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過去の闇は今を戦う武器になる。今始まったばかりの人生に、あなただけの武器を

私は双極性障害を持っています。
体も心も満身創痍だった頃、マンションの7階から身を投げたこともあります。何度も追い込まれて暗闇に迷い込んで、今の私があります。


あなたには、相談できる人はいますか。
私には頼れる人が周りにいませんでした。
そばに家族や恋人がいても、一体どこまで自分の悩みを理解してくれているのか、痛みの根っこまできちんと掴んでくれているのか、わからない。
そのうち周囲に対して疑心暗鬼になり、そんな自分がまた嫌になって、最後には世界に自分一人しかいないような寂寥感に襲われてしまう。

私たちに一番身近な頼れる専門家、それがお医者さんです。
お医者さんは私たちのサポーターで、病気の専門家です。
私たちの話を聞いて、症状に合った薬を処方してくれます。
しかし専門家といえども、病気のすべてを知っているわけではありません。
自身が病を経験したうえで治療しているわけではないのですから、あくまで学問上の知識と経験で探り探り向かい合ってくれている状態なのだと私は思います。

また一口に医者と言っても、いろいろな方がいます。
「俺の言うことを聞いていれば治るんだ」という俺様タイプの方もいれば、
話を聞いてるんだか聞いてないんだかわからないまま、薬だけ大量に処方してよこす方もいます。


私たちは心がつらい。
そのつらさは、何錠の薬を飲めば治るのでしょうか。
治るならまだしも、薬の副作用で他の臓器や体調そのものを崩してしまうことはないのでしょうか。
その答えを出してくれる人は、どこにいるのでしょうか。

病院に行っても、お医者さんは私たちの話を3分くらいしか聞いてくれません。患者は私たちだけではありませんから、それは仕方のないことです。だけど話したいことはいろいろあります。


もっと話を聞いてもらいたいけど、これ以上は迷惑をかけてしまう。
家族や友達に話を聞いてもらいたけど、嫌われてしまうかもしれない。
そうやって自分の心に蓋をしたことはありませんか。

その話、私に聴かせてもらえませんか。


私は、双極性障害の患者の一人であると同時に、心のプロの一人です。
あなたの心に寄り添って、話にうんうんとうなずくプロです。
更に「コーチング」という資格も持っています。

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コーチングって胡散臭い。
なんか部活のコーチみたいで怖い。
いったい何をされてしまうのか。
そんなふうに思われる方もいらっしゃることでしょう。

そもそもコーチという言葉は、ハンガリーで馬車を「コチ」と呼んでいたことに由来するそうです。

現在でも欧米では、鉄道やバスなどをまとめてコーチと呼んでいます。
「コーチ」には、「人を乗せて目的地まで連れていく乗り物」という意味があるのです。
同様に、人を目的地、つまり「ゴールまで連れていってくれる」役割の人のことをコーチと呼び、「人をゴールまで連れていく」行為のことをコーチングと呼んでいるのです。

ビシバシ鍛えながら走らせるなんてことはありません。
走らせた結果ゴールまで連れていけなかったら、コーチとして失格です。
患者さんの目標を設定し、行動させ、成長を促し、「ゴールまで連れていくこと」が、我々の仕事であり、コーチングの役割です。


コーチングの資格は、取ったらそれで終わりではありません。
より困っている人に向き合うために。
ゴールが見えない人の手をとって導くために。
今でも国際コーチング連盟の有資格者である講師の元で、実践型の講座をマンツーマンで学び、スキルアップを図っています。

私が、双極性障害という自らの病を公表しているのには、理由があります。
病気自体は現在進行形で続いていくものだとしても、そのせいで過去に縛られている人間ではない、ということをわかってもらいたいからです。

少し長くなりますが、私の人生を振り返ってみたいと思います。

<病気との出会い>

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私はアメリカの音楽大学を中退した後に帰国し、
とある日本の超人気アパレルメーカーに勤務していました。
その後、東京へ移りブランドのPRを担当します。
その仕事はとてもハードでした。若いので身体はなんとか持ちこたえますが、精神は徐々に蝕まれ、先にメンタルがやられてしまいました。

そのため会社を辞めて一旦親元に返り、地元で静養することにしました。
親元で安心しきってしまったのか、働かないまま借金を作ってしまい、
半年で逃げるように再び上京しました。

再上京し心機一転、新しい仕事をはじめました。
前向きな気持ちで始めたこの仕事も、なかなかにハードなものでした。
忙しすぎて眠れない日々が続く中、何とか眠ろうと、睡眠薬に頼ったのが薬とのファーストコンタクトです。薬とともに、酒にも溺れていきました。
仕事がないときは生活の昼夜が逆転し、起きていると無意識にアルコールを口にしていました。

「このままでいいのか」という思いももちろん持っていました。
その思いを持てば持つほど、何も変われない自分を見つめることになり、
プレッシャーに押しつぶされるように、再びメンタルが崩壊してしまいました。

