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大国の干渉は何をもたらすか?④ チリーアジェンデ政権の崩壊

インドネシアで起こしたことをモデルとして、アメリカは他国でも同様の政策を実行していきます。
例えば、南米のチリです。


ジャカルタ・メソッドが適用された最も有名な国は1970年代のチリです。

1932年以来チリは安定した民主主義国でした。
1964年、ラテンアメリカで最も安定し、繁栄していた国のひとつであるチリで、大統領選挙があり、キリスト教民主党が圧勝しました。
キリスト教民主党は、アメリカのお気に入りの政党でCIAから莫大な援助を受けていました。

CIAはこの選挙に300万ドルつぎ込み、アカを攻撃する恐怖キャンペーンを展開し、その結果、エドゥアルド・フレイが当選しました。

フレイは独裁者ではなく、次点になった左派のサルバドール・アジェンデの支持者たちも平和的に社会主義に移行していくと考えていました。
チリの法制度を信じていたのです。

1970年、アジェンデは再び大統領選に出馬しました。
CIAは再度金をばらまいて恐怖キャンペーンを展開しますが、僅差でアジェンデの「人民連合」が勝利しました。

当時は「緊張緩和」デタントの時代でした。
アジェンデはこの期間を利用して、チリに平和的に社会主義を実現しようと考え、その過程を「チリの道」と名付けました。

しかし、CIAはあらゆる手段を使って妨害しようとします。
プロパガンダ、経済的圧力、外交戦略、政治家の買収、そして軍事クーデターです。
CIAは軍の右翼勢力と共謀して過激派勢力に資金を提供し、アジェンデが大統領に選ばれるのを妨害しようとしました。

彼らは軍事クーデターに反対するチリ総軍総司令官レネ・シュナイダーを誘拐して殺してしまいます。
その罪を左翼に着せるつもりが失敗してしまい、アジェンデは大統領に就任します。

アジェンデは第三世界運動の信奉者でした。
多くの国民が彼の民主社会主義に期待を寄せました。
しかし、アメリカのニクソン政権は、隣国ブラジルの独裁政権と協力して、何としてもアジェンデ政権をつぶそうとするのです……


執筆者、ゆこりん

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