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第15章 運命の女神−2

Vol.2 仙石原

シヴァ:教祖は、あなたに興味を持っています。

セレン:なぜ?

シヴァ:あなたは、我々には向かい、降り注ぐ不幸の豪雨を前にしても、我々に牙を向けてきた。その、行動力に。その執念は、教祖の心すらも動かしているということですよ。

セレン:教祖の心を動かしても僕には何の嬉しさもない。

シヴァ:まあまあ、そう言わずに。我々からすれば、素晴らしいことです。我々が教祖の心を動かすことなどないのですから。ある意味羨ましいことです。妬ましいほどに。

そうメッセージが飛んできた時、シヴァのフリックする指がわずかに感情的になっていたのを僕は横で感じた。本当に妬まれているのだと僕は、改めて感じた。こちらからすれば、散々嫌がらせをされた上に、勝手に妬まれいい迷惑だ。そんなことを思っているとシヴァは、メッセージを続けた。

シヴァ:そろそろ終点です。電車がついたら、駅の外に止まっている、プリウスに乗ってください。

セレン:あんたが連れていくのではないのか。

シヴァ:私は、ここまであなたを運ぶことが命令ですので。スマートフォンを私に返してください。

そういうと、シヴァにスマートフォンを渡すように手招きした。僕は、おとなしくそれに従い、スマートフォンを渡した。しばらく、沈黙が続く。

ー次は、小田原。終点小田原です。お折の方は忘れ物のないようにお気をつけください。

アナウンスが車内に響いた。小田原なんて来たことがない。しかもこんな夜中に。そう思いながら、僕は車内を見渡すといつの間にか、お客さんは減っており、ガランとしていることに気がついた。シヴァとのメッセージのやり取りのせいで、画面にばかり気を取られていたから周りを気にする余裕がなかった。

 車内が揺れ、ブレーキが軋む音が聞こえた。小田原駅に、電車が到着したのだ。僕は、シヴァの指示に従い、電車を降り、改札口を抜けた。案内板に従って出口を進む。駅に併設された商業施設があるらしく、そこを行き来する人が本来はいるのだろうが、もう流石に22時を越えていたのでしまっていた。エスカレーターをおり、駅を出ると、そこは意外と都会だった。東京ほどのビルの高さはないもののそこそこおきなビルがある。人通りもそこそこある。僕は、キョロキョロとシヴァに指示されたプリウスを探した。すると、一台のプリウスが道路脇に停車しているのを見つけた。僕は、少し小走りでそこ絵向かうと、二人組の男女が僕を出迎えた。男の方が、「乗ってください」と僕を後部座席に案内し、女の方が僕の後ろで監視役とでもいうのだろうか。僕に目隠しと耳栓を渡し、つけるように促した。僕は、黒奈のこともあるので、下手なことはできない。黙っていうことに従った。

 車はどこに移動しているのだろうか。何度か信号にひっかかていのを感じた。車は心地よい速度で進んでいる。僕は、先ほどまで満腹であったこともあり、眠たくなってきた。もしかした、睡眠ガスでも散布されていたのかもしれない。だが、そんなこことを考える余裕なんてなかった。ただ、睡魔が僕の頭を覆い被さり、このまま寝てしまった。

 僕は、久しぶりに夢を見ていた。バスに揺られている自分がそこにはいた。行き先はわからない。だけど山道をゆくバスで知らない人と話している。僕は、その人が懐かしい人のように感じていた。楽しそうに喋る自分をメタ的な視点で見ている。そんな夢を見ている。

 どのくらい時間が経ったのだろうか。意識が戻った時には、車はもう止まっていた。目隠しも耳栓もはずされていた。僕が目を覚ましたことに気づくと、女性が僕に水の入ったペットボトルを手渡してきた。僕は、黙ってそれを受け取り朦朧とする意識の中でそれをゴクゴクと飲んだ。すると、脳は鮮明に意識を取り戻した。喉が渇いていたのもあり、一気にその水を飲み干した。

