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群れずに生きる

2019年2月20日、Twitterのアドラー心理学サロン(@AdlerSalon)に次の投稿がありました。

これを読んで、ふと中学時代のことを思い出した。

今日はそのときのことを、『ライター・浜田みか』でも『作家・濱田美香』でもなく、いち個人の『浜田みか』として書いてみようと思う。

渡り鳥だった中学時代

女子というのは不思議なもので、すぐにグループをつくりたがる。もしかしたらそれは、本能的なものなのかもしれないけれど。それも面白いことに、似た者同士で群れをつくる。

運動部に所属している子たちは、同じ部活仲間で。やんちゃな子たちはやんちゃな者同士で。ちょっと大人しい子や、真面目で勤勉な子たちは、それぞれ自分と感性が似ている者同士でグループをつくっていた。

そのなかで私は、一人フラフラと渡り鳥のようだった。止り木のように時々着地して顔を出すことはあっても、特にどこかのグループにずっと居座ることもなく。あっちへフラフラ、こっちへフラフラしていた。

なぜ、そんなふうに過ごしていたかといえば、その頃の私はひどく『女子』が苦手だった。表ではニコニコしていても、裏で何を言っているかわからない。そんな不信感の塊だった。それに加えて、女子のあの何でも群れて行動することに対して、バカバカしさを感じていた。とはいえ、友だちもそれなりにいた。単に1:nの関係が築けなかったといえばそれまでなのだけれど。

その頃の女子(私がいた中学は、の話)は、"誰かといること"や"周りと同じ"であることが、普通であり、協調性があるとされていた。この時点で私には違和感しかなかったのだけれど、そうでなければ『友だちがいない=寂しい人』のような価値観が潜在的な共通意識として、みんなのなかにあったようだった。

そんななかで私を含めた数人は、それぞれ自分のペースで過ごしていた。けれど、私以外の人はどちらかといえば、仲間外れにされた結果一人にならざるをえなかったり、馴染めずにいつの間にか一人で過ごしているといったような状態だった。

異質を排除する性質

女子はコミュニティの中で、少しでも和を乱すような存在(といっても、彼女たちの価値観なりを否定する存在)がいれば、簡単に排除しようとしていた。そのせいか、よくグループ同士で対立をしていて、一匹狼のようにフラフラしている私はいつもスパイ役を頼まれることが多かった。けれど、残念ながら私には全くもって興味のないことだったから、

「悪いけど、興味ない。私はどっちの味方でもない」

とよく言っていた。こんなことを言えば「なに、あの子」と目をつけられて叩かれそうなものだが、私があまりにもキッパリと言い切るせいか、そんなこともなく変わらず日々を過ごしていた。

けれど、学年が上がるにつれて、グループの内や外での対立が目立つようになっていった。だからなのか仲間外れにされた人は、いつも私のところに来るようになった。私と一緒なら、誰も文句を言わないからだろう。相変わらず一人でフラフラしていたから、他のグループに入ってまたトラブルになるよりも安全だと思われたのかもしれない。

優しいとか冷たいとか

当時の私は、誰がそばに寄ってこようがどうでもよかった。なぜなら、どうせいつかまた自分の元の巣(グループ)に帰るんだろうと思っていたからだ。要するに、冷めていたのだ。

誰かと連れ立って行動することに慣れている彼女たちは、トイレに行きたくなると「一緒に行こう」と誘ってきた。そのたびに私は「行きたいなら、一人で行きな」と送り出した。なぜ、わざわざ用もないのに(それも、他人のトイレに)一緒に行く意味があるのか、全くもって不可解だった。誰かが待っているトイレで、よく用が足せるなとさえ思っていた。

そんなだったから、よく「冷たい」と言われていた。冷たいと言われる意味が理解できなかった。興味がないとはいえ、彼女たちを邪険に扱ったつもりはなかった。相談されれば一緒になって考えたし、泣くことがあれば慰めもした。自分は優しい人間だとは思ってはいなかったけれど、彼女たちの言う「冷たい」には冷酷さ云々というよりも、自分の都合最優先の利己的な感想にしか聞こえなかった。

「ひとりにしないで」「ひとりは嫌だ」「どうしてひとりにするの?」

そんな感情が言葉や態度の端々にあって、なぜこの人は一人でいられないのだろうかと思ったものだ。それだけではない。お揃いの持ち物、一緒のランチタイム、授業の合間の休憩時間、下校時の帰り道。あらゆるものを共有しようとする。いや、させようとする。

