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精神疾患ワーママ、本日退職しました

こんばんは、みつまめです。
アラフォーのフルタイム会社員。
小学生、保育園児2人の男児の母でもあります。
私は本日、5年5ヶ月勤めた会社を退職しました。

職業人生の中で、色々な経験をさせていただいた現職。
この会社での仕事を通じて、仕事との向き合い方、他人との向き合い方といった、自身の深いところまで掘り下げ、試行錯誤し、磨いてきた5年間だったと感じます。
途中適応障害で3ヶ月休職するといった、私の人生にとって大きな出来事もありました。

色々あった現職、思えば出会い方も割と面白かった。
人生って何が起こるかわからない。

私と現職との振り返り、よろしければお付き合いください。

上司をテーマにした振り返り記事もよろしければどうぞ
(おだんごさんの企画参加記事です)


入社したきっかけ

出会い

現職との出会いは地元のマザーズハローワークで、担当の方に紹介頂いた求人票でした。

当時私は次男の育休明け直後で、前職に復帰したばかりでした。
早朝覚醒、ずっとネガティブ思考に支配されて涙が止まらない、体が固まり玄関から出られない、といった適応障害っぽい症状が出ていました。

現職は未経験の業界、未経験の職種でした。
とはいえ、社会人2-3年目頃に休日を使ってスクール通いをし、勉強していた分野です。
業務として若干携わったことがあるジャンルでもあり、実績も紹介出来ます。
(求人は一応「未経験OK」になってはいましたが)

育休明け直後で
0歳児育児中であることが、先方にネックとして捉えられるかも…というのが若干の不安要素でした。

その場で採用!?

履歴書を郵送したら3-4日後に面接の連絡が届きました。
GW直前の面接。ジャケットがちょっと暑かった記憶があります。

面接は当時の社長、他部署上司、所属予定の部署の上司(現在も直属の上司)の3名。
ごく一般的な質問で進行していきつつ、事例紹介で紙もの系の実績をまとめたファイル(ポートフォリオ代わり)を見せたり。
普通の面接だったはずなんですが、何の話の流れだったのか話題は前職の業界の悪口に。笑
後に上司は「◎◎業界の悪口めちゃくちゃ言ってて面白かった」と言っていました。よほど印象的だったみたいです。

そしてその場で、「採用です。いつから来られますか?」と言われました。
どっかで協議するでもなくその場で。

パート採用だから??

戸惑う私。
在職中なので、後日また退職可能日を確認してご報告しますと答えたような。
(思えばこんなのばっかり、私。笑)

その後、前職は有給消化含めて1ヶ月後に退職し、2018年6月に入社したのでした。

環境の違いに戸惑う

入社後は環境があまりに違いすぎて、戸惑いの連続でした。

前職は営業が中心の会社でした。
考え方も、評価も、営業の考え方が基本。
バックヤード職でも業務一つ一つが数値で管理され、ルーチン以外の業務を積極的に手伝って「数字」を上げる必要がありました。
(要はバックヤード職も手が空く場合は電話営業をしたり、営業ヘルプで外回りしたり、他部署の手伝いをしないと成績を稼げない)
会議も数値管理され、無駄な会議は徹底的に排除されていました。

現職は制作系。
周りの先輩社員は9割年下、という環境でした。
私がマネージャーになってからはだいぶ変わりましたが、当時はスケジュール通りに成果物を上げればよく、成果物の結果(数値が上がっているのか?)には誰も興味なし、といった雰囲気でした。
むしろスケジュール管理もだいぶ甘くて、締切当日の定時直前に完了報告が上がるような状況。
(つまり戻りがあった場合は締切からは遅れるわけですが…何で誰も何も言わなかったんだろう)

さらに、定時のチャイムが鳴ると同時にみんな席を立ち、タイムカードを切って出ていくというのにもびっくり。
残業が少ないのは良いことですが、どう見ても進捗カツカツなのに絶対に残業しない人もいたりして。
180°違う会社に来てしまったと心底驚き、かなり戸惑いました。

入社3ヶ月で進行管理担当に

そんなこんなで周囲との考え方の違いに違和感を感じつつも、仕事には少し慣れてきた入社3ヶ月。
進行管理を担当していた先輩社員が退職することになりました。

前職で営業部隊のスケジュール管理とか、出向先でチームのリーダー経験があったので、私が後任に指名されました。
前項に書いた通りスケジュール管理が甘い人ばかりだったので、確かに私は適任。
とはいえたった入社3ヶ月。(しかもフルタイムとはいえ職位はパート)
小さな会社ですが、一人ひとりどんなタイプの人なのかをきちんと把握出来ているわけではありません。
半年くらいは恐る恐る…といった感じで仕事を回していました。