「ここからどこへ移動するんだ。」

僕がペットボトルを手渡した女性に問う。

「移動はしません。もう到着しました。あとは、あなたが起きるのを待っていただけです。」

彼女は、淡々とした表情で僕に答えた。

「なら、早くそこに案内してくれ。そして、黒奈を返してくれ。」

「では、向かいましょう。」

車を出ると、外は真っ暗だった。サーと静かな風が吹いた。風が冷たい。ススキの揺れる音がする。夜明け前の匂いがする。僕は、どうやらどこかのススキ畑にいるようだ。さっきまで、都会にいたはずなのに、今はもう大自然に囲まれている。不思議な感覚だった。自分が置かれている状況は危険なはずなのに妙に落ち着いている。これは、自然のせいなのだろうか。

「私についてきてください。」

そう言って、女性は僕の後をたまに振り返りながら歩き始めた。こんなところに何があるというのだろう。僕は、不思議に思った。懐中電灯を持って歩く女性は、どんどん進んでいく。慣れているのだろうか。そういえば、彼女は30代くらいの顔立ちだった。どこにでもいそうなOLの顔をしているが、実際はどうなのだろうか。この人は、どうして今、僕を案内なんてしているんだろう。そう思ったが、ただ一点、ブルーガーデンを信仰していることを忘れていた。それだけで理由は十分なんだ。

「ここです。」

そう言われて、彼女が指を刺した場所を見ると、そこには建物があった。軽井沢の別荘という佇まいであった。

「私は、ここまで案内するように言われただけですので。あとは、中にはいいていただければ結構です。」

そう彼女は言って立ち去っていった。一人残された僕は、とりあえず、建物のチャイムを鳴らした。

ピンポーン。

しかし、反応がない。もう一度押してみる。

ピンポーン。

暗闇にチャイムの音が響いた。風が吹く音以外には何も音はしなかった。呼び出しておいて何なんだ。と僕は少し苛立ちを感じ、もう一度チャイムを押そうとした時、インターホンから声がした。

「鍵は空いている。入ってきなさい。」

声は低すぎず、高すぎずのちょうどいい高さの男性の声がした。僕は、その声に誘われるようにしてドアを開けて建物の中に入って行った。

 建物に入ると、少し薄暗いが灯りが灯っていた。普通の玄関がそこにあったので、僕はいつもの習慣のように靴を脱ぎ、手前に置かれたスリッパを適当に掴み履いた。玄関からは長い廊下があった。僕は、どこに声の主がいるのか教えられていないが、何となく人の気配がするのを感じた。その感を頼りに廊下の突き当たりを左に進んだ。すると、見事にそこにはインターホンで聞いた声の主がいた。

「いらっしゃい。会いたかったよ、セレンくん。」

そう言って、彼は僕の方へやってきた。どこかで見たことがあるような顔だった。しかし、部屋の中は薄暗く男の顔を正しく認識することができなかった。男は、僕に椅子に座るようにと案内し、僕はその指示に従った。机はダイニングテーブルというべきだろうか。実家にあるようなシンプルな机だった。ただ、部屋の中はダイニングキッチンのある大部屋で、30畳はあるんじゃないだろうか。部屋は窓が多く、窓の近くには大きな暖炉とソファー、液晶テレビがあった。また、壁には美術品や鹿の剥製、猟銃がかけられていた。モダンと北欧を交えたようなインテリアだった。僕が部屋を観察しているのに気づいた男は、部屋の明かりを明るくした。

「この方がよく見えるだろう。色々と。」

そういった男の方を僕がみる。僕は、その男の顔を見て思わず口を開けてしまった。

「まさか。そんなー。」

僕は、それ以上声を出すことができなかった。驚きと衝撃が僕の脳内を駆け巡る。実際、夢を見ているんじゃないかと、顔をつねってみたが、痛い。夢ではないということだ。

「どうしたんだい。そんなに驚いて。」

男がしばらく、不思議そうにしていると思い出したかのように笑顔になった。

「そういうことか。」

「どうして・・・、何です。ずっと、僕のことを監視していたってことですか。」

「そんなことはないよ。セレンくん。だって僕ら初対面なんだから。」

「嘘だ。その顔、あなたは。」

僕は、男の名前を口に出すのが怖かった。本当に目の前の男が。自分の信頼していた人が実は一番自分が憎い人だったなんて、結論づけてしまいたくなかった。でも、これ以上引き伸ばすわけにもいかなかった。僕は、決心をつけて男の名前を呼んだ。