<それでもいい時代だってあった>

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日本に帰国した1990年代後半、私は地元福岡で、ハウスミュージックというジャンルのDJとして音楽活動を始めました。たくさんの方に応援していただいてそれなりに有名になり、今も私の活動名のWikipediaが存在するくらいです。

2005年にはインディーズでファーストアルバムをリリースします。
ジャズ風サウンドのデビュー曲が異例のセールスを記録して、当時のシーンに衝撃を走らせました。


2008年にはメジャーデビューを果たし、チャートで14週連続1位を記録。FM月間パワープレイでも日本一を獲得しました。某大手シューズ店などのCMソングにも起用され、スピード感にあふれたデビューイヤーだったと思います。


発売アルバムは、オリジナル6作を含む全9作品。これが作品の一部です。


しかし、音楽業界へ身を移しても精神状態は安定しませんでした。音楽業界は、スケジュールの緩急が非常に激しいのが特徴です。忙しい時にはとても忙しいのですが、暇なときはとても暇です。昼夜が逆転し、ぐっすり昼まで寝て夜通し起きている、そんな精神を病みやすい土壌が存在していました。

気づけばそこには、また病院通いの日々がありました。病院を訪れるたびにうつ病・抑うつ状態など診断名が頻繁に変わります。こうして、いつしかドクターショッピングを繰り返す毎日になっていったのです。

そんな中、ついに身体が悲鳴をあげて2012年に「引退」を宣言します。

神様は残酷です。積み重ねた努力にはスポットライトを当ててくれますが、慢心するや否や、そのスポットライトを容赦無く切り、舞台を暗闇にしてしまうのです。再び暗闇に迷い込み、暗中模索の生活が始まります。

<死んだように生きていた>

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今思えば、2012年は、引退を含めどん底だったような気がします。
身も心も満身創痍で、頼れる人は誰もいませんでした。
もちろん、話を聞いてくれる人も。

病院をハシゴして、安定剤や睡眠薬などの処方薬を手に入れて多飲していました。このままの生活を続けていたら、今まで積み上げてきた自分の栄光が失われてしまう。頭ではわかっていても、一歩が踏み出せません。のしかかるプレッシャーとその恐怖に耐えきれなかった私は、ある冬の日、マンションの7階からダイブします。

たまたまその日の東京は異常気象で、大雪でした。たっぷりと積もっていた雪がクッションとなり、一命だけはとりとめました。しかし、外傷性クモ膜下出血に、肺挫傷、全身いたるところの骨折という重症。

私の「引退」は、ある日突然やってきました。当時の身体では、到底これ以上活動を続けることができなかったからです。それほどまでに心身は蝕まれていました。7年連れ添った妻と離婚したのもこの年でした。

苦しい入院生活やリハビリを経て、目に見える傷や怪我は次第に治っていきました。しかし、大きな傷を負った身体で一人前の仕事ができるわけもなく、派遣業を転々とする、ただ無機質な毎日が続きます。

そんなある日、私は母から父についての相談を受けます。話を聞いた瞬間に覚えた、抑えきれない怒り。私は父のことが本当に嫌いでした。ずっと母を苦しめたから。


母の話を聞くと、心の底からこみあげてくるものがありました。小さいころから許せなかった、自分と家族への父の振る舞いへの疑問。疑問はすぐに怒りに変わり、沸騰するように体中を駆け巡ります。気が付くと私は父に大怪我をさせ、逮捕されることになっていました。今思えば、その頃の私は躁状態にスイッチが入っていたのかもしれません。


〈信頼できる主治医との出会い〉

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その後、私にとっては奇跡と呼べる出会いがありました。ようやく信頼のできるお医者さんに会うことができたのです。今でも私は、信頼できる医師・医療機関を見つけることこそが、有効な治療の第一歩なのだと信じています。それは、この先生との出会いがあったからこそです。

ここで少し私が患う病気「双極性障害」のお話をさせてください。


「双極性障害」とは「躁状態」と「鬱状態」が交互にやってくる、かつては「躁うつ病」と呼ばれた病気です。

「躁状態」の時は、
◆眠らなくても平気
◆自信満々になる
◆おしゃべりになる
◆ 注意力が散漫になる
◆考えが次々に浮かぶ
◆行動的になる
などの症状が、

逆に「鬱状態」の時は、
◆思考力の低下
◆自己否定をする
◆ 眠れなかったり寝すぎたりする
◆憂鬱な気分
◆何に対しても興味も喜びも感じない
などの症状が現れます。

先生から、私が患っている病が「双極性障害である」と告げられた時、鬱病の治療だけでしっくりこなかった最後のパズルのピースが、カチンとはまったような気がしました。

この診断を機に、3回にわたって閉鎖病棟での入院を経験することになるのですが、入院中、先生は外来診察が終わってからの1、2時間を私のために割いてくれていました。後から聞いた話ですが、先生はその時間、「95%はひたすらに私の話を聴く」という姿勢を貫くことに決めていたそうです。

