アル中闘病記

こんにちは。大阪在住30代の女です。 アルコール依存性になった経験、闘病を綴れたらと思…

アル中闘病記

こんにちは。大阪在住30代の女です。 アルコール依存性になった経験、闘病を綴れたらと思っています。

最近の記事

アルコール依存症の女 抱いて

コンビニでリキッドファンデーションを買い、出勤前に首元のキスマークを隠すように塗りたくった。今さら無駄だろうけど。   あの晩セックスした男は、毎日「やらせろ」とメッセージを送ってくるのでブロックした。 名前も年齢も知らない男。 新しい職場に馴染めず業務にもついていけず叱られる毎日で鬱積していた。 そんなとき、前職で同じ部署にいたOさんからごはんのお誘いがあった。 Oさんはスーツとメガネがよく似合う細身の男性で、前職では私の中で2番目にかっこいいと位置付けている人だった。

    • アルコール依存症の女 あんた誰?

      ドーム内でお酒を売り歩いているお姉さんを呼び止め、チューハイを買った。 9ヶ月ぶりの酒だった。 やはり球場で飲む酒は格別だった。グラウンドの土の茶色や芝生の緑もいつもよりくっきり映った気がした。 一杯を飲み干した。まだ酔っていない。 2杯目で最後にしよう。 明日は午前9時半から仕事だった。 しかし、試合終了時点で完全に脳がアルコールに支配されている私は従姉妹に「軽く飲みに行こう!」と誘っていた。 この球場の近辺は沖縄料理屋が多く、巨人の大城捕手の大ファンの従姉妹と活気の

      • アルコール依存症の女 仕事と男

        タイ旅行から帰国して3日後、新しい仕事がスタートした。 高いビル、たくさんのビジネスマン、広いオフィス。今まで見たことのない、ドラマのような世界が始まるようだった。 初日は皆さんの前で挨拶をし、パソコンの設定やら書類に記入したりなどで終わった。 研修期間は2ヶ月間設けられていた。 初めの1ヶ月は女性が、2ヶ月目は男性が研修の担当をしてくれるとのことだった。   研修初日、意気込んで9時半出社のところ、8時出社を心がけマニュアルなどを読んで勉強していたが「勝手に早めに出社す

        • アルコール依存症の女 タイ旅行

          退職して、新しい職場に移るまで10日間ほどしか余暇はなかった。もっとゆっくりしてもよかったのだが、一人暮らしの身としては1ヶ月でも給与が滞るとなかなか大変な上に、空白の時間ができるとつい酒に走ってしまいそうだった。 しかしせっかくの長期休暇。どこにも行かず、何もせずでは罰が当たると思い、コロナ収束後初の海外旅行、大好きなタイへ母親と行くことにした。 このブログの初めの方で触れたが、母は私が中学生の頃より精神疾患を患い長い間家に引きこもっていた。そのため、海外はおろか日本国内

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          アルコール依存症の女 さようなら

          退職日当日は5月の暖かい日だった(雨が降っていたような気も)。 最後に送る会を小さく開くので、皆さんの前で挨拶してねとのことだった。人前で発言することが小さいときから苦手だった私は朝から緊張しっぱなしだった。何言おう。しょうもないこと言うのは嫌やけどかっこつけすぎたくない。泣くのも恥ずかしい。 夕方4時。いよいよそのときがきた。ありきたりに「今までお世話になりました」とオープニングトーク。そして同業他社で働くことになったことを話し、みなさんの背中を見て自分もこの業界にもっと

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          アルコール依存症の女 番外編:近況③

          再断酒を開始し2週間が経ちました。 何度も断酒とスリップを繰り返しているので分かるのですが、2週間を過ぎたあたりから飲酒欲求は急激に減ります。 「一生酒なんか飲まなくても大丈夫!」と勘違いし出すのもこの頃。 ただ、今のところ会食の予定も入っていないし休日は家にこもって読書に没頭しているので暫くは安心できそうです。 それよりも「うつ状態」が酷くなっています。 きっかけは親友との些細なトラブルでした。  全て書くと長くなるので決定的に亀裂ができた出来事のみ記すことにします。

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          アルコール依存症の女 人生を変えた会社

          憧れの新聞社に入社することが決まったが、調子に乗って酒を飲むような事態にならないよう気を引き締めて過ごした。 シャンパン、ではなく以前から欲しかったワイヤレスイヤホンを買った。小さなご褒美だ。 私の後任を決めたり、引き継ぎをしたりしないといけないので所属長には退職する意向を早めに伝えた。 大好きな職場をあと数ヶ月で去らなければいけない。 思えば約2年前の冬、スマホの道案内を頼りにこの会社に面接に来た。採用されると思っていなかったから二度とこの道を通ることはないだろうと駅まで

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          アルコール依存症の女 光

          面接も終了し、帰路に着いた。 この試験を受けることは誰にも話していなかった。家族にも友人にも。もちろん、あの記者にも。 採用されたら伝えようと思っていた。 けれど、面接は上手く答えれなかったし受かる自信はなかった。 合否は2週間後に発表される。 それまでの時間があまりにも長い。 試験の翌日、思うようにいかなかった昨日を思い出し1人号泣した。 そして、翌週からいつも通り何もなかったように仕事をこなした。どうせ落ちるから、ここで契約終了まで頑張ろう。 合否発表当日は仕事だっ