入社10ヶ月で正社員に

翌年の4月。期初のタイミングで正社員になりました。
期末の評価面談で正社員希望を伝えたら、すんなり通ってしまいました。

当時はパートから契約社員、契約社員から正社員と順を追って期初のタイミングで切り替わるのが慣例でした。
パートからいきなり正社員、しかも入社1年足らずなのは非常に珍しいことだったそうです。
通常業務をこなしながら進行管理を滞りなく行ってきた実績を認めて頂けたようです。
(JTCの親会社がこのあたりは出張ってくるので「慣例命」なところがあり、通すのは割とパワーがいる)

仕事の方は少しずつ企画に携わるようになり、幅が広がってきていました。

入社1年10ヶ月で管理職に

翌年4月。
入社1年10ヶ月でまさかの管理職になりました。

親会社の方でごたごたがあり、直属の上司が実質子会社のトップになる事になりました。
そのため、その下につく管理職クラスが必要になりました。
その際に私ともう一人、その時点で社歴3年目くらいの30代男性が招集され、管理職にならないかと打診がありました。

私は一度断ったのですが、「大きく業務内容が変わるわけではない。裁量権を持つことで、もっと仕事の幅を広げ、やりたいこと精度を高めて欲しい」と上司から言われました。
面白い考え方だな、と思ったし、やってみたいな、とも思いました。
引き受けることにしました。

親会社はあくまでもJTC。
入社2年にも満たない、しかもワーママ。
上司は結構ゴリ押しして通したんじゃないかと思います。

コロナ禍とすれ違い

私は昇進し、部下を3名持つことになりました。
部下は今まで一緒に仕事をしてきたメンバーでしたが、私の立場が微妙に代わった事で、私自身がメンバーとどう接するべきかわからずあれこれ試行錯誤が必要でした。

ところが年明けから急激にコロナウイルスが広まり始め、4月に緊急事態宣言が発令されました。
部下を持っていきなり、お互いリモートワーク。
会社も急いでリモート体制を整えたり、制度を作ったり、やや混乱状態。
部下はみんなデザイナーで、性格的にセンシティブなタイプが多め。
何かとナーバスになりがちで気を使う場面も多く。

さらに4月から小学1年生になった長男は、入学式も延期されたまま休校。
幸い学童や小学校での預かりはあったものの、状況によってはかなりの頻度で子連れ在宅勤務をしていました。

リモートMTG中に隣で縄跳びされて(※室内)、どうしよう…と思った記憶があります。笑

入社2年10ヶ月、適応障害で休職

昇進した年の秋頃から、何となく食欲がなかったり、頭痛が酷かったり、といった症状が出る日が、増えてきました。
冬には頭が稼働していない感じで思考がまとまらなくなり、眠れない・早朝覚醒なども増え、年末には、夫の前でネガティブ全開で泣いてしまうくらい追い詰められていました。

それでも、この仕事をやりきればきっと楽になる、と騙し騙し走り続けましたが、大きな仕事をやりきって迎えた2021年4月、ついに仕事に行けなくなり、3ヶ月間休職することになりました。

なお、noteをはじめたきっかけは休職。
まさかこんなに長く続けられるなんて、当時は思っても見ませんでした。

抑うつ状態でも、文章は長い。笑

適応障害と診断されるまでを振り返ったシリーズ

休職中の記録

復職面談・面談で用意した資料

復職前日の記事

復職100日経ってからの振り返り

入社3年1ヶ月、元の部署に元の職位で復職

私は以前とおなじフルタイムで復職しました。
時短や、しばらくフルリモートも選択肢に上がりましたが、私が望みませんでした。
時短勤務については前職の経験がトラウマ化していて、かえって心が乱れそうだったから。
(育児中の時短勤務でしたが、聞こえる声で陰口を言われたりしていました)
フルリモートも、コロナ禍で上手くコミュニケーションが取れなかった事があってかえって不安が強くなりそうだったから。

