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【今日のnote】人生の第三フェーズがスタート。これまでの半生を振り返る。


 どうも、狭井悠です。

 毎日更新のコラム、135日目。


 先ほど無事に、賃貸契約完了いたしました。

 目黒区五本木に、第二の居を構えることになります。

 いよいよ、人生の第三フェーズがスタートです。


 現在、三十四歳。孔子様のおっしゃる「三十にして立つ」を、ついに形にする重要な時期に入ったように思い、非常に感慨深いです。

 良い機会なので、ここまでの人生のフェーズを、ちょっと簡単に振り返ってみようと思います。いかにして、フリーランスの渡世人、狭井悠が生まれたのかを、ざっくりとまとめてみます。


第一フェーズ:なんでもうまくいくと思っていた学生の頃。でも結局、何一つ形にはならなかった時代。


 自分の人生の中で、いちばんノー天気だったのが、高校時代だと思います。両親の離婚やいじめなど、ひどい目にあった中学時代に比べて、何もかもが楽しく、輝いていました。

 生涯の趣味となる(当時は生業になると思っていた)ギターと出会って音楽を思い切り楽しみ、大好きな彼女が応援してくれ、仲間たちも最高な奴らばかりでした。

 しかしながら、大学に入って暗黒時代を迎えました。

 苦労していない人間は、どこかで必ず、高くなった鼻をへし折られることになります。単位は全く取れず、音楽活動に挫折し、大切な人も離れ、雀荘と裏ビデオ屋でアルバイトしながら、結局、7回生まで留年を重ねました。

 就職活動は氷河期で、何社受けても、どこも採用してくれませんでした。そんな中、親友が頼み込んでくれたおかげで、なんとか東京にあるSEO(検索エンジン最適化)を専門に扱う会社に入社することになります。

 当時二十五歳。

 社会人になった僕は、すべてがゼロ、いや、マイナスの状態でした。


第二フェーズ:社会の荒波に揉まれ、血だるまでスキルを磨きつつ、自分の適正を見極め続けた時代。


 自分なんて何者でもないんだ、という徹底して低い自己評価の状態から始まった社会人生活は、本当に苦労の連続でした。

 もう二十五歳にもなるのに、社会人の基礎となるマナーも知らず、業務スキルもまったくゼロ。

 今だからこそ、損益計算書や事業計画書などを自前でサクッと作れてしまうような状態ですが、当時はパワポもワードもエクセルも、一切触ったことがありませんでした。

 そんな中、叩き上げでスキルをつけるためには、相当の心身の出血量が伴いました。何度か心折れ、転職を幾度か重ねながら、社会人として生き抜く処世術を学んでいく日々。

 自分はいったい、何がやりたいんだろう?

 どうやって、これからの人生を生き抜く?

 そんなことを考えるうち、気づけば、ほぼ毎日のように文章を書くようになっていました。

 1日50PVもつくかどうかわからないような、小さな個人ブログを更新しながら、少しずつ、小説などの物語を書く事や、エッセイを書き綴ることの面白さを知るようになっていきます。

 僕はもしかしたら、文章を書く事が得意かもしれない。

 そう思い、転職の際に、社内ライターをする業界に飛び込むことになります。そこでは、ある程度の成果を出す事ができました。

 管理職に昇進し、サイト運営の補佐を任され、社会人になって、初めての成功体験を味わいます。

 しかし、環境に不満を抱えていた僕は、三十歳を前に思い切って退職し、六本木で出会ったとある特殊な経歴の方のカバン持ちをやることになりました。

 当時のことは別途、時期がくれば長い文章にまとめたいと思いますが、1年間、特殊かつ過剰な環境に身をおき、芸能界、各業界のトップの方など、普通の生活では出会えないような方々にたくさん会います。

