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「やりたいことがない」という幻想
「やりたいことがない。」
今でもたまに耳にします。
頭でっかちになってしまう学校教育で育ってきた我々世代は、やりたいこと探しにぶつかった経験がある人は少なくないかもしれません。
そういうときは世間体を気にして選んでいたりとか、
これをやれば成功できそう稼げそうとか、
親が仕事を継いでくれるよう期待しているからとか、
それっぽい理由をつけてその道を選んでしまうかなと推察します。
まあ、私自
自分の頭で思考し決める
タイトルを見て、そんな当たり前のことと思うかもしれませんが、これについて考えてみたいと思います。
自分ではちゃんと考えて決めたと思っていたけど、それでよかったのかと後々になって後悔したり、その場の雰囲気で返事をしてしまって間違った選択をしてしまうことってありませんか。
例えば、我々の日常生活の中でも小さなことで言えば、脳への刺激で物を買うように促されていることは非常に多くあります。
大きな
うまくいかない恋愛から卒業したいなら
うまくいかない恋愛が続いて
「次の人となら幸せになれる!」と相手をただ変えたり、
うまく行かせるためにテクニック的なことに頼ってみたり、
相手の気を引かせようと他の人と遊んでみたり、
自分を『悲劇の主人公』ぶってみたり、笑
そういったことってあるのではないでしょうか。
もちろん、相手を変えてうまくいくこともあります。
相思相愛でいられる相手を選択できていれば
それは円満に過ごしていけるで
『頑張ってるのに大事にされないわたし』
人って誰かに認めてもらいたい生き物なのかもしれません。
それは、承認欲求の段階であったり、
自分は特別だという特別意識、
または幼少期に愛されなかったという拗ねた思い込みが
未だに暴れている思考だったり、
色々絡み合っていたりもするかなと思います。
自分の周りでは人間関係に悩みを持ち
「あの人がわかってくれない」といういざこざを耳にするのですが、
自分=被害者
相手=加害者
という
思い込みに気づき修正する
みなさま、こんにちは。
さて、新年早々に発見があったのでそれをみなさまにシェアしたいと思います。
▪️
先日、初詣に行ってきた母に「あなた厄年じゃない!」と言われました。
その時は「へ〜、そうなんだね。」と思っていたのですが、
先ほど改めて「お祓いしない?」と聞かれました。
それに対して「うーん、必要ないかな」と返答したは良いものの、
すんなりそう思ったと言うよりはその提案を払い
自分のダメさを認める
人って、根底には
劣等感を抱えているんだなと思う。
自分は
愛されていない
認められていない、と。
それを誤魔化そうとするために
あるいは払拭するために
着飾って華やかにみせたり
成功を求めてみたり
モテようとしてみたり
自分の正しさが全てなように押し付けてみたり
すごい人に見せようとイキがってみたり
どこかで自分や他人を否定し、
逃げ道を作ろうとしてしまっていることって
あるのではない
新しい習慣をすんなり取り入れるには
皆さんは、
尊敬する人からのアドバイスを受けてだったり
他の人から勧められて
チャレンジしてみたことってありますか。
そういうことって
一度だけやって終わり、
ではなくて
日常的な習慣になってこそ
意味があるものばかりだと思います。
ダイエットのための
運動や食事コントロール
なんかが一番わかりやすいことですよね。
私もここで
自分を安心にしておくための
簡単なアクションを
いく