「どうして、翠さんがブルーガーデンの教祖なんてやっているんですか。」

そう。男の顔は、僕がアルバイトをしている花屋の店主であり、世界的に有名なフラワーアーティストでもある翠さんだった。僕は、無意識に教祖とは、初老くらいの男性だと思っていた。だが、現実の男は、30代半ばの男性。草花に詳しくて、独特のアートセンスを持っている凄い人物。そんな人がどうして、腐った宗教団体なんて掲げているのだろう。僕は、怒りよりも疑問や悲しみといった感情がこぼれ出し、二重振り子のように感情が揺れ動いていた。

「ちょっと待ちたまえ、君は何か勘違いをしているようだ。」翠さんが微笑む。

「何が勘違いですか。だってここまでできるのは教祖だけでしょ。あれだけの人を動かせるなんて。」僕が嘆く。

「確かに私は不死川だし、教祖でもある。だが、君の知る不死川ではない。」翠さんは答える。

「意味わからにですよ。そんな顔で言われても。誤魔化さないでください。」僕はいう。

「そんな顔。まあ、顔は仕方ない。それに、誤魔化してなんかいないよ。」翠さんがいう。

「もしかして、二重人格の持ち主とかそういうやつですか。」僕は、必死にいう。

「一旦落ち着こう、セレンくん。」翠さんが僕を宥める。

僕は、翠さんへの質問をやめた。翠さんは、僕にキッチンにあるウオーターサーバーから水をコップに汲んで僕にわたした。僕は、出された水を飲み一呼吸置いた。

「ちょっと、お腹空かないかい。」翠さんが僕に尋ねた。

「え?」僕は疑問符を浮かべる。

「ちょっと早いが朝食を食べようじゃないか。」

そういって翠さんはいって冷蔵庫から卵、バター、そしてアスパラガスとレタス、トマトを取り出した。レタスをちぎり、水で晒し、アスパラガスは、斜めに切った。トマトは薄くスライスした。卵は3つを割り、ボウルに入れて手早くかき混ぜた。フライパンにバターを敷いてある程度温まったら卵をそこに流し込んだ。器用にオムレツを完成させた。まるでホテルの料理人のようだった。僕は、テーブルに座って待っていると、オムレツと玄米、お味噌汁、そしてサラダが運ばれてきた。そして、玄米茶が僕のところに運ばれてきた。何だか、実家に戻ったようなそんな感覚だった。

「セレンくん。遠慮なく食べてくれ。」

そう言った翠さんの言葉には、なんの悪意も感じられなかった。むしろ心地良い感じがする。僕と翠さんは夜明け前の朝食を食べた。オムレツを一口食べると、卵の風味が引き立っており、とてもおいしかった。シンプルな料理であるがそれだからこそ、素材の旨みが生かされている。その人の料理のレベルがわかる。トロトロとした卵の火加減にいい塩梅の塩味。そして美しい見た目。どれをとっても、今まで食べたことのない味だった。

「どうだい。美味しいかい。」翠さんがいう。

「美味しいです。こんなオムレツj初めて食べました。」

僕はそう言って箸を止めることはなく、朝食をペロリと平らげてしまった。翠さんも僕よりは早くはなかったが、自分の料理の味を確かめながら完食した。「食後にコーヒーなんて飲まないかい。」と言われたので、僕は「はい。」と頷いた。翠さんは食べた食器を手早く片付けながら、こー保ヒー豆を挽きお湯を温め、コーヒーを淹れてくれた。

