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僕が生を受けたこの世界は生きることを肯定してくれるのか

生きることより死ぬことに意味がある気がする

この意見を見て可哀そうな人間だなと思った人はいると思います。
その意見を僕は甘んじて受け入れます。

さて、なぜ僕がそう思ったのかを書きたいなと思います。
「生きる」これ自体には何の意味もないことで生きるとは死ぬことで初めて意味を成すものであるなと感じました。生きることは終活である。そこで、今生きている時間に自分なりに意味を見出すならば、最後の命の糸が切れる瞬間にこの世界に生まれたことを肯定できる理由を見つける猶予時間であるなと思います。

死ぬことによって人間は確立する。沢山の天才たちも死後評価されることが多い。一般人でも普段は感謝されなかった人でさえ死後、感謝されたり有難みを告げられたりする。生きている時には浴びることのなかった物を死ぬことで浴びることが出来る。実際に死んだ後には感じることが出来ないが、自分ではない他の人を通して意味を成すことが出来るのだ。

僕が生を受けたこの世界

生きる行為は褒められることではない。生きているだけで有難みを浴びることは無い。そして、この世界は人間同士で醜い争いをしている。「生きる」ことは本当に意味がないことばかりだ。しかし、死ぬことですべてを手に入れることが出来ると勝手ながら思う。

簡単に生きて死ぬときに意味を見つけようよ

肩の力を抜いて終着点まで進む。その過程で最後の瞬間に最高の感覚を掴むための具材を取り入れていくのが良いかなと思います。僕が生まれたこの世界は生きることを肯定はしてくれる気はしないけれど、ぼくが死ぬ瞬間に肯定する事が出来ることを将来の自分に託したいと思います。。
「簡単に生きて死ぬときに意味を見つけようよ」

読んでくださりありがとうございますー
でわでわー

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