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          アルコール依存症の女 素直に

          見知らぬ番号からの着信。 しかし、期待を持って応答した。 「こちら○○新聞社ですが」 書類選考通過の知らせと、筆記・面接試験の日程案内だった。 ひとまず一次選考を通過できたことに安堵した。 が、面接まで2週間ほどしか時間がない。 仕事をしながら筆記試験の勉強と面接の準備はできるのか—。やるしかない。 本屋で時事問題集を買い、通勤中に読み覚えた。休日は朝から晩まで問題集を解いた。 面接の練習はカラオケボックスにこもり、ひたすら話し続けた。 当日の朝。早めに起床し、しっかり

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          アルコール依存症の女 充実と苦難

          年明けからも順調に断酒は続いた。 平日は夕方まで仕事、帰宅後はジムに行き身体を動かし晩ごはんをしっかり食べ早めに就寝した。 そんなルーティーンができあがり、酒が入る余地もなくなった。 赤ちょうちんのお店の前を通るとやはり後ろ髪引かれたが、一杯の酒を天秤にかけると飲む気になれなかった。 当時の仕事は楽しかったし充実していた。 ただ、経済的には少し苦しかったし、もう少ししっかりと新聞制作に携わる仕事がしたいと思うようになっていた。 それに当時の仕事は有期雇用で1年後には契約が切

          アルコール依存症の女 充実と苦難

          アルコール依存症の女 酒なしの正月

          あの電話があった次の日から出勤し、会社には「胃腸炎で…」と疑わしい説明をした。だが、周りはそれほど私に気を向けていないらしく通常通り仕事に就いた。 もう飲めないんだ。飲めない体になってしまったんだ。二度と上手に飲むことはできないんだ。 今更だが気付き、その日から酒を飲むのを本格的にやめた。 今までの断酒より遥かに苦しく、今まで酒で埋めていた欲求部分を別のもので埋めないといけなかった。 私の場合、煙草は吸わなかったのでとにかく 手当たり次第食べまくり、酒のことを考えないで済

          アルコール依存症の女 酒なしの正月

          アルコール依存症の女 大丈夫

          取材を受けた後も私の生活に何ら変化はなかった。いつも通り友人や職場の仲間と酒を呑み交わし、それでも飲み足りない私は1人立ち飲み屋へ向かうだの自宅で飲み直すなどしたりした。 しかし毎日そうした生活をするわけではなく、週末に溜まった飲酒欲を爆発させた。一応、禁酒してますよという程で。 ただ、取材を担当してくれた記者とはメールでやり取りを続けていた。 記者という忙しい立場にありながら、必ず長文で返信を書いてくれた。 アルコールだけでなく他愛もない話で盛り上がることもあったし、この

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          アルコール依存症の女 取材

          ※前回の「何回目」に書き忘れたことがあるので、今回はそちらを書こうと思います。 話が前後してしまいますが、ご了承下さい。 2月の半ば、アルコール依存症になった新聞記者の連載を見つけ記者へメールを送った。 「父親はアル中で死んで、私も依存性で苦しんでいる」と。 すると「取材をさせていただく可能性もあるので、その際はご協力願います」とご丁寧に返信が届いた。 数ヶ月経ったある日、仕事帰りにスマホが鳴り覗くと見覚えのない差出人からのメールだった。誰なのか、何の用件なのか把握するま

          アルコール依存症の女 取材

          アルコール依存症の女 何回目

          専門病院に再び通い始めた私はバーの仕事も辞め、もう一度断酒に挑んだ。 しかし今回の断酒はあっという間に断念した。 3月は桜だ、4月5月は知人との会食、7月はビアガーデンと絶好調に飲みまくった。 22年7月10日は参院選投票日で、その日は昼間から知人と飲んでいた。知人が用事で去ったあとも私は1人、居酒屋で飲み続けた。 泥酔ながらも投票権を握りしめ、自転車を漕ぎ投票所へ。しかし到着したのが19:59だったため締め出され、結局私の投票権はゴミになった。 その帰り、反対側から来た自

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          アルコール依存症の女 新聞記事

          偶然見つけたアルコール依存症に関する新聞記事。連載は16回続くとのことだが、続きが気になりいつもより早く出社しチェックした。 その新聞記者は50代の男性で、30代から酒が手放せなくなり最終的には入院するまでになる。落ちぶれ、生命の危機にも直面するが見事に復活し現在は完全に断酒し、酒だけではない依存症の取材に力を入れているという。 「この人に話を聞いてもらいたいな」 メールを送ったのはそんな軽い気持ちからだった。 その後も飲んでは失敗し、反省の禁酒、開き直って再び飲酒と

          アルコール依存症の女 新聞記事

          アルコール依存症の女 再び酒浸り

          バーは誰でも客として入れるお店ではなかった。一見さんお断り、というわけではないが基本はオーナーの知り合い、同級生、客からの紹介で訪れる人がほとんどだった。 私はそんなバーで時給1000円で雇われることになった。福利厚生として店の中の酒は何でも好きなだけ飲んでもよしとされた。 この頃、昼間の仕事がメインの私は平日は禁酒を課していた。昼間の仕事にもう穴は開けたくなかったからだ。 客から勧められても「明日朝早いんで、すいません」と丁重に断った。 しかし、こういった際に必ず掛けら

          アルコール依存症の女 再び酒浸り