「お待たせ。ブラックでいいかな。その豆は香りがいいし、風味がいいからブラックが一番美味しく飲めるから砂糖とミルクはお勧めしない。」

「ブラックで問題ないです。」

そう言って、僕は翠さんが淹れてくれたコーヒーをのんだ。それは、確かに言われた通り、ブラックで飲むのが最適なコーヒーだった。軽やかな味で、酸味が少ない。普段からあまり意識せずにコーヒーを飲んでいたが、このコーヒーは確かに他で飲むコーヒーとは違うのが明確にわかった。

「軽やかですね。」僕がいう。

「そうだろう。こないだ、メキシコとペルーから仕入れた豆をブレンドしたんだ。どちらも軽さと酸味の少ないコーヒーだからね。」

「ブレンドされているんですか。」僕が質問すると翠さんは答えてくれた。

「そうだよ。コーヒー豆も産地や品種で色々と異なるもんでね。キリマンジャロとかよく聞くだろ。ああいうのは酸味が強くてインドネシアの豆はコクが強いものが多い。ベトナムの豆は、苦味が強かったりする。まあ、飲みたい気分に合わせて配合する。そういう楽しみがあるんだよ。」

僕は、翠さんの話を聞いていると、この人はやっぱり植物を大切に思っているんだと改めて実感した。だからこそ、だからこそ、その翠さんがブルーガーデンなどという宗教団体を立ち上げていることに疑問を抱く。

「なんで、翠さんは、ブルーガーデンの教祖なんてやっているんですか。」僕が問う。

「教祖をしている理由かー。」翠さんは少し考えるような仕草を見せた。それからコーヒーを一口啜り、僕の方を見た。

「セレンくんは、何かに影響されたりしたことある。それは、人であれ、空想であれ。」翠さんんは言った。

「小さい頃、戦隊モノのヒーローになりたかったとかそういうやつですか。」僕がいう。

「そうそうそういうの。」翠さんがいう。

「ありますよ。」僕が短く答えた。

「そうだろう。私もね、あるんだよ。」翠さんはコーヒーを啜った。そして、昔を遡るようにして語り始めた。

「自分がある意味で少し変人だと気づいたのは、高校生の時だったかな。何故か周りと話が合わなかったり、みんなが楽しむようなテレビや漫画に魅力を感じない。友達関係の同調や噂話に何だか疲れを感じてしまった。当時は、ノリが悪いとか言われて除け者にされたよ。修学旅行の研修では、一人で たり、お昼ご飯も一人で食べていた。別につるむのが元から好きではなかったし、そういうのは別に良かった。対して気にも止めなかった。私には、才能のある双子の兄がいる。その兄は、秀でた自分の才能を突き進んで行っていた。憧れたよ。そうやって自分の道を歩んでいく兄に。そして、挫けそうになったよ。自分自身には何もないんだと。才能は神様からのギフト。なんてよくいうことがあるけど、神はそんなものを私には与えなかったー。」

翠さんは小さく深呼吸をした。まるで、息継ぎのように。これから、深い記憶の海へ飛び込むために大きく息を肺に入れるような仕草に見えた。僕は、そんなん翠さんの仕草を観察しながら、’’自分には才能がない’’なんていう彼のセリフにとても違和感を感じた。世界的に有名になってなお、その世界では才能がないなんていうのは、それだけ翠さんがストイックな人間なのだろうと僕はとても感心した。

「話を続けよう。才能がないことに絶望した私は、大学生になった。エスカレーターのようにとりあえず働く気にもなれずにいたからだ。大学に入ってからもこの世界に妙なズレを感じていた。側から見れば、真面目に講義を受けているだけの大学生。当たり障りもない。そんな、私だったが、ある日一人の女性と出会ったんだ。彼女の名前は、水野琵菜。私と同じ学年の女性だった。私がたまたま学食でご飯を食べていた時、私のカレーライスにお茶をぶちまけたことで知り合った。衝撃的な出会いだったよ。人生、こんな単純なことが人生を変えるような大きなことにつながるんだと、私は驚いたよ。」

