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37 美しき魂の光

祖母が亡くなったのは2023年6月。94歳だった。
季節がら、蒸してはいたけど爽快に晴れた日。
棺の横で生前の祖母について語らい、明るい葬儀だった。
線香の煙が苦手らしいマスクをされたご住職の読経のお声はバス・バリトンのオペラ歌手のよう。。
こじんまりしたこの葬儀会場ではもったいないくらい凄まじいエネルギーを放ち、壁に反響して四方八方から降り注ぐ。
私はある種、独特な空間に身を置いていた。

そんな中、私の視界全体がチカチカし始め「なんだろう…」と不思議に思っていたちょうどその時だった。
遺影の真上へ、虹がかかった。
祖母が七色の“光”に戻った瞬間だった。
それは本当に一瞬のことで、一生忘れられない大切な記憶になった。

***


祖母は祖父が亡くなってから17年間一人暮らしだった。カラダは丈夫で、風邪ひとつ引かなかった。
炊事、洗濯、掃除、庭や畑の手入れ、買い物、裁縫…身の回りのことは、全部一人でこなしてた。
亡くなる半年前、私と両親の3人で本格的に介護を開始するまでは、医者にも介護保険サービスにもお世話にならない生活を送っていたのだ。
なんと、まぁ…「あっぱれ」のひと言に尽きる😌✨

おばあちゃんがずっと愛用していたのは、二槽式洗濯機✨

祖父とは同郷(←兵庫県宍粟市)で、縁談は「家」が決めた。
長男の嫁に嫁ぎ、大家族の中で苦労することも多かったらしいけど、文句一つ言わず懸命に生きた。
当時、何も知らない私は生前の祖父に「なんでおばあちゃんと結婚したの?」と質問したことがあった。祖父はこう答えた。

「しゃーない。  
 帰ったらおったんやから。」

祖母は私のあけすけな質問を隣で聞いていたけど、穏やかな表情を浮かべつつ、何か満足げでニンマリ嬉しそうだった。


***


そんな祖父は、男として祖母を守り抜く覚悟と実行力があった。脳裏に焼き付いている生前の祖父の姿は、どこをどう見ても「完璧」。
家では股引きでリラックスした出で立ちだったけど、外出する時はいつもパリッとしてセンスの良いお洒落な人だった。
ちょっと先が尖っててピカピカに磨いた茶色の革靴。体型に合った細身のスーツ。引き締まったネクタイに珊瑚で誂(あつら)えたタイピン。それに麦わら帽かハンチングを頭に乗せ、いつも颯爽と歩いていた。
町の自治会長もしていた祖父。夏休みの間に開催される盆踊り大会に行くと、私と姉は「会長さんのお孫さん」としてチヤホヤされ、おやつやアイスキャンディーをたくさん貰えた( *´艸`)♡あは。

アラレちゃん音頭がお気に入りなのだっ♥👘✨

長男としての役割をしっかりと自覚していたであろう祖父はバランスの取れた理想の男性像そのものに思う。
自分のこと、祖母のこと、家のこと、親や親戚、兄弟や子どものことなど、家長としてすべて自分が決定し、勿論そこにちゃんと行動を伴わせ、心に迷いがなく有言実行を絵に書いたような人だった。
家、お墓、生活費、親戚関係など多方面において、旅立った後に祖母が不自由することは一つも無かった。

だけど気取ることなく、かと言ってカタブツでは決してない。
聞いたことがある“オナラ”の中で一番大きい音は祖父のものだ😓笑。(←急にゴメンナサイ)
他にも、多感なお年頃の私に彼がいると聞いて「もうキスはしたんか😁」と面白がって尋ねてきた。むしろ私の祖父のイメージはこんなで、ちょっと煙たい存在だった。。•̆₃•̑
祖父とよく話をしていた子どもの頃はもとより、
成人しても私は未熟で、数年前まで「本当の祖父の偉大さ」みたいなものに気づけなかった。

大好物の湯豆腐と刺し身+熱燗🍶✨
飼っていた鈴虫を縁側で眺める祖父。

一方、祖母はと言うと祖父のことを絶対的に信じて疑わなかった。振る舞いや言動から伝わってくるから間違いない。「信頼しよう」ではなく「ただ、そう在る」という状態を間近で見せてもらった。