今考えると、先生のありがたみに気付かされます。自分の話を、否定もせずにただただ聴いてもらうことの大切さ。対話を重ねることで今まで気づかなかった自分に気づくこと。こんな気持ちを心から味わったような気がします。



そしてこの気持ちが、回復の糸口になるのです。

この治療を機に、私はカウンセラーを目指すようになるのですが、
途中から自分の経験をもっと役立てたいと、目標を変更しました。
それが「コーチになること」です。

コーチもカウンセラーも、より良い状態を目指すという目的は一緒です。
では違いは何なのかというと、カウンセリングが人の悩みや不安、問題を扱うのに対し、コーチングは夢や希望、目標を扱います。


日本のメンタルヘルスは、どうしてもカウンセリングだけに目が行きがちな傾向にあると感じます。実際に、様々な心の病を患った患者に対して、コーチングが有効な手段だと判断されるケースは稀ではないでしょうか。悩みや不安はもちろん傾聴されるべきですが、いつまでも悩み続けているばかりでは、暗闇のトンネルからは抜け出せません。光を見つけて、一緒に明るいところに行こうとするのがコーチングです。

目標がなくただ歩みを進める人と、
「あの山に登るんだ」と決めた人の歩みの進め方は、きっと違います。
同じ一歩でも後者の方が、より力強いのではないでしょうか。

私は、コーチングを実際に受けたことで、このような思いを持つようになりました。

対話してくれる人。

「希望や目標を持ち行動する」まで伴走してくれる人。

一緒に前を向こうという姿勢にさせてくれる人。

そばで一緒に走ってくれる人のおかげで、次第に今を生きようと思えるようになりました。


もちろん、急な不安に襲われることは今もあります。そこは、向き合う患者さんと全く変わりません。私は不安に襲われたときには、誰でもいいから会話をします。

私は人生に目標を持っているか否かで、自分の気持ちは大きく変わります。
これは、自分自身で一番実感していることです。目標をすでに持っている方も、まだ持っていない方も、このすっきりとした感覚をぜひ感じていただきたいです。そのために私はコーチング活動をしています。

胸に浮かぶ様々な気持ちを割り切って、障がい者就労移行支援を利用したこともあります。2年間の支援サービスはとても充実していたうえに、ソーシャルスキル・トレーニング(SST)の資格も何種か取得することができました。さらにはSSTを独自に応用し、「当事者(精神の病気を持ってる人)から当事者へ」、さらに例外的な「当事者から支援者へ」という研修の機会も頂きました。この経験はとても貴重なものでした。


そして今の私は、SST講師兼パーソナル・コーチとして活動しています。
持っているあらゆる経験と知識を活かして、日々、一人でも多くの人を希望の光に導くために奮闘中です。


これが、今に至るまでの自分史です。

もしかしたら、「ただ単に過去を美化しているだけでは?」と思う方がいるかもしれません。そういわれるとしたら、答えは当然Yesです。

過去は、単なる屈辱や後悔に終わらせることもできますし、自分の思考を切り替え新たな意味を与えることで、「今を戦い抜くための武器」として呼び起こすこともできます。自分の過去に自ら価値を与えてあげることで、現在がより強く美しいものになる。今という瞬間は、あらゆる過去の果てにたどり着いた、大切な、かけがえのない瞬間だと実感することができたのです。

音楽家時代の知人に、元超有名コンサルタントだったものの、大きな損失を出して会社をつぶし、今はアルバイトをしながら静かに暮らしている男性がいます。この前、久しぶりに話したとき、「色々あったもんな、後悔しているか?」と聞くと、「あれはあれで必要な過去」と爽やかな笑顔で答えてくれました。

ある時点では屈辱的な出来事も、努力を積み重ね、解釈を変えることで
「必要な過去」に変えていくことができます。どんな過去でも、自分次第で「成仏」させることができる。すべての経験は、未来にとって必要な素材でしかないのです。

若い頃、大好きだった言葉があります。

「俺たち、もう終わっちまったのかなぁ」


「まだ始まってもいねえよ」


これは北野武監督の映画「キッズリターン」のラストシーンのやりとりです。

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自分の人生は始まっているのだろうか。漕いでいる自転車は少しずつ前に進んでいるような気もするけど、何者かになれただなんて、とても思えない。
正直「まだ始まってもいねぇよ」というセリフが一番ピンとくる。

それでも。人生は、それでも、かまわないのだと思います。やるせない現実や苦しい環境に打ちのめされながら、それでも重ねた毎日が、いつか新しい扉を開いてくれることを、私は知っているからです。


いや、それを知ったのは、いまの私です。

現実を忘れるために薬漬けになっていたあの日や、病院のベッドからただ天井を見上げるしかなかったあの日は、私にとってはまさしく必要な過去でした。

病を患って20年、時には命の危機に瀕するような紆余曲折を経て、私は今、ここにいます。

もしかしたら、自分にこう言ってあげてもいいのかもしれません。


「今始まったばっかりだろ」


最後までお読みいただきありがとうございました。



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