ホステス時代のこと書きたいな〜 って言っても、働いたのは1か月だけなんだけど(笑) 私、ローンを組んで美容整形したんだよね。 それで、前に働いていた会社を辞めちゃって、収入が途絶えたの。 ストレスで心身共に病んじゃってたから、3ヶ月くらい自宅療養していた。 でも、ローンの支払いが毎月30,900円もあったの。 貯蓄がみるみる減っていって、物凄く焦った。 まだ万全じゃなかったけれども、『このままじゃ家賃も払えなくなるし、生活出来なくなっちゃう!』って。 それで私
私、月経困難症なんだけど、年一くらいで地獄の生理痛がある。 まず、腰痛から始まる。 痛み止めって、飲みすぎるとあんまり効かなくなるから、出来る限り飲まない方が良いって話を聞くよね? それで、痛み止めを飲まないで布団の中でじっとしているんだけど… どんどん痛みが強くなっていって、腰痛だけじゃなくて腹痛も始まり出す。 それでトイレに駆け込むんだけど、今度は下痢が止まらなくなって、個室から出られなくなる。 加えて吐き気もしだして、堪えきれない時は吐いちゃう。 上からも
ずっと孤独だった。 寂しくて、無理に人と関わろうとしていた時期もあった。 でも、あるときから他人との縁にしがみつくことをしなくなった。 人も社会も常に変化しているんだ。 常に移ろっているんだ。 縁とは自然に引き寄せあって、自然に離れていくものなんだ。 一度離れたとしても、縁があれば、またどこかで繋がりあえるものなんだ。 そう、私は思っている。 だけど、やっぱり寂しい気持ちを拭いきれない。 『本当に自分は正しいんだろうか』 そう、不安に思うこともあった。
昔、「女性の体は7の倍数で変わる」というCMが流れていた。 確かに。27歳までは若かった。 でも28歳になって、ある日急に肌が萎んだように感じたんだ。 そうしてだんだん、体から水分が失われて、いつか干し柿みたいなおばあちゃんになるんだ。 私の人生、ずっと渋柿みたいだった。 でも干し柿って、渋い柿ほど甘くなる。 だから私の人生、これからどんどん甘くなっていくんだ。 歳をとるごとにどんどん甘くなっていくんだ。
22歳くらいの時。 上京するまでの20代前半。 娯楽の少ない田舎町で、私の趣味はbar巡りだったんだよね。 そして、近所じゃなくて、少し足を伸ばして県内で一番栄えている街に当時はよく通っていたの。 『MARIO』って名前のbarだった。 車で行って、コインパーキングに駐車して、帰りはネカフェでお酒が抜けるまで仮眠と漫喫を楽しんでた。 bar兼レストランって感じ。 お洒落な内装に、オレンジの仄温かい、ムーディーな照明。 働いているスタッフさんたちはみんな男性だった
私、ちょうどコロナが収束してきた時期に入店したの。 それで勿論、感染症対策のことも気になったんだけど… それより『経営は大丈夫なのかしら?』って、思ったんだよね。 そしたら店長、自嘲気味に言ったの。 「こういう仕事はなくなりませんから(笑)」って。 『どういう意味なんだろ?』って私、考えを巡らせたの。 そしたら『さくらん』って土屋アンナさん主演の映画を思い出したんだ。 器量が良い田舎娘が吉原に身売りされて、そこから花魁道中練り歩くまでのサクセスストーリー。 あ
皆さん『黄昏泣き』ってご存知? 幼児が夕暮れ時に泣く現象。 数年前にネットでそのメカニズムが分かりつつある、というようなことが書いてあった。 あれって、幼児の脳が未発達なせいで、記憶が処理しきれなくて泣くんだって。 実は私、その時の記憶があるの。 多分2歳だった。 当時、田舎の県営住宅に住んいでた。 最上階の5階。 ベランダにはお砂場セットと三輪車が置いてあった。 まだまだ遊び足りない私は、1人ベランダに出て好き勝手に遊んでいた。 私は、赤い三輪車に目をつ
私、鼻もコンプレックスだったんだけど、目の下のクマもずっとコンプレックスだったんだ。 それで、目の下の脂肪取り(経結膜脱脂法)をすることにした。 費用は国内の美容整形外科で40万円弱。 ちょうど年末に手術した。 正月休みが1週間あるから、それなら仕事を休まずに行けるかなと思って。 ちなみに、クマ取りの手術も全身麻酔だった。 眼球と下瞼の間にメスを入れて脂肪を抜き取る手術。 3時間くらいであっと言う間に終わった。 翌朝。 私は奥二重なんだけど、完全に一重瞼にな
実は私、27歳の時に整形しているの。 目の下の脂肪取りと鼻。 「整形は魔法じゃない」 You Tubeで整形アイドル轟ちゃんが言ってたけど、アレ本当だった。 スッポンが月になりたかったのに、亀になったくらいの微妙な変化。 保育園に通っていた時から、ずっと思っていたことがあった。 「なんで私の鼻は、鼻の穴が丸見えなんだろう」 「なんで皆普通の鼻なのに、私の鼻だけおかしいんだろう」 ちっちゃい時は遊んでいると忘れられた。 けれども、小学校に上がり自我が芽生えて
4歳の時。 田舎のスーパーにウルトラマンがやって来た! 私は喜び勇んで握手会に並んだの。 ウルトラマンが私の手を『ギュッ』と握ってくれたんだ! それがもう、嬉しくて嬉しくて! 『私がとびきり大好きなものをウルトラマンにあげたい』 そう考えた私は、当時、大事にコレクションしていたセーラームーンのカードを2枚、ウルトラマンに渡したの。 『ありがとう!!』 そう、ジェスチャーで受け取ってくれたんだ。 それがまた、嬉しくて嬉しくて! 私はスキップするようにスーパー
なんかの実が落ちてた。 子供の頃、おままごとでよく使ってた。 純朴な田舎の少女時代。 家の中で絵を書いたり、絵本を読んだり、玩具で遊んだりするのも好きだった。 それと同じくらい、外でかけっこしたり、自転車で爆走したり、泥遊びやおままごとをするのも好きだった。 何でも楽しかった。 よく日が暮れるまで遊んだりしたものだ。 泥だらけで帰ってきては、度々母に叱られた。 4歳くらいの時。 団地の集会所に集まってる、女子中学生3人組の中に、勝手に混ざって遊んでもらったこ
昔、はじめて江國香織さんの小説を読んだ時、barに凄く憧れたの! 江國さんの小説には、美味しそうな食べ物やお酒の話がいっぱい書いてある! 小説「きらきらひかる」で、主人公の笑子が「ミントジュレップ」というカクテルや、「アマレット」というお酒を飲んでいる描写が度々出てくる。 また、夢の中で「シュークリームのコアントロー味!」って嬉しそうに叫んでる描写とかがあったりして。 素敵じゃない? 「シュークリームのコアントロー味」 なんて素敵な響きなんだろうって! だから2
なぜ人は生まれてきて死ぬのだろう 幼い頃死ぬことがとても怖かった。 大好きな母がいつか死んでしまうかと思って「お母さん死なないで~」と泣いてた5歳くらいの時。 私にとって死はとても恐ろしいものだった。 それを優しく教えてくれたのが、小学校の国語の授業で習った『葉っぱのフレディー』 私たち人類含め、全ての生き物は命の大きな輪廻の輪の中にある。 それはとても壮大で気の遠くなる話だけど、DNAの螺旋階段の一部に確実に自身が組み込まれ、脈々と血が受け継がれているのがわかる