「おじいさんが〇〇してくれた」
「おじいさんが言ってたからそうするんや」
「おじいさんが言うてたから間違いないんや」

この「ただ、そう在る」という状態については、
なかなか言葉で説明が難しい。
「〇〇しよう」という状態は、〇〇とは真逆に居る状態。〇〇を意識すればするほど〇〇からかけ離れてゆく。
「愛している」と「愛そうとする」が真逆だということは誰が見ても分かる。だから「信頼」と「信頼しよう」が真逆であるということは明白で、つまり後者は“信頼していない”ということ。
もっと言うなら、99%愛しているけど1%愛していない部分があるとする。ほとんど愛しているけど、それは宇宙のルールに則るとゼロか100かなので「愛していない」ということになる。
“意識”しなくなった時こそが「ただ、そう在る」という状態になるのかもしれない。
これって言葉ではサラッと言えるけど、本当に自分の中にしっかり落ちたら、過去の自分がいかに中途半端だったかに気づいてしまう。そして“望まない現実”がなぜあんなに目の前に現れるのか、も同時に分かってしまう。

話を戻すと、、
祖母は、エゴや拘(こだわ)りがほぼ無い。
それに母いわく、今まで泣きごと、文句、愚痴、弱音などほぼ聞いたことがないと言う。菩薩😱✨
例えば、化粧品はこれじゃないとダメとか、これはカラダに悪いから食べたくないとか、健康になりたいとか、あの人は間違っているとか、こうあらねばとか。そーゆー拘りやジャッジが無い。
来たものは全部受け入れる。拒否しない。何も求めず、物欲や所有欲も一切ない。自分へのジャッジが無いから他人からジャッジを受けることが無い。
まぁ、ジャッジを受けるということは、自分が自分にジャッジしているということだから当然なのだけど。
これも宇宙の法則だから、本質を自分で気づいていくしかない。

*

この夏、母とともに祖母の洋服箪笥を整理した。
よそ行きの洋服がゆったりと20着くらい並んでいた。
私の母がプレゼントしたダウンコート。
祖父が買ってきたであろうバッグや上着が大切に並んでた。
祖母が身に着けていた姿が簡単に脳内で再生できるほど少数精鋭で活躍してたアイテムたち。
その洋服たちはまだ、洋服箪笥の中で蓄えた祖母のエネルギーで呼吸し、いつでも袖を通してもらえるよう生き生きしてた。

その中に懐かしいものを発見。
子どもの頃に私がプレゼントした手編みのマフラーだ✨勿論、目が飛んでしまったとき祖母に助けを求めたから、私一人で編んだ訳じゃない😂
でも・・・


じーーん・・・
♡(*//艸//)♡

しばし眺め、、持ち帰ることにした。
私が見てきた祖母の人生なんてほんの少しだけど、それでも祖母の周囲には敵がいなかった。
“敵”ってゆう表現は語弊があるけど、現代人にはなんとなく伝わるものがあると思う。
私が感じていた敵は、ありとあらゆるものだ。
人のエネルギー、人が放つ言葉、食べ物、動物、虫、金属、植物、花粉、、時に太陽や風や空気までもが敵に感じた。

でもそれは“アユミの色つきメガネ👓”で見た世界。
祖母のメガネ👓のレンズには色がない。どんな色も挟まず魂の目で外界を入力するから、出力も単純明快。
祖母が居なくなってから、、私は本当に少しずつだけど、数年前に何度か耳にした“ワンネス”という言葉の意味を体得しはじめていることに気づいた。

立ち読みした何かの本に書いてあった。
“真夏の森に異例の冷夏が訪れた。木々たちは夏にもかかわらず自らを紅葉させ枯らした。
アブラムシは赤を感じる受容体がないから紅葉した葉っぱは見えず食べない。アブラムシはいなくなる。そうして森は冷夏の夏を越せる。”
自然とは、何事もその環境に順応し、変化の流れに身を任せること。逆らわないし、どうにかしようとしない。与えられた環境で皆が懸命に命を全うする。そうすると全体の均衡が自然と保たれる。
…なぜか、そんなことが頭に浮かんだ。

私は祖母と違って逆らってばかりいた。どうにかしようとジタバタしてばかりいたのだ。周りを敵だとみなし、敵に立ち向かうことが“正しい”と思い、逃げることは“恥”だと思っていた。
そーゆー“正と邪”、“敵と味方”みたいな視点から抜け出した。
自分のメガネ👓に付いている「色」を注意深く観察する。それまでもひたすら内観してきたけど、さらに掘り下げることにした。祖母を手本に。
たぶん、まだ道半ば。

***

生前、祖母が手入れしていた庭。
春は苺、夏はピーマンやプチトマト、梅雨時には紫陽花が咲くその土は祖母とともに生きた。
この秋、ヒガンバナが咲いた。
もうこの世には居ない、祖母が咲かせた最初で最後のヒガンバナ。

しっかり前を向いて歩いてゆくんだ。

〈続く〉
取り留めのない話を、もー少し続ける事にシマス😃

Ayumi☽



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