こんなことが何度も、入れ代わり立ち代わりあった。そのたびに、私は女子の面倒くささにほとほと嫌気が差していた。

共有≠孤独

私はひとりっ子気質が強いせいなのか、一人で過ごすことに何の苦痛も感じなかった。まあ、だから一匹狼みたいにウロウロしていられたのだろうな。けれど、彼女たちにとって"一人になる"ことは『独り(孤独)』を意味することだった。群れていないと、自分の存在価値に自信が持てなかったのだろう。

とはいっても、私自身一人でいるからといって、自分に自信があったわけでもない。単純に、一人で過ごす時間があっても、話せる友だちはそれなりにいて、特別孤独感を抱くようなこともなかったからに過ぎない。

中学生の頃は、自分の存在意義や存在価値が確立されていない、まだ不安定な時期でもある。だから、誰かと過ごしながら自分を保ちたいと考えてしまうのは、ある意味健全に年相応に成長している証拠でもあるのだ。

逆に言えば私は私で、誰かを深く信用することもなく、信用しようともしていないぶん、不健全だったのだ。『誰か』を求めるくらいなら、自分一人で生きていく。そうやって他人を拒絶していたのだ。それで孤独を感じなかったのは、私に心の拠り所となるものがあったからだろう。

自分の世界

幼いころから絵を描くのが好きだった。保育園の頃から「大きくなったら絵描きさんになる」と公言していたくらいに。(当時はイラストレーターなんてシャレた名前よりも”絵描き”のほうがメジャーな呼称だった)小学生で小説を書くことに目覚め、寝る間を惜しんで創作に勤しんだものだ。

それは中学生になっても変わらずで、マンガや小説などもよく読んでいた。つまり、彼女たちが全精神を『友だち』に傾けているなか、私は私だけの世界があり、友だち以外の拠り所があっただけのことなのだ。だから、私はいつでも『一人』が平気だった。

恐怖心

思春期真っ盛りの不安定な年ごろの女子たちからすれば、私はちょっと怖い存在だったのかもしれない。この年頃の女子は、自分とは違うと感じた存在は否定したくなるものだ。そうでないと、まだ不安定な自分を保てずにいられないからだ。そのために他人を攻撃することもある。それがときに悪口を言ったり、嫌がらせをしたり、仲間外れにしたりといった行動に現れる。

ところが、私はそうしたものと無縁だった。グループ間の対立に巻き込まれそうになったことはあっても、私を無視したり、嫌がらせをしたりしてくるような相手は誰もいなかった。おそらく、普段から一人で飄々と過ごしている私に、そんなことをしても意味がないと感じていたんだろう。

彼女たちのなかで、こいつは敵に回しちゃいけないと思われていたのかもしれない。だから、躍起になって仲間に引きずり込もうとしたのかもしれない。それでもなびかなかった私に、何をしても無駄だと悟ったのかもしれない。

私以外の一人で過ごしていた女子は、無視をされたり、嫌がらせを受けたりしたことがあったらしい。そのうちの一人とよく話す仲になってから、そのことを聞いた。話を聞いてみると、その子自身も他人を見下すようなところがあったので、それに対しては良くないことを伝え、嫌がらせをしてくる相手には「文句があるなら、直接私に言いに来い」とタンカを切っておいた。

それで裏でコソコソしようものなら、本気でとっちめてやるつもりでいた。けれど、相手はそんなこともなく、二人はお互いに合わないと思ったのか自然と付き合いは途切れていった。

普段は割とニコニコしている私だが、正義感だけはしっかりあったようで、目の前でからかいの度が過ぎていると感じた時には、相手が誰だろうと食ってかかった。グループ間で陰湿な嫌がらせを見かけたときは、その行為自体が許せずに問い詰めたこともある。それが結果的に事の終息に向かったのは、SNSもインターネットも何もない時代だったからかもしれない。

今の時代なら、どうなっていたんだろうかと思うことがある。

群れずに生きる

大人になった今でも、私は女性が少し苦手だ。中学生の頃のような不信感は随分と和らいだ。それは、過去と向き合った結果に手に入れたものでもある。ただ、やっぱり1:nで関係を構築することはいまだに苦手だし、もっといえば自己開示も大して得意ではない。

私はよく「何を考えているのかわからない」と言われてしまう。それは、昔から大して変わっていない。自分のことを話すのが苦手なのだ。どのタイミングで自分のことを話していいのかわからないのだ。

今まで、いろいろなことを選択しながら生きてきたが、基本的に誰かに相談をしたことはない。わからないことがあれば、自らで調べ、自分一人で何もかも決めてきた。私の人生の決断に、誰かに意見を仰ぐことなどほとんどして来なかった。誰かに相談したところで、最後に決めるのは自分だからと、必要にさえしなかった。

群れずに生きることは、自立心を強くしてくれる。けれど、歪んだ自立心は、他人を無意識で排除しているのかもしれない。と、最近思うようになった。

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