翠さんが少し楽しそうに話しているのを聞いてなんだか、既視感のある女性との出会いに僕は苦笑いをした。そんな僕を横目で見ながら、翠さんは話を続けた。

「そんな、彼女だが実はピアニストとして有名な人物だった。彼女と出会ってから、僕うは彼女の参加するコンクールにたびたび顔尾を出した。なんだろうね。彼女の奏でるピアノの音色に私の心臓の鼓動は高鳴っていた。そうしているうちに、彼女と何度か食事をしてしたしくなって言った。幸せというのは、こういうことなのか。ということを私は感じたよ。でも、そんな幸せは長くは続かなかった。彼女の海外への渡航が決まったのだ。ヨーロッパへの留学。素晴らしいことだった。これからは簡単には会えなくなる。辛いことだが、彼女には才能がある。その才能の芽を私が摘み取ることはできない。私は、アルバイトをしてお金を貯めて会いにいくと約束をして、彼女と別れた。彼女が留学してから半年がたった、それまでの間、私はずっと手紙でのやり取りをしていた。お金も溜まり、私はそろそろそちらに会いに行けそうだと伝えた。彼女も待っていると、喜んでくれた矢先だった。」

そういった翠さんの目から光がなくなっていた。

「テロが起きたんだ。地下鉄爆破事件。当時の過激化移民組織が度重なる移民対策の反抗としてテロが行われた。私は、そのニュースを知った時、まさかと思った。こういう時の悪い予感は何故か当たりやすい。そんな、嫌な予感通り、彼女はその爆発に巻き込まれていた。ちょうど、コンサートの帰りだったそうだ。彼女の死を知ってから、私の人生は再び無味なものへと変わっていった。いや、失ったものは大きく、私は以前にもまして絶望していたのかもしれない。」

翠さんは、コーヒーを啜った。ひどく苦い経験が鮮明に浮かんだのだろうか。その表情は、少しにがそうだった。

「そんな時だよ。ブルーガーデン先代教祖に出会ったのは。君も知っての通り、この教会は、私が始めたものではない。私が生まれた時には、もうすでに、この団体はできていたからね。この団体が初めてできたのは戦後の日本。とある資産家の息子が設立した団体だよ。最初はこんな宗教じみたことではなく、政府に資金援助をしていたのさ。資本主義の権化とも言えるようなものがいつの間にか国にまで干渉する宗教団体に昇華したのは、皮肉なもんだよ。最初は、ただの興味本位さ。落ちぶれてバーで飲んでいたところにブルーガーデンの幹部とたまたま隣の席になった。そこで、彼女とのことを話したら、その思いを汲んでくれたらしく。ブルーガーデンに入信しないかと持ちかけられた。その時の私は、何かに縋りたかったんだ。彼女を失った喪失感を取り戻すように熱心になっていった。すると、どうだろう。私の言葉は妙に他人を落ち着かせたりもできるし、逆に激しくさせることができるようだった。そういう素質があると。一種のカリスマ的な資質らしい。それから、どんどんと幹部まで上り詰め、先代教祖から教祖へとなるように任命されたんだ。そして、今に至るというわけだよ。」

翠さんは、話を終えて、再びコーヒーを啜った。僕は、その話を聞いて少し心が動かされていた。そのカリスマ性に。

「でも、なんで未来を殺したんですか。」僕が尋ねる。

「別に殺したわけではないさ。あれは、たまたまの事故だ。」翠さんは答えた。

「でも、あまりにタイミングが良すぎる。」僕は反論する。

「私はね、思うのだけど。世の中、タイミングなんて偶然でしかないんだよ。そういう運命だった。もしも、運命の女神というものが存在するのだとしたら。そんな淡い期待はしないほうがいい。この世は必然と偶然。ラプラスで証明できるほど単純なカオスではないんだ。」翠さんは冷たくそういった。

 僕は、その言葉に反論することができなかった。全てが、翠さんのいうように、偶然だった。そういうことだったのかもしれない。これは、僕の全て妄想の産物だったのかもしれない。そう思ってしまう。復讐の虚しさを感じていた僕には、自分が何を信じればいいのかを見失っていたのだ。

