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一生ボロアパートでよかった⑦

 学校ではアオイちゃんにもマナちゃんにも、自分の部屋を手に入れた事は話しませんでした。マナちゃんは「遊びに行く」と言い出しかねないし、万が一遊びにきて、アオイちゃんにまた「なんか臭いね」って言われるのも嫌だったので。同じ轍は踏みません。あの一件以来、友達は家に呼ばないと心に決めていました。

 自分の家に招く事ができない分、友達の家に遊びに行く機会は増えました。友達の家に遊びに行ける日はとてもラッキーでした。おやつにあやかる事が出来るからです。
 三時におやつが出る家の子って幸せですよね。でもそういう家の子ってそれを当たり前だと思っているから、幸せだなんて思っていないんですよ。

 マナちゃんはその典型でした。マナちゃん一家はおじいちゃんおばあちゃんと同居していて、おじいちゃんが若い時に建てたらしい、古い家に住んでいました。マナちゃんの家に遊びに行くと、おじいちゃんは畑で農作業をしていて、おばあちゃんは夕飯の準備をしている事が多かったです。マナちゃんが帰ってくると、おじいちゃんが畑の方から大きな声で「おかえりー」って言うんです。それで家に上がると、シワだらけの優しい笑顔のおばあちゃんが手作りのおやきやパンの耳で作ったラスクなんかを持ってきて「こんなしかないけど皆で食べて」って言うんです。最高ですよね。
 マナちゃんはいつもおじいちゃんの「おかえり」に返事をしないし、おばあちゃんのおやつには「またこんなの?買ってきたやつがいい」とケチをつけて言うんです。贅沢ですよね。
 ご両親は共働きで、帰ってくるのは夜7時過ぎなんだってマナちゃんはよく寂しがっていました。優しいおじいちゃんおばあちゃんが毎日家にいて何が寂しいのか、私には全く理解できませんでした。

 アオイちゃんの家なんて、まるで別世界でした。あの子の家はわかりやすいお金持ちでした。お父さんはサラリーマンでバリバリ働いて、海外で仕事をしているらしかったです。お母さんは専業主婦でした。
 アオイちゃんのお母さんは、見るからに柔和で優しそうな人でした。清楚な雰囲気で、おしゃれな服を着ていて、いつも左手の薬指に指輪が輝いていました。遊びに行くと、クッキーとかケーキとか、アップルパイを焼いて出してくれるんです。紅茶の入ったマグカップも一緒に添えて出されました。皿付きの高級そうなマグカップ。「どうぞ」と微笑みながらマグカップを静かに机に置くその爪先まで、なんと優美だったことか。私もこんなお母さんだったら良かったのにって、いつも思っていました。
 家にはピアノがあって、毎日アオイちゃんは練習していたそうです。発表会がいつにあるとか、バレエの送迎の時間が何時とか、たまに会話に出てきたので、住む世界が違うなぁとたびたび思わされました。中学に入学する前に塾にも行き始めなきゃいけないから大変なんだって言っていました。「習い事全部やめたい」ってアオイちゃんが話しているのを聞いた時「私が代わりに行ってあげるよ」と言ってアオイちゃんを笑わせてあげた事がありましたけど、私は冗談で言ったわけではありませんでした。真面目に、私はピアノもバレエも、塾も行ってみたかったのです。ピアノを弾けるアオイちゃんも、可愛い衣装でバレエを踊るアオイちゃんも、塾に行けるアオイちゃんも、全部羨ましかったのです。
 お金がなきゃ、そんなの行けませんから。

 2人を見ていて、名付け難い感情が、ずっと心の中にモヤモヤとありました。子供の時にはわかりませんでしたが、今ならあの感情に名前を付けられます。妬み、ですね。

 生まれや育ちがいい人が、本当に妬ましいです。今でも。幸せであるはずなのに、わざわざ自分の不幸を見つけて、不幸ぶってる様が、非常に腹が立つんです。

つづく

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