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日々のつぶやき

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中年になってから初めてわかる、「〜世代」は思考が硬直したオヤジの戯言ラベリングであったということ。「僕は(私は)〜世代だから」なんて言い訳している若人諸君。それ、オヤジの掌で踊らされてるだって早く気づけ。

言われたことしか実行しないコンピューターが「反乱」を起こす理由なんて無いだろうと気づけば、人工知能が人間の仕事を奪うなど戯言以外の何ものでもないと分かるに違いなく。2045年のシンギュラリティはついに訪れず人間は相変わらず非効率な仕事をしていることだろう。

アメリカンコミックとディズニー・ピクサー映画はしばらく必要ないと割り切ると、映画を気楽に見られると気がついたので、しばらくはいい気分でいられそうな予感。個人的にはスターウォーズももう要らない。

製作者の方には心から祝福したい気持ちはあるのだけれども、アメリカ映画業界のお祭りで「外国映画」が賞を獲得するのはいかがなものかと思うのは、自分がたぶんにハリウッド映画に感化されてきたからなのだろう。アメリカ映画、特に娯楽映画はなお一層奮闘努力せよ。

税務署にイヤミ言いに行く元気があるなら投票所だって楽勝だよね

映画館を年4回利用したら「映画ファン」に認定されると聞いたが、同じ映画を4回見た人も同様なのか気になるところではある。「私、映画ファンなんですよ」と一本の映画を滔々と語る、それはそれで面白いとは思うが何かが違うとも思うわけで。

作品の評価に他の作品や制作者を引き合いを出す手合いの評はだいたい攻撃的であり、一顧だにする価値すらないことは、礼儀を弁える大人ならば常識と言っても過言ではない。褒め称えたいのか貶したいのか欲張って何でもかんでも詰め込むと却って伝えたいことがボヤけてしまうことを以て他山の石としたい

「アバター2」の不振をもって洋画の低調を嘆く論調には、それだけではないという反論も可能ではないか。「泣ける」「推し」目当てに劇場へ行く観客に多様な価値観を受け入れる土壌が育っているかどうか、そのことを一度真剣に考えてみるべきではないだろうか。

3月13日以降の映画館ではマスク着用を個人の判断に委ねるとのお達しのメールが届いているが、しばらく周囲を見ながらと云う感じになりそうだ。管見の及ぶ限りでは、映画館で感染クラスターが発生したという報は見かけなかったので、映画館における換気の対策は奏功していると見て良いのではないか。

「戦争が続くならオリンピックは開催できない」くらいの駆け引きができないオリンピック委員会に存在する意義はない。感染症拡大の影響で(大会が)延期(≠中止)にできるなら人間同士の争いで中止にするなど造作もないことだろう。

仄聞によると「人型の巨大ロボット」が生身の人間に危害を加えるロボットアニメが話題になったそうである。「30分の玩具の宣伝」と揶揄されてきた時代から先人たちが積み上げてきた実績への冒涜であり、このジャンルから薫陶を受けてきたファンに対する裏切りと言ってもいい暴挙を許してはならない。

21世紀の3D映画は「アバター」(2009)に始まって終わるという結論を残して収束しそうな感じである。画面内に入れないという映画の「お約束」に真っ向から異議を唱えた試みは残念ながら定着しそうもないことは、同業他社の作品を見れば明らかであり、ごく自然な結末のように見える。

気がつくと、年間ベストの選出期間まっ盛りとなってしまったが、本も映画もアニメも選出できるほどの数をこなしていないので、リストの公表は差し控えたく。2021年末から2022年初頭にかけて、個人的に動けない期間もあったりするもので……。

若い時に失敗や挫折を経験しておけと大人が言うのは、単純に「大人になってからの失敗や挫折は致命傷になりかねない」からだが、肝心なことを大人は省略するから始末におえねえ。(なんでべらんめえ調)