「きっと、セレンくんは今、何を信じればいいのかわからなくなっているんじゃないかな。」

翠さんの言葉に僕は頷いた。それを見て、翠さんは僕にそっと呟いた。

「もう一つ、セレンくんに言わないと行けないことがある。君が今見ている人物は、翠ではないんだよ。私の名前は不死川蒼。翠は私の兄だ。」

「えっ。」

僕は驚いて何もいうことができなかった。

「話したろ。羨むような兄がいるって。私には兄のような芸術的な才能は持ち合わせなかったんだ。」

翠さんじゃない。目の前にいる男は、翠さんの弟だというのか。僕は、信じられなかった。それほどに、翠さんの弟は、翠さんとそっくりだった。

「一卵性だからね。見間違えるのも無理はない。」

翠さんの弟は、僕の方を見て言った。

「黒奈さんだっけ。彼女のことは心配しなくてもいいよ。君をここまで連れてくるまでにフェイクで彼女が囚われていると嘘をついた。」翠さんがいう。

「よかった。」黒奈を失わずに済んだと安堵する。

「ところでね。君に会いたい人は、実はもう一人いるんだ。」翠さんの弟がそう言ったとき、暗闇から一人の女性が現れた。

「誰?」

僕が思わず呟く。全く知らない人だった。出会ったこともない。そんな人が僕に用がある。彼女は僕を冷たく見つめている。

「あのすみません。どこかでお会いしましたか。」僕がいう。

「ええ。会ったことはないです。私は初対面のはずです。」彼女はそう答えた。

「話ってなんでしょうか。」僕がいう。

「返してください。」

彼女はそう叫んだ。次の瞬間、僕の頬がズキズキと痛んだ。彼女はナイフを持って僕の頬を切りつけたのだ。反射的にかわしたおかげでかすり傷だった。

「ー。なんで。」僕が彼女に問う。

「私の名前は血原九美。血原雹の姉よ。」彼女は声をあられげて叫んだ。

誰だ。僕は、全く身に覚えがなかった。そんな女性、僕は関わりがない。はずだ。だがm相手は興奮している。「全くわからない。」なんて言ってしまえばそのまま激情した彼女に殺されかねない。言葉は、慎重に選ばなければいけない。

「血原さん。落ち着いて。ゆっくり話そう。」僕は、身体が震えているのを感じた。死んでしまう。そんな恐怖が僕の首を掠めている。

「ゆっくりはしていられない。あなたに復讐するために。私はここまで来たのだから。」彼女は獲物を見るような目で僕にそう言った。

「九美ちゃん。理由くらい説明してあげたほうがいい。彼もこのまま殺されるのでは、死に切れないだろう。罰を受ける人間には、罪の意識を持って死んでもらわないといけない。」翠さんの弟がいう。

「蒼様がそうおっしゃるなら。仕方ないです。」血原九美がいう。

僕は、少しだけ距離を取る。バレないように。彼女が僕への復讐の理由を語り始めた。

「私の家族は、一家揃ってブルーガーデンの信者よ。父も母も妹も私も。そんな時、ある記事がリークされた。ブルーガーデンのこれまでのやってきた偽の悪事を週刊誌が報道したの。そのせいで、父の会社は倒産。困った父は、挙げ句の果てに自殺。そして、母も後を追うように死んでしまったわ。そのせいで、妹は鬱病を発症したわ。家族を一度に亡くした悲しみのせいで、妹はメンタルがおかしくなっちゃったのよ。その記事をリークしたのが実はあなただって聞いて驚いたは。サウナフェスに参加した妹が優しい人に助けてもらったと言っていたあなたが、妹の未来を奪ってしまうなんてー。」嘆くように彼女がそう言った。

