自己紹介

はじめまして。ももといいます。

【自己紹介】161cm/復縁→既婚34歳/女/精神障害2級/社交不安障害/自傷(ボディカット)/統合失調症/うつ病/双極性気分障害/気分変調症/引きこもり経験者(6ヶ月)/睡眠時無呼吸症候群(重度)→CPAP治療中/不眠症/睡眠障害/熟眠障害/PMS/PMDD/月経困難症/排卵障害/橋本病/甲状腺機能低下症/自律神経失調症/聴覚過敏/HSP/花粉症(重度)/金属アレルギー/実父(享年60歳)の介護を、実母と共に約4年間してた経験あり/様々な理由により妊娠出産を諦めました/英検2級(高1)/TOEIC755点(2020.11)/ブラジルポルトガル語(初心者)

夫と付き合った時には実父は他界していて、それが人生で最も残念に思うこと。

【ざっとこれまでの人生】
16歳:女子校に通ってました。授業料を免除される特待生でしたがその代わり成績のノルマがあったこと、クラスの皆さんと合わなかったことがあり、だんだん精神的に追い込まれていき、ボディカットを始めました。初めて精神科を受診するも、医者と合わなくて医者不信になり、その後4年間、医者に行きません(行けません)でした。

20歳:最も病状が重い時で、毎秒死にたかったです。「わたしなんかがご飯を食べるなんて、おこがましい」という思想や、食べる元気が無いことからやつれてしまい、体重は40kgを切りました。半年間、引きこもりをして大学を留年し、学生課のかたのすすめで4年振りに病院を受診、統合失調症と診断されました。投薬治療が始まりました。その後9年間で、病気と薬の副作用の合わせ技で体重はプラス34kgされ、74kgになりました。

29歳:メインの薬の量が最小量になったのでダイエットを決意。自分でYouTubeなどを見て筋トレし、8ヶ月かけて、生理も止まらず健康的にマイナス18kgに成功しました(この時点で56kg)。初めて就職もできました。そんなとき、実父が他界しました。(実父はわたしが26歳の時に交通事故に遭い頚椎と脊髄を損傷し、首から下が動かせず寝返りも打てない全くの寝たきりになったため、わたしは実母と共に約4年間、介護をしていました。)わたしは実父の他界がショックで「しばらくは元気に過ごすことを第一にする。筋トレをお休みする」と決めてしまいました。その後、何度も筋トレを再開しようとしては、頓挫しました。

30歳:仕事で疲れてしまい、鬱病になりました。

32歳:結婚を機に退職。

33歳:人生最重86kg。

34歳(現在):note始めました☺️

【その他】
英語とブラジルポルトガル語を勉強中の専業主婦です。現在はドクターストップがかかっており就活もできません。涙
料理や掃除などの家事が大好きですが、初心者なのでよかったら色々教えてください!あとは音楽を聴いたり、絵を描くことが好きです!

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【もっと詳しく半生について】
16歳〜自傷行為。わたしはボディカット(主にアームカット。リスト(手首)ではない)だと申告したのに、その時にかかった精神科の医者は「手首切っちゃうの?まあ、流行りだからね(笑)」と言い放ったのでわたしは医者不信になり、その後4年間、医者に行きませんでした。精神的なしんどさが理由で大学2年生の時に学校に通えなくなり、6ヶ月間、引きこもりをやりました。引きこもって留年し「なんとかしなければならない」という思いで学生課に相談し、精神科(もちろん前述のものとは別の精神科)をすすめられるままに勇気を出して受診。20歳で、統合失調症と診断が下りました。診断が下りると共に投薬が始まりました。投薬開始時、病気で食べられずわたしの体重は40kgを切っていましたが、薬の副作用で、まず5kg増え、その後も体重がどんどん増えて…。29歳で統合失調症が寛解になった時、74kgになっていました。

一方で、わたしは半年引きこもって留年した大学を23歳で卒業していました。在学中はとてもつらかったです。病気で、トイレでご飯を食べたり、泣きながら授業に出たりしていました。この辺はまた今度詳しく書きたいです。

卒業するだけで精一杯だったので、就活はほぼしていませんでした。卒業後は当然、無職となりました。この頃に、キャリアセンターの相談員さんのすすめもあり、障害者手帳を取得、精神2級です。「(病気を)クローズではなく、オープンで働きたい」「まずはアルバイトからでいい」そんな感じで仕事を探しましたが、なかなか見つかりませんでした。約1年経って、ようやく百貨店の地下のお菓子売り場のバイトに受かりました。しかし、店長さん (女性)とエレベーターで二人きりになった途端(わたしは何もしていないのに)、彼女に 「障害を理由に逃げないでくださいね」と言われ 「障害者であるだけで、こんなこと言われるんだ」とショックを受けました。この件とは関係なく、わたしはお店を回すことに向いておらず、また店長さんの方針が「とりあえずやらせてみて、間違ったら怒る」 というもので、ハッキリ 言ってわたしは 「向いてない」というやつでした。なので、1年かけてやっと受かったそのバイ トを、たったの6日で辞めました。しかしその時、店長さんが、就労移行支援施設の存在を教えてくれました。わたしは「ああこの情報を手に入れるためにわたしはここに受かったんだ」と思いました。 

