やっぱり私の頭の中では、
母は間違ってる、って気持ちが消えなくて、
それで、
すごくすごく考えた。

私が納得できる言葉で、
母の言ってることも否定されない、
もう1つの言葉を探した。

そして見つけた。

こんなこと言ったら、
100%母親はカチンとくる。
めちゃくちゃ不快になる。
知ってる。
だから、見つけたけれど、
それが正解だとは思ってない。
(正しいとかないって話を今してる真っ最中だけど)

だけど、今の私が納得できる、
「正しいとか正しくないはない説」
を立証させる考え。

それはね、

正しいも、正しくないもない。

but

思考レベルの成熟度はある。

ということ。

どういうことかというとね、
「正しいとか正しくないとか無い」
の真意はわからないけど、私なりの解釈は、
相手の思考では正しいわけだから、
自分で測って決めちゃったらダメだよね

って事だったから、

そこを覆さないように考えた。

そしてでてきたのが「思考レベル」のはなし。

正解と不正解がなかったとしても、
思考レベルに優越はあるわな、ってこと。

例えば、すっごく極端なことを言うと、

いじめは一般的に悪とされてて、
大半の大人が「間違ってる」って
いうだろうけど、でもでも、
「いじめをする子は、そうすることでしか
自分を守る術を知らないから。」
と、よく聞く。
彼らはそれが間違っているとは思っていない。

でも、

大人はそんなことしない。(であってくれ)

それは、「そんなことしなくても、
自分は守れる」
という考え方ができるから。
そんなことをしても、生産性がないな、
と考えられるから。
それをされたらどんな気持ちなのか、
子供よりも考えられるから。

でしょ?

いろんな考え方ができて、
それで選択してる行動に、
正解・不正解がなくても、
間違ってるって感じてしまう。

それは、相手も自分と同じ思考レベルだ、
という勝手な決めつけがあるからだと思う。

自分と相手が違う、と認める動作が、
「あなたはそう考えるのね」
という言葉を発すること。

そうは思わないけれど、
その考えを否定せずに、受け入れようとする。

これは、人間関係で摩擦を減らせる動作かな、と思う。

結局、
思考の範囲が広いか、狭いか、の違いかな。
同じレベルで考えた答えにがあって、
そこに行き着く要素が納得できたら、
「間違ってる!」って言わなくても、

これはこうだから、こうなんじゃない?
とかいう議論ができて、お互いに納得できる
結果に落ち着くこともできそう。

だから、今日私が学んだのは、
私はこう思った、「なぜなら」
をきちんと伝えることが大切ということ。

伝わっていますように。


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