 まだ詳しくは書かないでおきたいのですが、この1年間というのは、僕の中の人生で、もっとも濃く、そして異常な日々でした。

 生きるとは何か、人とのつながりとは何か徹底的に考え抜く毎日。

 そこで僕は、小説を書くこと、文章を書くことの基本姿勢を教えてくださる、生涯慕うことを誓うような、大切な恩師とも出会います。

 そして、様々な経緯から、特殊な経歴の方とはお別れし、カバン持ちを卒業して、三十歳で新規事業に意欲的なベンチャー企業に入社しました。

 現在の僕が持つ業務遂行能力の応用力は、この頃に築かれたと言ってよいと思います。ものすごく楽しく、そして苦しい日々でした。

 僕の会社員当時の最終キャリアは、三十二歳の頃の事業責任者でした。激務の末、僕は身体を壊し、同時期に母親の再婚相手である義父が交通事故死。

 人生は一度しかない。

 二度とやり直しはきかない。

 それならば、僕は文章を書いて生きていきたい。

 そう決意し、退職して、東京を離れて地元に拠点を移し、療養しながら、フリーランスライターとして1からキャリアを積むことを決意します。

 なお、当時の出来事は、以下のコラムにまとめています。

 昔からのフォロワーの方は、おそらく何度も目にしていると思いますので恐縮ですが、念のため共有させてください。

 2018年10月時点で、Storys.jpにて2,212件の「読んでよかった」をつけてもらい、Yahoo!ニュースにも取り上げていただいた、僕にとって節目の文章です。

 文章を書いて、生きていく。

 僕はそう、自分の人生の本分を定めたのです。


第三フェーズ:チャンスの神様の前髪を鷲掴みにする。自ら動き、圧倒的な成果に挑戦をする時代。


 そして、独立から2年を経て、現在。

 代理店の方々のご厚意と、着実なアウトプットの評判から、フリーランスライターとして経済的な上昇気流をつかむことができ、ついに、東京へ再度、居を構えるところまで、人生を引っ張り上げることができました。

 これはもう、ひとえに、僕にチャンスを絶えず与えてくださった代理店の皆様のおかげであり、病める時も変わらず支えてくれた家族のおかげであり、モチベーションを高めてくれた仲間たちのおかげであり、温かく見守ってくださった恩師をはじめとする諸先輩方のおかげです。

 感謝の気持ちを、これからの全力の仕事で返していくつもりです。


 なお、昨今では、狭井悠の記名での自主的な毎日更新のnote執筆活動が少しずつ芽を出してきており、目先の金銭よりも重要な「信用の貯金」ができ始めてきているという手応えがあります。

 先日は、世界的にご活躍されている画家であり、Yohji Yamamotoとのコラボレーションで話題となっている、内田すずめさんのオフィシャルサイトのメディアページにて、僕の書いたコラムをご紹介いただきました。

 

 そして昨日、地元三重県で開催されたキングコング西野亮廣さんの講演会に参加し、懇親会にて「感想コラムを書かせてください!」と直談判したところ、快諾いただくことができました。

 しかも、西野さんの公式アメブロ記事にて、僕のツイートを添付してくださり、コラム完成にエールをいただくコメントまでいただいております。


 ただいま、西野さんの三重県講演会の感想コラムは、全力で、鋭意制作中です。近日中に、アップできるように執筆を進めておりますので、どうぞご期待ください。


 極端な環境に身を置き、圧倒的な成果のために、自らがもっとも得意とする仕事に邁進することを、今の僕は使命付けられているのだと、本気で感じています。

 これまでの人生で積み重ねてきた、痛み、苦しみ、悲しみ、悔しさ。

 それらをエネルギーに変え、煩悩を振り捨て、ジェット噴射のように、力の限り飛翔する時期がやってきているのだと思っています。

 世のため、人のためになる、魂を込めた文章を、書き綴って生きていく。

 これほどまでに強い使命感を、僕はこれまでの人生の中で、感じたことはありません。


 今回、満を持して東京に居を構えるにあたり、よりアグレッシブに、身体一つで勝負する渡世人(博打打ち)のように、狭井悠は、物書き道を極めるべく、ますます邁進していく所存でございます。

 どうぞ、みなさま、お見知り置きください。

 末長く、よろしくお願いいたします。


 今日もこうして、無事に文章を書くことができて良かったです。

 明日もまた、この場所でお会いしましょう。

 それでは。ぽんぽんぽん。

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