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"出会う"からわたしたちは"別れ"を知る

春が舞う。
4月。

私は今日という日になにを残すことができるだろう。

友達と会えなくなる寂しさだろうか。
もう、着なくなる制服だろうか。
誰かに抱いた愛だろうか。
誰かにいつか抱いた憎しみだろうか。

今思えば私が大好きになった人はどこかで自分がすごくなりたかったものなんだと気づく。

あの人を好きになったのは、いつもまじめでひたむきで腰の低い人だったからだった。

あの人とずっと一緒にいたいと思ったのは、自分の好きなことをまるで自身と向き合うように打ち込んでいたからだった。

あの人が隣にいればと思ったのは、落ち着いた雰囲気といつも違う角度から物事が見れるその目が羨ましかったからだった。

ぜんぶ、ぜんぶ、私にはないものだった。
ぜんぶ、ぜんぶ、なりたい私だった。

大好きなだけではなかった。
星に願い、叶わなかったら神を恨むようなそんなちっぽけな存在ではなかった、そう、今では思う。

ここまできて、私は本当に思う。
"残していくもの"はないのだと。


私はぜんぶ、ぜんぶ、"持って帰ろう"と。

つらいことも、うれしいことも、友達との記憶も、あの日残していくのだろうと思った未練も。
今日のこの暖かな風とともに。

私は、この3年間があったからいまの私がいる。
周りの友達、先輩後輩、先生、親。
いろんなことがからまり合って、私がいて、環境、人、
1つでもなにかが違えば違う私になる。
何億、何万とある手段の中から自分で選んで、たどり着いたたった1つの今。それを歩んできた。

私はこの世界が好き。
私は"私"が好き。

この世界は本当に美しい。
知らないこと、知らない人がたくさんいる。
知らないって美しい。
知らないって豊かな営みだからこそ育まれる。

さあ、帰ろう。今までの私よ。
次の私を目的地にして。
世界を知ろう。愛を確かめに行こう。
重い荷物も、すべてが私だから。


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