彼女が僕から目線を外した。僕は、その一瞬を見て近くの窓ガラスを破り逃走した。バリバリと砕けるガラスが闇夜を切り裂く。

「グアアあっ。イタイイ。イタイイ。」僕が叫ぶ。

窓を飛び出すと、激しい痛みが僕の足に走った。暗闇の中で目を凝らしてみると、獣を狩るようの捕獲用の罠が仕掛けられていた。深い痛みが僕の体を襲う。でも、このまま呑気にしていると彼女に刺されてしまう。僕は、力尽くで罠から抜け出した。足を引き摺りながら、時に這いつくばりながら、僕はススキの揺れる丘を逃げた。息が荒い。眩暈がする。汗がぐっしょりと額を濡らす。肺が針で刺されるような感覚に襲われる。日頃の運動不足がここにきて仇になるなんて。どこまで逃げれるかわからないが、とりあえず、人里を目指さなくては。そう思い、僕は必死に前へ前へと進んだ。

 東の空が少しあからんできた。暁が世界を照らすように。どこか、懐かし地元の風景のような。子供の頃、友達と追いかけっこをしたあの丘のように。風が頬を撫でる。冷たい。汗が服を濡らしている。

「子供の時もあせびっしょりになりながら遊んだっけ。」

徐に、僕はそう言った。息を荒らげながら、一歩一歩進んでいく。もうすぐ、お家に帰れる。そんな気持ちになった。朝日が、僕の目に映る。暖かい。朝日なんていつぶりだろうか。酔いどれて帰る東京の朝と違って、ここの空気は美味しかった。

 グシャリ。

腕に痛みが走った。唸りながら、後ろを見ると、血原九美が僕の腕をナイフで刺していた。もう追いつかれてしまった。僕は、ナイフを持った彼女を全力で押さえつけた。腕に刺さったナイフをどこかに放り投げた。遠くでナイフが転がる乾いた音がする。痛みで僕はよくわからなくなっていた。でもなんだか無性に誰かを抱きたい気持ちになっていた。そして、目の前には女がいる。嫌がる彼女の服を脱がせる。彼女の乾いた膣にペニスを挿入する。相手の表情を見てとかそんなロマンティックなものではなく、ただ、自分が気持ちよくなるためだけに、射精するためだけに腰を動かした。ことはそんなに長くなく、全てを出し終えた後。彼女は泣いていた。泣き崩れる彼女を見て僕は夜と朝の狭間を再び駆け出した。先ほどよりも軽やかに。
サーっ

ススキが風に揺られて何か音楽を奏でるようだった。

「このまま家に帰ろう。そして・・・。」

バンー。

どこかから銃声がなった。それと同時に、僕の足は血で染まった。振り返ると、翠さんの弟が、猟銃を持っていた。ゆっくりと僕の方へ歩いてくる。僕は、手を使って地面を張って逃げる。それでも、圧倒的に人が歩く方が早かった。気づいた時には、翠さんの弟が僕のすぐ後ろまで追いついていた。

「ありがとう。セレンくん。とても面白いものが見れた。素晴らしい悲劇だ。」翠さんの弟がいう。

「こんなことして・・・。あなたも。タダで済見ませんよ。」僕が息を切らしながいう。

「心配ありがとう。だけど心配無用さ。そこはどうにでもなる。政治にも深く関わる我らが、警察にも干渉できないわけないだろう。」翠さんの弟は笑った。

「それにしても、最後の最後で、罪を重ねるとは。救いようがないな。」翠さんの弟が呆れていった。

それを聞いた次の瞬間。頭を鈍痛が走った。意識が飛びそうだった。朦朧とする意識の中で何が起きたかを理解しようとする。翠さんの弟の横に服のはだけた血原九美が涙目で石を持っていた。

「最後に言い残すことはある?」血原九美が僕に問う。

「もう一回ヤラせて欲しい。」僕がそういうと、彼女は「下衆が。」と言って翠さんの弟から猟銃を受け取り、僕の心臓に銃弾を打ち込んだ。

バンー。

甲高く響く銃声が白々と燃える山に響く。火薬の匂いが乾いた空気に触れて弾けて広がった。どこかでカラスが泣いている。空を仰いだ僕は「ああ。死んだんだ。僕は。」意識が途絶えていく。最後に見えた空の青白さを最後に抱いた女の胸の色に重ねていた。

「What’s done is done .」

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