それですぐにネットで探した施設に問い合わせ、通所を決めました。体調の悪いなか、できる限りがんばって通っていた…気がします。
就労移行支援施設は3年が満期なのですが、わたしが3年目の通所の契約をした頃、父が、一時不停止のダンプにはねられて、頸椎1番2番を損傷、脊髄損傷により四肢麻痺となり、首から下が動かせない、寝返りも打てない、寝た切りになりました。わたしは当時26歳でした。
当然、まともに施設に通うなんてできません。介 護、介護の日々が始まりました。わたし達家族にとっても、そして恐らく父にとっても、生き地獄でした。わたしは自傷行為が再発しました。そんな時、Twitterの当時の相互さんから「自分の人生を生きろ」と言われました。その人のその言葉は、今までになくわたしに響き…というか、殴られたような衝撃でした。わたしにこの言葉を言った時点で、その人の人生におけるわたしへの役目は全て終わったも同然、と、当時は思いました。そしてわたしは、父の介護を母に任せてでも、就職することに決めました。夏のことでした。

ついでに書くと、その相互さんの言葉をきっかけに、この頃に筋トレダイエットを始めました。その時は、太る副作用を発揮するメインの薬の量が、最少量になっていたので、今なら痩せられるかもと思ったのでした。

その年の10月に、わたしが満期でとっくに退所していた、就労移行支援施設の施設長さん (当時既にもっと偉くなられていましたが、ここではこう書きます)と、別の機関の支援員さんとの三者面談を行っていただきました。その場で施設長さんが問い合わせてくださった特例子会社に、見学に行き、応募し、実習を経て、2度の面接を受け、12月には就職が決まりました。契約社員とはいえわたしは29歳にして初めて企業に就職が決まったのでした。

翌年の1月から勤め始めました。その翌々月、つまり3月に、父が急逝しました。件の事故による怪我に起因する肺炎、呼吸不全。60歳でした。父が事故に遭って以来、約3年9ヶ月続いた生き地獄の幕引きでした。父の死を受けて、前述した通り夏から始めて8ヶ月間継続し、体重74kgからマイナス18kgに成功していた筋トレダイエットをわたしは「(父の死を)元気に乗り越えるため」中断しました(このとき体重56kg)。

でも人生は悪いことばかり起こりません。父の急逝ののち、会社の上司のかた(男性)から告白していただき、付き合うことになりました。その時の彼氏が今の夫です。3年付き合って結婚しました。夫の存在に今でも本当に助けられていますし、とても有り難く思っています。

さて、勤め始めてから、わたしには
・睡眠時無呼吸症候群(重度)
・橋本病(甲状腺機能低下症)
・PMS、PMDD、月経困難症
・自律神経失調症
といった病気があることが判明していきます。統合失調症の再燃もこの頃…だったかな?極め付けは「うつ病」を発症し休職の末、結婚を機に退職しまして、現在は専業主婦…というわけです。

退職し結婚してからも排卵障害など新しく病気が増えてしまったりして結局現在は、この記事の冒頭にある【自己紹介】に列挙した病気などと共に生きています。

また、体重は前述の病気や薬の副作用の影響でガンガン増えてしまい、痩せていた時の56kgからプラス30kgされ、人生最重86kgまでいきました。今は運動と、病院で栄養指導を受け食事の見直し(といっても、わたしは食事で太ったわけではないので、食事記録をとって栄養士さんに見せても「野菜を足す」くらいしか直すところが無いというのが現状だったりします)をがんばっています。また、昨秋の終わり頃から徐々に復調してきており、外出できる日が増えたり歩ける距離がのびたりして、現在は76kgくらいをウロウロしています。
やはり痩せたことにより身軽になり、精神的にも良いし体調的にも良いし、穿けなかったデニムが穿けるなど嬉しいことが多いです。これからも無理なくがんばります。

半生については、そんなこんなです。

ところどころ記憶がぼんやりしてしまっていて、年度とか年齢の部分が間違っていたりするかもしれませんが、整理でき次第、こっそり修正しておきますね。汗

思い出したらまた書き足すかもしれません。
とりあえず、長々と本当にありがとうございました。

最終更新:20240223

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