また、私は同じ部署、同じ職位で復職しました。
上司が
「みつまめさんが望まないなら、降格させる気はない、本社にも既に伝えてある」
と言ったからです。

そんな無茶な、と思いつつも、やってみたいとも思い、私は上司の提案を受け入れたのでした。

最初はおっかなびっくり。どんなにちいさな事でも、自分で判断するのがとにかく怖くて手が震えました。動悸と頭痛に悩まされたり、すぐに頭がフリーズしてしまったり。それでも少しずつ少しずつ、慣れていきました。

マネージャーで復職した理由

復職初日は割とテンション高めだった

マネージャーとしてのチャレンジ

復職して1年目は割と必死だったのであまり記憶がないのですが、当時の私がしっかり記録してくれていました。 
さすが振り返り系noter。

比較的早い段階から、休職前からの課題に向き合い、少しずつチャレンジを繰り返していたようです。
え、私結構偉いな…!笑

この頃の気づきが今に繋がっています

怒りの原因は「無関心」


気分の波とのお付き合い

気分の波とのお付き合いはずっと試行錯誤していました。
「躁鬱人」である上、私の波はどうしても仕事と連動してしまいます。

企画立ち上げで軽躁になりやすく(1週間くらい)、その後徐々に下降して不安や焦りなどに支配されたり、突然怒りが湧いてきたり(混合〜やや鬱)、最終的にリリースしたら燃え尽きる(やや鬱〜がっつり鬱)…というのを大体3ヶ月おきに繰り返します。

特に期末〜期初は大型のリリースが増えがちで、鬱の波が大きく、酷くなりがちでした。
春は鬼門です。

躁期

めっちゃ怒りが湧いてしまっている例
(ただ不安感も強いようなので、躁じゃなくて混合状態かも)

鬱期


明らかに大型企画リリース後の燃え尽き

時には仕事中に鬱に陥ることも

珍しく鬱期に繁忙期を迎えてしまった

休んだりもする

絶不調


謎期(混合状態?)


完全に自分の状態を見失うことも

混合と思ったけど、単に2次面接を前に不安定だっただけかも


フラット

珍しくフラットで繁忙期を終えた

転職を決めたらあまり心が揺れなくなった

あれだけ気分の波と付き合い方を試行錯誤し続けてきたのに、転職を決めたら完全に吹っ切れて、波がめちゃくちゃ小さくなりました。
波は確かにあるんだけど、数日で戻ってこられる程度の大きさ。

「躁鬱人」だと思ってきたし、薬も飲んでいるけど、実は躁鬱人じゃなかったのかも?と思ってしまうくらい。

転職を決意した時

半ば楽しんでいる様子がうかがえる

転職活動についてまとめました


無事に内定を頂いてから

この記事を書くにあたって復職日記をざっと読み返したのですが、現職で私が一つずつ身に着けてきた、私仕事に対する捉え方・考え方がぎゅっと凝縮した引き継ぎ期間だったな、と改めて思います。

メンバーの嫌なところも、2年くらい前から…いや、何なら休職する前から一切変わらなかった。
さすが私が「諦めた」メンバーたちです。苦笑

人柄のよさと仕事ぶりは、イコールにはなりません。
奇跡的に良い人が集まった職場ですが、仕事に対する姿勢は合わないし、なんなら組織の再構築には正直じゃまになる人材だな、とも思います。

私も転職先で「人柄は良いけど仕事はイマイチ」と思われないよう気を引き締めたいです。

復職548日。最終日を終えて

今日も通常通り出社して、最後に上司に託すデータや報告資料をまとめて送りました。
いつもの違うのはデスク周りをきれいに掃除したことくらい。
あとは、お話する時間を作ってくださった事かな。
最後まであたたかく、ある意味いつも通りの感じで送り出してくださいました。

帰宅しながら子どもたちをお迎えに行き、ご飯を作りながら、長男の宿題を見て、次男の保育園の洗濯物を出して。

何だか明日も間違えて出社してしまいそうなくらいの、いつも通りな最後の日。
心が大きく揺さぶられなくて、躁鬱人にはこれがベストなのかもしれない。

明日からは新しい職場です。
私は「精神疾患で休職して、復職した人」ではなく、「精神疾患クローズドで転職したワーママ新入社員」になります。

復職日記もどうしようか非常に悩んでいますが、ひとまず今まで通り、毎日投稿スタイルで、徒然なるままに日々を綴っていこうかな、と思います。

noteの皆様、引き続きよろしくお願いします!

*****
退職エントリを今日中に上げたくて、慌ててワーママ転職活動期を完成させました。笑

これまでの軌跡はこちら


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