見出し画像

ちゃんと怒れなかった子どもたちへ「いい子にはならない」を伝えたい

娘と一緒に保育園の階段を登っていたら、ふっとやさしい風か心に吹き込んできた。

そんな風に思わなくていい。
わたしがそう感じたんだから、そうなんだよ。

どうしてだろう。他人とうまくいかないと自分を責めてきた。湧き上がる相手への憎しみや不満を圧し殺し、「そんなこと思っちゃいけない」って自分に言い聞かせてきた。「いい子」でいるための呪文を半ば無意識に唱えつづけてきたのだと思う。

その保育園には、二階へつづく外階段を見下ろすように立派な銀杏の木が立っている。雨の日も雪の日も園児たちを見守ってきたのだろう。茂った銀杏の葉が大人の背丈まで伸びて、その下を通る時に頭を撫でられているような気がするのはわたしだけだろうか。

職場にいる嫌な人。地域のボランティアでうまくいかない人間関係。嫌だなという気持ちを自分にも周りには隠すようにしてきた。嫌なものは嫌なのに、その気持ちに抵抗してきたから苦しいんだ。自分を認めてあげないから頭と心と体がいつも矛盾して、足下の土台がぐらぐらしていた。わたしの心は知らぬ間にカチンコチンになって、冷たくていつも悲しい色をしていた。

承認欲求強めのわたしは、親にも上司にも「なんでわたしを信じてくれないの」という不満があったけど、結局のところ、わたしが一番「わたし」を信じてあげていなかったのかもしれない。

自分の感じること、思うこと。それはかけがえのないわたしの一部。誰にも否定できないし、なかったことにはさせない。つらいことも嬉しいことも目一杯感じればいい。「いい子」にはならない。せっかく産まれてきたのだから、唯一無二のわたしになればいい。

憑きものが落ちたように柔らかな感覚が戻ってきた。わたしはわたしが感じていることを否定しなくていいんだ。心がはじけるように喜んでいるのが分かる。わたしの意識ははじめて、自然体のありのままのわたしと手をつないでいるような感覚になった。

もし今、自分の気持ちを言葉にして伝えることを諦めてしまっている人がいたら言いたい。

ちゃんと怒っていいんだよ。
あなたの気持ちに正解も不正解もない。 湧き上がる感情に抵抗せず、 自分の感覚を信じて、 傷つきながらも今ちゃんと生きてるっていうことを
とことん褒めてあげてほしい。

思春期の頃のわたしは闇の底にいながらも誰にも助けを求められなかった。その時のフラストレーションが今も噴火を待つマグマのように腹の底でグツグツしている。あの頃のわたしがたまに夢に出てきては怒り叫んでいる。可哀想に今はもう夢の中でしか怒れない。あの時にはもう戻れない。

もう過去は振り返らないけど、あの頃のわたしが今も消化不良で居るから、わたしはもしあの子と出会えたら思いっきり抱きしめて、すきなだけ言いたいことを言わせてあげるつもり。
誰になんと言われようと大切なあなただから、あなたが生きていてくれてよかった。ありがとうってちゃんと目を見て伝えてあげたい。

そうして、また新しい日々を手をつないで生きていくんだ。

この記事が参加している募集

私のストレス解消法

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?